エセー&スクラップ


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 [49]   物よりセンスの大事な時代。(コラムから)
 
 昔からあるを物を<だいじ>にしたいという潮流が広まり、若者達は古着を新しいものと組み合わせて、自分らしさのセンスを競いだした。大事なのはモノとしての価値ではなく、センスである。センスの視点からモノの価値を見ることで、市場はがらりと変わってくる。彼らは新しいものを上から下まで、ショップのディスプレイ通り着ることに、気恥ずかしさを感じるという。
 新品にはない味わい、つまり年輪を重ねたモノの持つ、落ち着きに安らぎを求める人が増えてきたわけで、町屋ブームもその一つだろう。古い家屋をリフォームした住居、店舗などを見かけることが多くなってきた。この潮流に折からのカフェブームがあいまって、古い民家のよさを残したカフェがあこちに出現している。
 その町屋カフェの王様格は、呉服商K(中京区室町通三条上ル)の経営する「蒼」である。築百数十年の歴史を感じさせる邸宅の改装で、広大な敷地に石灯籠を配した前庭を備え、奥庭にはオープンテラスまである本格派。二つある倉の一つはシューズショップで、二つ目は刺繍や彫銀作品を展示販売。その二階は結婚式場で神式・仏式なんでもこなし、店内にはネールサロンまで持っている。当然ながらカフェスペースがパーティー会場である。
 「とにかく店内は、私のお気に入り、センスに合ったものだけでして…」と社長がいう通り、モノよりセンスの時代を体現した店づくりに徹し、成熟化市場のライフスタイルを見事に取り入れている。ことほど左様に現代は、日々の過ごし方そのものに価値を認め、モノはその暮らし方、過ごし方に合うものだけが選ばれるのだ。
 (毎日新聞「ビジネスサロン365」から要約)
 
 バブル崩壊以来の底なし不景気のお陰かどうか、変われば変わるもので嬉しい傾向です。しかしまだ大阪の生野区などを筆頭に、偽ブランド物が大手を振って、じゃんじゃん売れているそうなので、センスとモノ自体の価値が混交する過渡期、玉虫色の時代なのかも知れません。
 それにしても最近、京都の町家ブームは根強いものがあるようで、新聞・雑誌を見ていても、観光京都の目玉になっているのがよく分かります。しかしその一方で、老舗の消滅や地価の下落をこれ幸いと、雨後の竹の子のように、大型マンションが出現するのも見逃せません。
 いかにも京都らしい町家の活性化と、留まるところを知らないマンション建設の増加。この二つが反目しながら、今後どんな新しい京都市街を形作っていくのかです。とはいえ京都が昔からあるものを粗略に扱い、みやびな奥の深いセンスを失ってしまったら、それこそお仕舞いでしょう。ここ当分、そのせめぎ合いの行方には、目を離せないものがあります。(げんや) 
 
update:
2003/11/09

 [50]   価値あるもの。 (投書から)
 
 「ビンゴ!」。子どもが地蔵盆のビンゴ大会で真っ先にビンゴした。4歳なのでまだ欲がないのか、数ある商品の中から選んだのは「ゴム風船」だった。一瞬、百円均一の店頭に並ぶ姿が目に浮かび、「どうしてもっと良いものを選ばないの」と言ってしまった。
 ゼリーの詰め合わせ、お鍋、食器。たくさんの中から、一番に選ぶ権利があるというのに、よりによって、こんな物を取ってくるなんて。周囲の人も「賞品係の人に言って取り換えてもらったら」とおっしゃる。本当にそうしようかと思って、子どもの方を見ると、「これがいい」と小さく呟いた。
 「でも……」と言いかけると、兄たちが「ちーちゃん、よかったなあ。自分の好きなもの、一番にもらえて。ぼくが後でふくらませて上げるな」とか、「ほんとラッキーやな」などと言ってニコニコ笑っている。その瞬間、自分がものすごく恥ずかしく思えた。
 ふだん、お金だけで判断してはいけないとか、欲張りすぎてはダメと言っているくせに、まさしく私自身は金銭的な価値判断をしてしまっている。子どもの価値判断を無視して、自分の価値判断を押し付けようとしてしまった。お地蔵さん、ごめんなさい。子どもから教えられた小さな出来事でした。(毎日新聞「女の気持ち」京都市上京区 河嶋智子さん)
 
