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私の山行 4
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山の魅力のとりこになって、夫と二人で登り続けて40年。しかしもう1年もすれば70歳を数える。体力も気力も衰えてきたことを自覚する。いつまで登れるのか? 不安は募るがやっぱり登りたい。 今ならまだ・・・体力に見合った山を無理をしないでゆっくりと・・・
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9月16日
ここ1週間ほど雨模様の日が続く。それでもせっかく休みがとれたので天気予報の天候回復を信じ出発する。中央高速道を諏訪ICで下り、諏訪湖畔へ。原田泰治美術館を鑑賞。和田峠を越え霧ケ峰へ。途中激しく雨が降ってきた。霧ケ峰はその名の通り霧の中。自然センターのところで車中泊を考えていたが風も強く少し下る。
霧ケ峰
田中澄江の「花の百名山」に出てくる高原で、私はニッコウキスゲのときもヤナギランのときもしばしば訪れる。また無謀にもここで歩くスキーの大会に出たことがあった。
17日、ようやく晴れあがった。私はこのスキーコースを歩いてみた。嬉しいことに、マツムシソウの大群落に出会うことができた。霧ケ峰薙鎌神社に詣で、塔のある頂上付近で、お天気博士の愛称で親しまれ、第5代中央気象台長を務められた日本のグライダーの父と言われる藤原咲平先生の記念碑をみつけた。
「草に以て青空みれば天と地と
我との外に何物もなし」と刻まれていた。
少し下ると「諏訪市霧ケ峰グライダーふれあい館」があったので寄ってグライダーの話を聞いた。
入笠山
赤岳登山は明日から続く好天を待ったほうがよさそう。そこで八ケ岳の反対側にある花の百名山(NHK)といわれる入笠山にいくことにした。富士見パノラマリゾートからゴンドラで上った。下に見える山道では多くの若者がマウンテンバイクを楽しんでいた。少し下ると入笠湿原、色鮮やかなトリカブトと湿原一面に咲くエゾリンドウが迎えてくれた。ここまででもよかったのだが明日からの足慣らしも兼ねて入笠山(1995m)に登ることにした。南アルプス北部のこの山ではスズラン、レンゲツツジが有名らしい。御所平峠・マナスル山荘へ出た。ここまではゴンドラを使わなければ林道が通っていて車でも上れた。樹林の中を行くと牧場が拓けていた。さらにゆっくりと登ること湿原から40分、突然山頂に出た。樹木もなく360度の展望。諏訪湖、八ケ岳の峰々、富士山、中央アルプス、御岳、北アルプスなどが見えた。
原村から富士見町へ出てしゃれたレストランで食事、戻って樅の木荘で温泉を楽しみ、この日はここの駐車場で車中泊。
八ケ岳・赤岳へ
9月18日 待ったかいがあって快晴、美濃戸口に移動する。美濃戸まで車で入れることは知っていたのだが、キャンピングカーは高さが2m70あり、ここから歩くことにした。出発点の高度は1300m、車道を歩く。緑の木々の間から阿弥陀岳の隆々とした姿が見えてきた。美濃戸山荘のところから柳川南沢の山道をつめる。実は赤岳は18年前の春、残雪深い頃に登ったことがあり、山頂直下で滑落死事故があり、登頂を断念したことがあった。それ以来赤岳は心にかかっていた山である。岩石のゴロゴロとした登山道をあえぎつつ登る。こんなにきつかったか! 18年の時の流れと筋力の衰えを痛感する。でも今回は最後のチャンス、是非登りたい!! ゆっくりゆっくり登っていく。やっとの思いで樹林帯を抜けると白河原で、目の前に横岳のギザギザした稜線が見えてきた。さらに進むと赤岳の勇姿も望めた。やっと行者小屋にたどり着いた。ここは2450m、美濃戸口からの標高差1150m、それを実質歩行時間4時間20分のスローペースであった。それでもとにかく登ってきた。小屋の人によるとしばらく振りの好天でラッキーだとのこと。抜けるような青空の中に、阿弥陀岳、中岳、赤岳、横岳、硫黄岳が聳え立ち、目を転じると北アルプスの槍ケ岳もそれとはっきり分る。小屋の前で、刻々と移る山の姿に見とれて過ごした。この夜は個室をとり、コタツにもぐりこんだ。
