エセー&スクラップ


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 [55]   寝たきりの身で点訳図書を一千冊!!(コラムから)
 
 動けないベッドの上で毎日、一心に点筆を握った。その結晶が1000冊を超す点訳書となって、神戸市立点字図書館に残っている。
 下半身不随の花田昌彦さん(65)。17歳で脊椎カリエスにかかり、以後ずっと寝たきりに。一歩も外出できないかわりに、小説などを読み漁った。30歳で点訳ボランティアのことを知り、「自分でも出来る。好きな本を読みながら、同じ障害者の役に立ちたい」と思ったという。
 点訳書を一冊つくるのに一週間はかかる。吉川英治の「太閤記」は49冊にもなった。「一字一句を正確に訳さなければいけない緊張感。それが私に生きるエネルギーを与えてくました」。点訳を心の支えに、いつのまにか20年の月日が経過した。
 今は点訳を「卒業」し、入所先である神戸市の障害者施設で、ふれあい新聞作りに携わっており、「あの時の<書く>作業が勉強になりました」と相変わらず元気そうだ。今の境遇で何ができるか。花田さんの人生は、それを考える大切さを教えてくれる。(毎日新聞「憂楽帳」三野雅弘 )
 
 障害の身を物ともせぬ献身と恐るべき執念。こんな人が現実に存在するとは、この記事を読むまで想像もしませんでした。
 私の友人知己の中にも寝たきり、またはそれに近い方が何人かいます。それぞれ豊かな能力に恵まれていながら、彼等が何か仕事を成し遂げたとは、まず聞いたことがありません。
 人はやはり病に倒れると、いかに能力に恵まれていても、なにくそという気力と執念を持てなければ、事は成就しないのでしょうね。その点、花田さんは青春真っ盛りで寝たきりになり、後は独学でこの仕事を成し遂げたのですから、凄いの一語です。
 要は執念。継続は力なりでしょうか。とても真似はできません。こんな人こそ生ける<菩薩>と呼ぶべきなのかも知れません。(げんや)
update:
2003/08/21

 [56]   菜園の楽しみ増す昆虫の営み。(連載記事から)
 
 春から秋にかけて、自然菜園には昆虫が溢れます。春には多くのクモが行き交い、テントウムシが姿を見せます。夏にはカマキリが現れ、クロオオアリ、ジガバチが餌を探し回り、アオオサムシは草の間を走ります。秋はアキアカネが群れ、数を増したクモ、ウマオイ、ハチ類などで、おもちゃ箱を引っくり返したような賑やかさです。
 一般に「虫」はすべて害虫のように思われていますが、殆どは野菜を食べる虫を、捕食してくれる益虫なのです。最も多いのがクモで、ヨトウムシ、アオムシ、コナガの幼虫は、孵化した直後にクモにほとんど食べ尽くされます。
 生き残って大きくなったものも、ハチやカマキリに捕食されます。作物の葉裏で、捕食した虫を食べるクモによく出合います。嫌われ者のカメムシも、雑草の茂みに網を張るナガコガネグモが捕獲してくれます。
 テントウムシはアブラムシの天敵です。幼虫一匹がサナギになるまでに、数百匹のアブラムシを食べるといわれ、ソラマメに大発生したアブラムシも、一昼夜できれいに食べ尽くします。
 ハチ類には、アオムシやガの幼虫を狩るものが多く、シオヤアブは支柱の先端などに止まって獲物を探し、コガネムシなどあらゆる昆虫を捕らえて体液を吸います。土中に住むコガネの幼虫やヨトウムシが、アリによって地上に引き出され、巣に運ばれる場面を何度も目撃しました。夜間にはマイマイカブリ、コウガイヒルが活躍し、カタツムリを食べてしまいます。
 大食漢のオオカマキリは作物などの頂上部で、ハラビロカマキリは茂みの中、コカマキリは地面を歩きながら、微妙にすみ分けて獲物を探します。このように昆虫の営みを知り、理解することで栽培もより楽しく、実りも確かなものになるはずです。 (京都新聞「自然野菜が面白い」徳野雅仁 から) 
 
 野菜を食べる虫が害虫で、その虫を食べてくれる虫は益虫。身勝手ながら菜園の主には確かにそういうことですね。そして、害虫にはヨトウムシ、アオムシ、コナガ、カメムシ、アブラムシ、コガネムシ、カタツムリなどがあり、益虫の主なものにはクモ、テントウムシ、ハチ、ウマオイ、カマキリ、シオヤアブ、マイマイカブリ、コウガイヒル(以上二つは夜間専門)がいるという。ご存知でしたか?
 こちらは害虫、益虫の凡その見当は付くものの、テントウムシやクモ、カマキリが、かくも働き者だとは想像もしていませんでした。それにハチですねえ。あのハチが蝶の元である、アオムシを好んで狩るとは、意外もいいところです。
 この記事に興味を持ったのを機会に、虫の世界に頭を突っ込んでみるのも面白いかも知れません。まずその皮切りに、書棚を漁って大昔の「ファーブルの昆虫記」でも捜してみましょうか?(げんや) 
 
update:
2003/07/29

 [57]   中国経済を支える「自転車理論」。
 
 中国経済の強さについての様々な理論の中で、いま関満博・一橋大学教授の「自転車理論」が面白い。中国の自転車は、安いのから高いのまで色いろあるけれど、すぐあちこちが壊れる。その度に修理して、そこで初めて「完成車」になる。
 それが中国流で、そのやりかたが社会制度や法律づくりにも共通している。すなわち、走りながら完成させていくのが、そもそも中国流だというのである。
 これは米国にも似ていて、早い話がインターネットである。米国が作り出したインターネットというシステムは、すべてが完成してから、実用に供されたわけではない。
 90%ぐらいの仕上がりで走り出し、不具合があればそのとき直していけばいい、という考え方である。ある意味で大ざっぱだが、だからこそ仮に核戦争が起きても、止まることのない強靭なシステム、といわれるのだろう。
 これに較べて、高品質の同義語となった、メード・イン・ジャパンは精緻であり、それはもちろん誇るべきことである。しかし実のところは、、完成度を90%から100%に引き上げる、その過程が一番高くつくのだ。
 10年も壊れない製品は確かにすばらしい。しかし壊れたらすぐ、そこらのお店で安く修理したり、部品を取り替えたりできる、安直なシステムも柔らかで捨てがたい。
 世界を見渡せば貧しい国ばかりで、果たして日本流が受け入れられるのか、中国・米国流がいいのか、大いに疑問。関教授は後者に軍配を上げており、もう一度じっくり考え直してみるべき課題である。(毎日新聞「発信箱」から) 
 
 そう言われて見ると、日本の製品は確かに完成度が高く、滅多に故障しない代わり、故障すると修理代などやたら高くつき、この際買い換えたらどうか、としばしば新製品を勧められる。
 しかしこの風潮は、消費は美徳だった高度成長時代の、感心しない後遺症であり、景気低迷の今となってはどう考えても、「自転車理論」に軍配を上げたくなる。
 「壊れたらそこらのお店で安く修理したり、部品を取り替えたりできる、安直なシステム」。昔はこの国の流通スタイルも確かそうだったはず。一度にそれを再現するのは難しくとも、いい物を修理しながら長く使う、本来あるべき姿に向かって、国を挙げ粘りづよく方針変更して貰いたいものである。(げんや)
 
 
update:
2003/07/17



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