エセー&スクラップ


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 [58]   アスワン・ハイ・ダムの悲劇。(論考記事から)
 
 古代エジプトの時代から、エジプトの経済、文化、社会を支える重要な社会共通資本として、崇められてきたナイル川。全長7000`、流域面積300万平方`というこの大河の両岸には、幅10`に及ぶ肥沃な農地があり、毎年規則的な氾濫を起して、流域に肥料と水をたっぷり供給し、6000万人に近い人々の生活を支えてきた。
 このナイル川の上流の町アスワンに、アスワン・ハイ・ダムが建設されたのは、1960年から71年にかけてのこと。このダムは200万キロワットを超える発電能力を持ち、エジプトの未来に明るい光と夢を与えるはずだった。それが逆に大変な環境破壊の原因となり、エジプト経済に壊滅的な打撃を与えることになろうとは。
 というのは、ダムが出来たために規則的な氾濫が起きなくなり、新たに化学肥料を施さなくてはならなくなったのだ。その化学肥料を造るための必要電力は、なんとダムの発電量より多いというから驚き。
 その上に新しく建設した灌漑用水路の費用も巨額に上り、他にも地中の塩分の滲出のため、広大な農地がダメになるとか、寄生虫の大量発生に悩むとか、ダメージは枚挙にいとまない。問題は流域だけでなく、ナイル河口のデルタ地帯がじりじり消滅しはじめ、かって地中海で一番豊かだった河口の漁場も、今は無残な姿になっている。
 このダム建設がもたらした経済的、社会的、文化的破壊の大きさに、さすがのエジプト政府も驚き、ダイナマイトでダム自体を破壊することを考えた。しかしダムがあまりにも巨大で頑丈なため、ダイナマイト程度では無理だと分かり、断念せざるを得なかったという。
 つまりアスワン・ハイ・ダムの悲劇を一言でいえば、大切な社会的共通資本である自然を、政治経済的な観点から、世俗的な目的に利用し、粗末に取り扱ったことによって起こった、と言える。(京都新聞 論考「アスワン・ハイ・ダムの悲劇」宇沢弘文氏から要約)
 
 これほど大きくはないけれど、第二次世界大戦後、世界中いたるところでダムや自動車道路が建設され、環境破壊で地域住民の生活を危うくしているのは周知のこと。その中でもマンモス級、規模で日本のダム全体の二倍を超えるという、かの中国の三峡ダムも既に完成して、水入れが進んでいるというではないか。。
 このダムがもたらす、自然、社会、文化、経済への影響は、アスワン・ハイ・ダムのそれを遥かに超え、中国国内だけでなく、近隣諸国にも必ずや何らかの影響を与えずにはおかないだろう。
 すでにこの三峡ダムが長江の流れをせき止める結果、河口にある東シナ海の漁獲量は、最悪の場合2割に激減し、海洋汚染の恐れも無視できない、との警告もある。
 その理由は、流域に急増する工場からの排水に、鉛や水銀などの有害物質が含まれ、水没した病院の医療廃棄物も、徐々に流れ出すためである。
 もしこの予想が当れば、東シナ海は日本の好漁場だけに一大事。知らぬ間に汚染魚が食卓に上る可能性も無視できない。国も漁業関係者も、一体この問題をどう考えているのか。もし、警告どおりの事態が起きたなら、いよいよ天然魚は食えなくなってしまう。ああ。(げんや)
update:
2003/06/27

 [59]   「仮想水」について。 (コラムから)
 
 暮らしに必要な水は、飲み水だけではない。私たちが摂取している食材を生産するために、どれほど多量の水が使われているか、考えてみる必要がある。
 東大生産技術研究所の沖大幹助教授は、この食材の背後に存在するバーチャル・ウオーター、つまり「仮想水」の重要性を説き、米・麦など穀物、野菜・果物、牛・豚など畜産の「仮想水」を測定する。
 例えばファーストフードの場合、牛丼の並なら「2000g」、ハンバーガーなら「1000g」の水資源が必要だと具体的に換算し、日本の輸入する「仮想水」総量は、国別で世界一位ではないか、と沖氏は指摘する。
 2000年で推定すると、「仮想水」の総輸入量は640億立方bに達し、日本人は食べ物を含めて、暮らしに必要な水資源の半分近くを、海外の水資源に頼っていることになる。
 80年代の後半、私は「魚」や「牛肉」の現状を追う特集を担当したことがあり、カプセルに押し込められて列島を縦断するタイや、企業・個人のネームプレートを付けて泳ぐ魚など、「活魚が走る」シリーズで取り上げた、バブル期らしい挿話を今でも思い出す。
 日本人はあの時代に、食に対する謙虚な気持ちを、見事に失ってしまったのではなかろうか。金にあかせた「グルメ」は、想像力の欠如でしかない。この際「仮想水」を通して、世界の「水問題」を食卓から考え直してみたい。(毎日新聞「発信箱」高橋豊から)
 
