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すはまQ&A
●すはまとはなんですか?
  
 この言葉の一番古い記述は、仁和3年(887)ごろの。
民部卿 行平家歌合の記録というのが定説です。それによれば 
「左右洲浜などしたりけり.田舎家かなたをなむ洲浜にしたりける・・・」とあります。
この文献から、すはまの型の台に田舎家の風情の飾りをつくる。そして歌を添える。と読め 
 また古今和歌集に
「おなじ御時せられける菊合に、すはまつくりて、きくの花うえたりけるに そへたりけるうた、ふきあげのすはまのかたに さくうえたりけるよめる。
     秋風のふきあげにたてるしらぎくは
                   花かあらぬか浪のよするか」
2つの例を挙げましたが、
洲浜という言葉は平安時代の歌合わせの記録や、増鏡、栄華物語などにもみられます。わかることは、宮廷や貴族の遊び(遊びといっても現代人が考える風雅な戯れより、なにか政治さえまきこんだイベントと想像します。)
そこでは和歌に取り合わせて、趣向をこらした飾り物を作つたことです。
その飾る台を洲浜と呼んだのです、
その形が、洲と浜辺、ちょうど入海を俯瞰した姿になります。そして興味深いことには、すはまと呼ぶ島型の台が中国の神仙思想でいうところの、東海の仙山 蓬莱山(常世の国)をも意味していることです。
 以降、すはまと呼ばれた台は、その用途が途絶えた後にも、そのかたちは有職文様として残り、日本の基本的なデザインパターンのひとつになつております。嶋台としてとして結納飾りの台にそのなごりが偲ばれます。
広く工芸の意匠。庭園。また家紋にしていられる家もあります
右の3っの図像はその例です。上から、衣服。磁器。そして本の装丁。(弊店蔵) 
 菓子のすはまもそのデザインを流用したものです。江戸時代中頃にすはまの模様が流行したこと それなら菓子で作ってはというのが起源ではないかと、私(店主)はかんがえています。
 それ以前に素材は、既に菓子として有り、豆飴と呼ばれていたことは、記録にあります。それは東北から日本海沿岸の各地で今も存在しています。京都の地で、豆飴ですはま型を作り、はやった結果、この生地をもすはまと呼ぶようになってしまいました。ここに至り、製菓の世界では模様としてのすはまより、生地自体を意味しています。
 多くあったすはま製造業者も少なくなり、今では弊店のみが、かたちとしてのすはまをつくっているのが現実です。
 【言葉の意味を極めたい方のための参考書籍案内】 
   早稲田大学美術史学会 「美術史研究」 33  小泉賢子 洲浜について
   日本美術工藝社「日本美術工芸」497号 守屋毅「島台」
   源流社 「服飾の中心にある美的感情」丹沢 巧 第4章日本の文様
   平凡社 「智と宇宙の波動」北沢方邦 第7章
1    製法について
 
すはまは良質の飴が無ければ出来ません。当店は金沢の俵屋さんのを使っております。
この国で水飴の一番始めの記録は、日本書紀の神武東征の記事が最初です。素直に読み下せば、武器でなく「飴をもつて、天下を平らけむ」と祈る古代の記述が面白いのですが。ここはやはり精錬の姿、煮えたぎる金属を飴こたとえての記述と私は読みます。この史書は奈良時代、720年ごろに編まれた事。中国で6世紀に最古と言はれる農耕と食品加工の本『斉民要術』という本を森枝卓士様に教えられました。これに飴の記述もあり、渡来の新技術を取り入れたのか?以前からこの土地の人が知っていたのか? 韓国に ヨッ という麦芽の飴があるので多分お隣のくにから伝来したものでしょう。
私(店主)が小学生のころ1947年ごろ、河原町二条上ルの福田さんへ鍋をもつて飴買のお使いにいかされたものでした。今はもう求め得ない、記憶をたどれば、暖かく香り立つ水飴だった。
 横道にそれますが大豆も砂糖も昔の味がしない。良い味はもう無いという寂しさが常にある。なんとか工夫はしているのですが。
 飴は麦芽と澱粉があればきないことは有りません。前記のごとく大陸から伝播したものの、一つなのですが。この甘さは、あま葛や、果物、蜂蜜、のように天然でなく、人工物です。しかし粘りがある。甘さと、つなぎ、そしてさらっとして、飴を食する方法はと、穀物の粉をくはえて、加工し始めたのが、この菓子の誕生と、かんがえます。
米はそれ自体粘りがあり、そうでないメデュームは?
 (羽二重餅などのぎゅうひ物は、米の粘りと共存したひとつの味覚として存在しています。)
穀類のなかで、大豆が一番の出会い物でなかったか、そこで炒った大豆を粉にして飴と合わせる。  豆飴の誕生です。
 原材料にきなこと別に 洲濱粉 という大豆を浅く炒つた粉があります。炒った大豆粉は普通 きな粉 と呼ばれます、お餅やおはぎにまぶすと香りがたち風味がよくなりますが。すはま にすると、色が濃くなり味も くどくなります。そこで州浜のための粉があるのです。大豆の質と同等に炒り方が要です。
 豆飴に新たな出来事起こったのは、新技術、有平糖の伝来で、別の方法、砂糖を煮詰めて飴を作る。簡単に飴をつくる術を知つたからにはこの製法を用いて今日に至っています。しかしそれにも少々の水飴を加えなければなりません。
有平とすはまは兄弟の関係にあります。茶道では有平糖とおなじあつかいをされます。
 すはま の生地をつくるための砂糖の煮詰方は、最初の泡がたつたところで、火をおとす。有平はもっと煮詰めるのですがこの止め方もこつの一つです。人肌の温度まで、さまし大豆粉に流し込み、よく練り合わす。練ることで一時飴になりりかけてすはま となります。
 製法の要点は堅くならないようにどうするか、ただその時の気温と湿度に連動した、水と温度の調節です。硬くなりやすいので
よく作り方に寒梅粉などを入れる
レシピがありますが、粘りはあくまで飴でつけてほしいものです。ねって、ねって飴をつくるつもりでやりたいものです。 糯粉を入れてそれで味が良くなるのならよいのですが、私は好みません。
すはまの形は円筒にした生地を三方から竹竿で押さえ作ります、その切り出した面がすはま型になるというものです。
 ざっくりした生地を生かして、弊店では、親指の大きさで そらまめ をかたちどり、店の前の通り丸太町通りの古名 春日小路 にちなみ春日の豆 と名付けた商品があります。
 また、串にさして だんご にしたり、わらび、さやまめをする お店もあります。弊店ではご注文のみいたします。
 20年前からすはま 生地の特徴を使い、うすく延ばしたすはま生地で月例「つきなみ」の模様をして、落雁地に象嵌のようにのせたおしもの を始めています。

