『ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室』四季社より1,480円にて発売中!
 
・10月5日13時半より東京都現代美術館にて出版記念講演会を行います。

プロフィール
 
『ソウルメイト』の由来:
ソウルメイトとは“魂の伴侶”“魂の友達”という意味で、
人生を共にし、愛情や優しさ、喜びや楽しみを与えてくれ、
辛く苦しい時を支えてくれた、かけがえのない相手のことです。
 
出逢いから始まり、共に暮らし、その命から
気づきや学びを教え与えてくれた
深いつながりある尊い者たちと、
種族を超えて心を分かち合えた者たちの
安らぎの休息地となればとの想いから名付けました。
 

動物が好きで命を救う獣医師の道を選ぶ者もいれば、
  動物が好きで最後を看取る(魂を救う)僧侶への道を選ぶ者もいる。
 
そんな生き方もあります。
 
“動物のお坊さん”ってどんな人?
(人のお坊さんでもあります)
 
呼び名:
本名:横田 晴正(よこた はるまさ)  
(横田さんでいいですよ!「様」が付くほど偉くもありませんので)
 
生息地:
・〒940−0137 新潟県長岡市(旧栃尾市)平2−5−7 
 長福寺(曹洞宗)
(東京分院ではなく、こちらの長福寺に住んでおります)
 
・〒157−0063 東京都世田谷区粕谷2−2−32
 “ペットのお寺”長福寺東京分院
(東京に滞在している時は、杉並区の実家におりますので、こちらには住んでおりません)
 
生まれた日:
1971.12.11 東京生まれ 東京育ち
(杉並区の実家はお米屋さんで、お寺ではありません)
 
経 歴:
明星大学経済学部卒業
(多摩動物園が近くにあったから入学したらしい…)
(面接でそう言ったら、ふざけているのか!と怒られたらしい…)
 
東証二部上場 株式会社セキド
(動物たちとの素敵な暮らしのお手伝いがしたくて、ペット用品の販売をしていたらしい…)
 
株式会社コスモリバティー[ナツメプランニング]
(動物や自然への意識改革がしたくて、広告代理店にて企画・営業をしていたらしい…)
 
宗教法人 曹洞宗 長福寺
(動物たちにお経が挙げたくて出家してしまった稀な人らしい…)
 
この生命体の志しはいつも
【人と動物・自然が共によりよく暮らす】
(そのために人生を選択しているらしい…)
 
大きさ:
160cmの小動物
(武道をしていたので首・肩・胸があるためサイズの合う服があまりない…)
体重は秋から冬にかけて増える *冬眠はしません!
(妻にはよく頬っぺたをつままれる…)
 
習 性:
・動物、植物、海洋生物が好きなので、ペットショップ(熱帯魚も)、
 ガーデニングショップ、動物園、植物園、水族館で見かけることあり。
 (頻度は高いが、小柄なので見つからないようだ・・・)
 
・霊長類の大人子供科に類するため嗜好品を好み、
 ハンバーグ・カレー・パスタ・プリン・ヨーグルト・ケーキなどが好きみたい。
 (お寺だけあって、不思議なことに深夜に甘い物などが消えるらしい・・・)
 
・性質はいたって温和だが、少林寺拳法や空手、キックボクシングを嗜み、
 学生の頃は異種格闘技もしており、スーパーサイヤ人とも呼ばれていた。
 力を得てしても誇らない心の強さと武道精神を好むらしい。
 (そんな武道家も、お酒と動物、妻には弱いらしい・・・)
 
・音楽は落ち着いたクラシックが好きなのだが、ある一時期であるがクラブにて
 酔拳ダンスや空手ダンスを目撃したとの情報もあるが定かではない。
 (落ち着いてもいるが、はしゃぐのも大好きみたい・・・)
 
・書物は自己啓発やノンフィクションを好み、難しい経典を苦手とし、
 たまに詩を作るらしいが、贈られた人しか知らないので定かではない。
 (愛や情熱がテーマらしい・・・)
 
・インテリア雑貨、カントリー雑貨などが好きで街中に出没するようだが、
 お寺との調和という点で…と、買わずに帰る事が多いらしい。
 (単にお金がないのかもしれない・・・)
 