 久し振りに心優しい投書を一つ。母親に何と言われようと、「これがいい」とゴム風船を選んだ4歳児。そして、そんな妹と喜びを共にする兄たち。いい情景ですねえ。
 予期せぬ我が子たちの純粋さに、ふと我に返って恥ずかしくなり、お地蔵さんごめんなさいと、わざわざ投書する気になった、お母さんも素晴らしい。
 荒れすさんだ世の中に、まだこんな人たちが少しでもいた、と思うだけでホッとします。有り難う、河嶋さん。次の投書を期待します。 (げんや)
update:
2003/10/22

 [51]   昔、大坂の町角にあった公衆トイレ。(連載記事から)
 
 文政八年(1825年)四月、大坂・難波新地でちょっと面白い見世物が行われた。「けし細工 大坂詠(なにわのながめ)」と題し、周囲六里の大坂市街を周囲六十間(108b)に縮小し、橋の上からミニチュア模型にして見せるという、まことに斬新な計画であった。
 今に残るその宣伝用チラシの中に、家のかず九万三一一三軒、橋のかず二五七、猫のかず二万一〇六匹…などとあり、そこに何と「四つ辻小便担桶(たんご) 三五〇三つ」という、妙なものまで数え上げられている。つまり江戸時代の大坂では、町の角々に決まったように、小便用の桶が置かれていたのだった。
 人々はそこで小用を足し、桶に溜まった尿は、大切な肥料として近郊の農村に売られていった。尿の販売を専門に取り扱う業者の組合「小便仲間」も存在したのである。とはいえここで、町の角々に置かれた桶に小用を足すといっても、男はともかく女はどうしたのか、と素朴な疑問がわいてくる。
 これに答えるかのように、享和二年(1802年)七月、上方を訪れた戯作者、曲亭馬琴がその時の作「(き)旅漫録」の中で、「女児の立小便」について以下のように書いている。
 「京の家々厠の前に小便担桶ありて、女もそれに小便する故に、富家の女房も小便は悉く立て居てするなり。……或いは供二、三人つれたる女、道ばたの小便たごへ立ちながら尻の方をむけて小便するに、恥じるいろなく笑う人なし」
 馬琴にとって、憧れの京女の立ち小便姿はかなり衝撃的なものだったろう。しかし京・大坂ではありふれた日常的光景であったから、本人も恥ずかしがらず、笑う人も当然いなかったわけである。
 狂歌師、大田蜀山人も「半日閑話」の<京風いろは短歌稿>の中で、「ゐなかにまさるきたなさは のきをならぶる町中で おいへ(家)さんでもいとさんでも くるりとまくって立小便」と詠んでいる。(産経新聞「歴史ドラマランド」<公衆トイレ>から抜粋)
 
 まだ、この立小便の時代から200年も経っていないのに、何という違いでしょうか。今じゃ外出中の女性達はその節、つとめてホテルやデパートの清潔なトイレをご利用になり、しかもその間は流しっぱなしにして、音をお消しになるというではないですか。
 とはいえ、そんな風俗もここ二、三十年のことで、戦前はもちろんそれ以後でも、田舎を旅すると時たま、懐かしいお婆ちゃんの立小便姿を見かけたものです。トイレ事情の悪い中国の農村地帯などでは、今も堂々とやっているのじゃないでしょうか。
 いえいえ、事情はヨーロッパの中心、花のパリでも同じことで、下水や水洗トイレが完備するまでは、貴婦人達でも宮殿の中庭で、堂々と立小便をしていたと、物の本に書いてあります。彼女たちがいつも、大きく膨らんで不便な、あの変なスカートを穿いていたのは、単なるファッションではなく、その時に便利だったからなのです。
 しかしまだ、町の角々に小便桶があった時代はいい方で、それさえなかった頃は、皆さん一体どうしていたのでしょう。そういう方面から、有名な古典文学など、もう一度読み直してみるのも一興かも知れません。(げんや)
 
update:
2003/09/27



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