2    「すはま」と「すあま」について
 
たれぱんだ、というものをご存じですか?
この架空の生き物は、デザイナーの、末政ひかる さんが1995年に世に出されたパンダです。だらーっとしてねそべっているパンダの姿が、今の言葉なら、かわゆぅ〜く。なごみ系 にはいり、愛されているらしい。
 版権があるのでお見せできませんが知りたい方は、ヤフーなどで「たれぱんだ」を検索してください。
 1999年夏、我が店に たれパンダの好物の、スアマ を下さいというお客がありました。
すはま をスアマと発音することもあります。まだ舌のまわらない幼い人の言いようで、京都でもスアマという言葉はそんざいしていますが、詳しくお話をきくと、何か生き物がいて それの好物が すあま ということでした。
早速本屋さんで小学館版「たれぱんだ」を求め すあまの実体を知りました。
これは関東独得の品で、いつも東京のお客様が間違ってこられる、それは
新粉を用いた餅菓子です。なぜ すあま というのか どなたかお知らせください。

3    店の沿革
 
創業は17世紀中頃、明暦の頃とつたえられております。当代で14代
となります。天保8年生まれの9代目が31才のときに明治を迎えました。この曾祖父の言い伝えと記録によると、大和郡山の植村氏の流れが出自らしく家紋も同じ逆さ桔梗に一文字です。
江戸時代にどのようなかたちで商いをしていたか今となってはわからないながら。上京(かみぎょう)での商いは仙洞様の近く、また公家屋敷も近所のこと、そのへんのご用があったらしく、今は有るはずもない珍な物が店にいくつも伝わっております。図像の最初にある天皇即位式の衣などがその見本です。遷都なされた後もたびたびお使いいただいた記録があります。店の前に丸亀藩邸があったときかされています。
また幕末には州浜を商うお店が下京(しもぎょう)に数軒以上も記録にあります。その中の一軒はいまも覚えている人もある、四条新町上ル、洲濱鉾町に第二次大戦前まで有った亀屋さんでした。段々と洲濱を一枚看板にするお店がなくなった中、最後の すはまや として励んでおります。

4    お召し上がり方のヒント
 
すはま の味は、好みの分かれるところです。日本の菓子の中でめずらしく油分が含まれた味覚があります。それがくせとして感じられて、あっさりした感じがしない。この不思議な味は大豆の特性で、すはま にはその特性を 諸にだしたはれがましいところがあります。地球上のほかの場所で、たとえばカカオ、アーモンドとか、ピスタッチオを甘みに合わせたお菓子があります。これらの種子は大豆よりもっと油分が多い、これになじんだ人には、すはま はあっさり受けいれられています。
茶道の干菓子として、また煎茶、番茶、下の画像のようなお召し上がり方まで、強いお酒にも合うかもしれません。
日持ちは1週間以内にお召しあがるようお願いしています。 が、お知恵を駆使されて現代の貯蔵術をうまく使う工夫をされていらっしゃるお客様もおられる事だけ記しておきます。

5    以下工事中
 

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瓶 日本のしるし 東京のすあま 明治25年の鑑札
鶴田純也おやつの時間



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