*彼を飼育している人の談話によると、
 「大きな?いや、小さな?子供のようだ」と話しており、
 (背が低いこと?それとも精神的なこと?)
 「結婚したときから、私は未婚の母のようだった」とか・・・。
 (男は子供みたいなものなのでしょうかねぇ…)
 
 
何でお坊さんに?
 小学校4年生の時に飼っていた野良猫ミクが失踪してから一週間、毎日朝から夜まで探したが見つからなかった。その日も学校から急いで帰ってきて探しに行こうと玄関を出ると、向こうからミクが歩いて帰ってきたのです。
 帰宅の喜びは瞬間で様子が変なのです。ミクの両目は砂で潰され、体はガリガリに痩せて泥まみれ、毛艶はなく硬く固まって、片足を折られて引きずり、フラフラになりながらも本能だけで戻ってきたようでした。
 当時、動物病院に連れて行けるほどの余裕もなく、家の中で飼っているペットですら「病院?」というご時世で、まして縁の下で飼っていた野良猫となると「病院に連れてって」と親に言い出すことができなかった。だから、いま自分にできることは、一生懸命に看病すること、一緒にいてあげること、回復を祈ることしかないと思い、それが無力な自分にできるすべてであった。
 膝に抱きかかえていても衰弱していくばかりだし、家に入れれば叱れて、外に毛布を敷いて寝れば注意されて、学校に行かずに看病していると怒られて、さらに自分の無力さを痛感し悔しさに涙しました。
 しかし、“祈ること”だけは離れていてもできる唯一のことと思い、心から祈ることにした。
 
 それから、ミクはか細い声で鳴くだけで、食べ物も飲み物も口に入れず、寝たきりのまま2日が過ぎました。
 3日目の夕方、膝に抱いていると砂まみれの痛々しい両目を開いたので元気になったのかと期待したのですが、目を合わせるとミクは私に“ありがとう”と言うのです。目から心に直接 “ありがとう” と語り掛けてきたのです。それは耳に聞こえる言葉ではない、心から心へ伝わる「想い」というものだと思います。
 この不思議な感覚の言葉を受け取ると、ミクの瞳は焦点を失い静かに輝きと潤いがなくなり、力が抜けて温もりがなくなっていきました。
 いくら呼んでも反応しない。体には力がない。どうして。なんで…。
 私は悔しさと悲しさで涙が止まらなかった。
 この10日間の出来事を思うと心が張り裂けそうで、息もできないほどでした。こんな状況でも会いたいという一心で帰ってきてくれたかと思うと、心はどうしようもなく叫びを上げるだけでした。
 私はファンタジーのように涙で生き返るのではないかと思い涙に願いを託し祈ったが、多くの涙も現実の前ではとても無情で静かであった。
 このときも神様に心から祈ったにも関わらず、何も悪いことをしていないこの子の命は無慈悲にも尽きて冷たく硬くなり、ミクの命と共に私の心から神は姿を消しました。
 
 目を開いて語ったのは時間にすると数秒のことなのでしょうが、私にとっては今までを取り戻すかのように長くゆっくりした流れで、とても安らかな静寂の時間で、時間や空間を越えた不思議な世界に包まれていました。
 この“ありがとう”を母に告げると、「最後の力を振り絞って、あなたに感謝したかったのよ」と涙ながらに言われ、嬉しさと悲しさ、悔しさと怒りでまた涙が溢れてきて、痛みを思うと心は裂けそうだし、それでも目を開けてくれたのかと思うと、涙と叫びは止まらなくなった。
 それから、亡くなった悲しみや痛みを思うと胸が締め付けられ、自分の無力さや犯人に対する怒りから力の行き場に戸惑い、泣いてばかりで食欲や気力は無くなり、多くの人に悲しみを理解されず、不思議な言葉も子供の夢事とあしらわれ、どうしようもない時間をただ呆然と過ごすだけであった。
 