 それとなく感じていた問題も、「仮想水」などと仰々しく言われると、つい身構えてしまいますね。それにしても、牛丼の並一杯で2000g、あのぼさぼさしたハンバーガー一個で1000gとは、これは驚きの一語です。1000gとは一トンですからね。
 そして日本の「仮想水」総輸入量640億立方bを、国民の数で割ると約530立方b。つまり一人当りざっと530トンも消費している勘定です。これはプールの水に換算して、何個分にあたるのでしょうか。考えてみれば、恐ろしい数字です。(げんや)
 
 
 
update:
2003/06/17

 [60]   <戒名は真砂女でよろし紫木蓮> (追悼文から)
 
 俳句の授賞式の会場に真砂女さんが入ってくると、あたりがパッと華やかになった。ひときは小柄ながら和服姿で背筋を伸ばし、それは90歳を過ぎても変わらなかった。
 東京・銀座の、カウンターと奥に6畳和室が一つの、小さな小料理店を営んでいた。かっぽう着で働く真砂女さんの普段の姿もまたすてきだった。「毎朝、私が仕入れに行くのよ」。それが日課で、そうした生活を土台にして、あの潔い俳句作品が生まれた。
 千葉県は安房・鴨川の老舗旅館で生まれながら、恋のために家を捨て、50歳を過ぎて小料理屋を始め……といった波乱の人生は、瀬戸内寂聴さんらの小説のモデルにもなった。それより何よりも真砂女さんは俳句がうまかった。
 久保田万太郎にもかわいがられ、特に季語の使い方では「天才的なひらめきがある」といわれた。決して頭で考えた俳句ではなく、「夜、ふとんの中でフッとひらめくんです。起き上がってすぐメモします」。そう明かしてくれたこともあった。
 90歳を過ぎて百貨店のポスターのモデルになった。俳句界では一番名誉があるといわれる、蛇笏賞を受賞したのも92歳。90歳前後の真砂女さんが最も輝いていた、というと怒られるだろうか。
 <死ぬことを忘れてをりし心太(ところてん)>
 <戒名は真砂女でよろし紫木蓮>
 これら最晩年の作品に、真砂女さんの本領がある。自分でもいつ死ぬかわからない、という気持ちの底に「いつ死んでもいい」という満足感があった。「私に大それた戒名なんていらない」。それも人生に対する潔さである。
 告別式の日、「真砂女さんの魅力は人生に無欲なこと」と寂聴さんは弔辞を述べた。無欲は潔さに通じる。葬儀は無宗教で戒名そのものがなかった。 (毎日新聞 「悼」酒井佐忠 から)
 
 去る3月14日、96歳で亡くなった俳人、鈴木真砂女さんの追悼文です。見事な人生ですねえ。
 酒井記者のいう通り、上の二句をそのまま90歳前後で最も輝き、潔く無欲に生きてぱっと散ったとなれば、夏の夜の大輪の打ち上げ花火さながらです。
 その姿は小柄な女性でも、内に秘めていた心はきっと、女でも男でもない菩薩の姿をしていたのでしょう。
 テレビや雑誌で何度かお顔は拝見したものの、じかにお目に掛ったことは一度もない。出来たら一度、彼女の小料理店でその姿に接し、生の声を聞いてみたかった。
 そして何より、私の理想でもある「葬儀は無宗教で戒名なし」を、女性の身で貫き通したことに脱帽です。いくらそう願っても、死後そのとおり実行してもらうことは、簡単なことではなかったはず。ぜひ見習いたいものです。<げんや>
update:
2003/06/07



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