 しかし、この悲惨な出来事から、私は命の大切さを感じ、どんな子もすべてミクと同じ命なのだからと、傷ついた動物たちを保護したり、道路で亡くなっている子を里子とし私の子として別れをし、多くの動物達の最後を看取ってあげるようになり、見ず知らずの子も私の飼ってきた子も同じ命の尊厳を持っていることを知ることになった。
 だから、周りの人から白い目で見られようと、手や服が赤く染まろうと、そこに命があったことを想い、同じ人間の過ちとして代わりに心から謝り、自分なりの弔いをするようになっていった。
 そして、いつも最後に撫でながら「ごめんね。人を恨まないでね。心から悲しむ人もいるんだからね。寂しくないから僕の心においで」と話して想って、魂はあるものと思い心に引き込むようになってきたのです。
 共に暮らしたパートナーたち、保護したが自然に帰せなかったものたち、死を看取ってあげることしかできなかったものたち、かれこれ、数えられないほどの動物達が心の楽園で暮らしていることか…。
 
 それに、“ありがとう” はこの時だけではない。
 高校の部活からの帰り道、道路で仔猫が倒れており近くに母猫がいた。車が来てもその場をたじろぐだけで逃げない母猫の姿に、子供を想う気持ちはとても強く、「想い」に人間も動物も違いがないと気持ちが伝わってきた。(それを感じたら震えと涙が止まらなくなってしまった)
 そして、いつものように撫でながら謝っていると、母猫が私に警戒しながらも仔猫を舐めて綺麗にしていました。優しくゆっくりと…。
 私は仔猫と母猫に同じ人間の過ちとして心から謝った。
 母猫は血をすべて舐め終わると仔猫の死を理解したのか、その後私を見つめて座り “ありがとう” と語りかけてきたのです。
 あの時と一緒だ!同じ感覚だ!と10歳の頃にタイムスリップしたかのようでした。
 18歳ですから勘違いや空耳ではなく、目の前の母猫と心を通じ合えたのだと確信が持てました。私の心にはっきりと伝わってきて、あの時の出来事も夢事でなく、真実であることを悟ったのです。
 この出来事から人間も動物も通わせる愛情に違いがないことを感じ、人も動物も心で繋がっていることを感性から悟らせてくれたのです。
 そして、長い人生を与えられているにも関わらず、いい加減に生きてきた人生を省みて、心から素直に生きようと誓い、あるがままの自分を生きるようになったのです。
 
 さらに、目に見えないものへの“想い”が正しいことであること、“想い”を貫くことが現実になること、「想いがすべてのはじまり」と私に自信を持たせてくれた出来事があります。
 それは、井草八幡のお祭りの終わりに、人相占いの前を歩いていると声を掛けられました。
 「観てあげるからいらっしゃい」と言われたのですが、「信じていないし、お金を出す気はないので」と断ると、「あなたの後ろには動物がいっぱいいる。興味があるからいらっしゃい。」と言われたのです。
 私は溢れる涙を堪えるのがやっとで、涙を見られまいと急いでその場を立ち去ってしまいました。
 その場を立ち去り、一人になっていっぱい泣いた。声を出して、堪えることなく、いっぱい泣いた。嬉しくていっぱい泣いた。夜空を仰ぎながら、いっぱい泣いた。(このときの涙は不思議な涙でした)
 私は思った。例え目には見えなくても、心で想っていることは事実なのであると…大切なことは目に見えない心の目で見なければならないと…。
 最後を看取った動物たちを心に引き込んでいる事、他言しないこの私だけしか知らないこの事を、全く見ず知らずの第三者から「あなたの後ろには動物がいっぱいいる…」と言われたら、自分の行いは誤まっていなかったと確信に至り、誰が見ていなくても、自分では見えなくても、心からの正しい行いに自信と誇りを持てるようになったのです。
 そして、動物たちのために何かをすべく生を受けたのだと天命を感じ、無意味に感じていた大学進学も成すべき事の為ならと勉強するようになったのです。(大学は動物園に近いからという単純な理由から決めた!)
 
 野良猫ミクは私に「不幸にも死んでしまった仲間の最後を心から看取ってあげること」、「命には違いがなく、すべての命が大切なこと」を教えてくれ、この母猫が「人と動物の間に思いは通じること」、「愛情や想いには何の違いも隔たりもないこと」を気づかせてくれたのです。
 
 共に “ありがとう” という不思議な言葉で…。
 
 この2度目の“ありがとう”から私は「心から謝るだけではなく、心からの想いが供養のすべてだと思ってはいても、彼らの為にお経が読めたら…」と心から思うようになったのです。以前からも思っていたが明確になったのです。
 心から供養することがすべてと思いつつも「お経には何百年もの時を経ても失せることのない何かがあり、もしお経に何らかの供養する力があるのなら、私は動物たちのために心から捧げたい」と思うようになってきたのです。
 そして、何故か多くの死に出会うのは、私に気づかせるためであり、「ペットや動物達のために何かをすべく生まれてきたのだ」と生まれてきた使命を自覚させるために命でもって教えてくれているのだと思うようになってきました。
 そうして、彼らに導かれたのか、動物園(縁)が近いという理由で入学した大学で、知り合い好きになって結婚した相手が偶然にもお寺の娘さんで、私の心には導きなる縁がもたらされたのです。(義父には息子が2人いるので当時は僧侶になることは思ってもいなかった。)
 就職してから5年後(ペット用品販売4年・広告代理店1年)、僧侶への道が開き『動物(ペット)のお坊さん』になるべく広告代理店を辞め、27歳で出家し、僧侶となるべく家族と離れ、大栄寺専門僧堂にて修行をすることになったのです。
 
 そして2001年4月に修行(1年3ヶ月)を終えて、『動物(ペット)のお坊さん』として人生の一歩を踏み出しました。
 まだ、みんなの為だけのお寺もないが、みんなの想いとこれからのみんなの為にも、しっかりと目標に向かって歩んでゆく。
 時間を越えた愛情が私を動かし、動物(ペット)の供養をすることがみんなの愛情に応え感謝することにもなるのだと・・・。
 動物(ペット)たちと心を通わすことが、より人としての人間性を深め優しくなり、命を知ることが心に癒しをもたらすのだと。
 私の看取ってきたみんなは、私に【気づき】と【学び】を与えてくれたソウルメイト(魂の伴侶)であり、この純粋な命に感謝すべく、みんなの仲間を看取る動物(ペット)のお坊さんとして、仲間の想いを伝えるべく、彼らの分まで人生を代表して命を精一杯生きてゆくつもりです。
 私の看てきたみんなは、今なお私の心の中で生き続けており、これからも一緒に人生を歩んでゆく。
 
 そして、いつか再会する日に、今度は私から “ありがとう” を伝えたいと思っています。
 
PS:
修行を終えた日(3月28日)に、修行寺から長福寺まで30時間かけて雨雪風の中、草鞋に赤笠姿で、片手で合掌し、お経を唱えながら帰って来た時のことです。
 修行寺を出てから7時間ぐらいの道路で、交通事故で猫(白茶の♂)が亡くなっていました。私は僧侶資格を得て読む最初のお経が、やはり動物だったのです。雨の中、供養し終えてから彼に資格証明書を守っていたタオルを掛けてあげてました。そしてポケットティッシュの裏に、「通りがかりの僧侶です。ちゃんと供養は致しましたので、どうか心優しい方にお願いです、後のことを頼みます」とメッセージを残して立ち去りました。
 この猫ちゃんを看取ってくれた方に“ありがとう”を伝えたいと思います。
 
もちろん、資格証明書は濡れてフニャフニャになりましたが、紙切れ一枚にこだわるよりも、人間として、僧侶として、大切なものを得ました。
 
談話:雨雪風の中で、草鞋4足目にして長福寺に到着し、足は無数の傷と凍傷、アスファルトと草鞋の相性は悪く歩く度に衝撃は打ち身となり、膝から下は真っ青に浮腫み、関節が硬直して以後3日間、寝たきりで動けない状況になり、歩けるようになるまでに3週間を要しました。
 そして、修行僧の中でも歩いて下山したのは何十年ぶりとのこと。
 それだけに達成感がありました。
 
 
 
PS.2:
そして最初の火葬は、交通事故のたぬきちゃんで、最初の葬儀の依頼は、仏具店のガラスに当たって亡くなった野鳥でした。
 いつも最初が自然動物であり、やはり導かれているような気がしてならない。
 
 
↓ワンちゃんたちはモデル犬ですが、寺猫たちと私はモデルではありません↓
ワンちゃんたちは立派に立っているのに、
うちの寺猫たちときたら・・・



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