19日、いよいよ赤岳へ。文三郎道を登る。赤岳山頂は2899mだから、標高差450mである。それでも登山道はしっかり整備されていて階段あり、鎖ありで比較的登りやすい。阿弥陀岳を横に見ながらひたすら登る。いよいよ最後の岩壁にとりつく。鎖に頼ってよじ登る。これは滑落事故がなくても残雪の頃は無理だったかもと思いながら。祠の祀られた山頂に着いたのは2時間15分後であった。山頂もよく晴れていて、八ケ岳の山々が手の届きそうな近さに見え、雲海の上に浮かぶ富士山、南アルプス、中央アルプス、北アルプスの山々の姿が堪能できた。帰りは小屋の人に「せっかくだから地蔵尾根を下りておいで」といわれていたので、赤岳頂上小屋のところから赤岳天望荘の方に下った。北斜面の傾斜は急で、落石を起こさないように慎重に鎖にぶら下がるようにして下りた。天望荘の前を周りこむと地蔵尾根の分岐となる地蔵仏にであった。ここから一気に鎖あり、階段ありの急な下りであった。下り約2時間。しばらく休憩し、小屋からふらふらと歩くこと3時間で美濃戸口に辿り着いた。この夜は三井の森リゾートホテル・ロッジで優雅に。
中央アルプス・千畳敷・宝剣岳
20日、あまりにも天気がよいしこのまま帰るのももったいなくて、駒ヶ根でおり、久しぶりにロープウェイで千畳敷カールへ。ここへはもう10回以上来ているが、今日はまた格別宝剣岳が素晴らしかった。南アルプスの山々もくっきりと見渡せた。
今回は念願の赤岳登頂も果たし大満足の山行であった。
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松浦武四郎追蹤 日出ケ岳・東大台ケ原
10月16日 松浦武四郎記念館友の会の主催で、6月の武四郎講座で「松浦武四郎と大台ケ原」の講義をしてくださった佐藤貞夫先生を講師として、武四郎の足跡を訪ねて東大台ケ原を歩いた。
バスの中では、門暉代司本居宣長記念館館長に本居宣長の「紀見のめぐみ」と和歌山街道のお話を伺ったりなどして超豪華。講師の佐藤先生はたいへん博学で、国道166号を高見峠越えでいく道中 山の話、植物(花)の話などを交えて、武四郎の大台ケ原に寄せる想い、その踏査の様子などを詳しく話していただいた。なかでも「武四郎の志願は開墾ではなく開路である」という言葉が強く残った。また實利行者の修業とその極地での那智の瀧への入水(捨身)の話と武四郎の大台への旅は實利行者追蹤の旅でもあったとの話も衝撃的であった。さらに武四郎が費用を出して敷設させた石標・伯母峰道上の「国境碑」群と分骨碑も興味深く、今年9月から環境省が自然保護のため西大台を利用調整地区に指定したため、これらの碑には入れなくなったが是非その国境碑を見てみたいものだと思った。武四郎が明治18年から3度大台を踏査したときの案内人は、岩本弥市郎、井場亀市郎、真田八十八らであり、その名が国境碑に刻まれているという。「優婆寒もひじりもいまだ分けいらぬ深山の奥に我は来にけりー武四郎」 バスの車窓から、造林王で土倉道を開いた土倉庄三郎翁の頌徳の磨崖碑と銅像を見て進む。
駐車場に着き、ビジターセンターの横から登り始める。いよいよバスの中で詳しく説明していただいた東大台ケ原の現地を歩くことになる。まずは最高峰(1695m)の日出ケ岳、ここには三角点と3面に「国境・日出岳・井場亀市郎」と刻まれた碑が立っていた。昼食の後ここを下りマサキ峠に登り返す。峠には「マサキ峠・奥村善松」の碑があったはずだが下見に来ていただいた時にはなかったとのことで探すがやはり見つからなかった。かなり前にここを訪れたときはたしか笹原の中を掻き分けて進んだ記憶があるが、今は日出ケ岳には木の階段が正木ケ原には木道が敷設されていて驚く。そういえば前は正木ケ原にはもっともっと立ち枯れた木がたくさんあったはずなのだが。片腹鯛池は水がなかった。その入口のところに「大辨財天影向池」の碑があり、松浦武四郎の名が刻んであった。尾鷲辻を過ぎ、牛石ケ原に向う。牛石ケ池も干上がっていたがここには2つの石標があり、「八大龍王影向池・真田八十八・松浦武四郎」「實利行者修行地・真田八十八・松浦武四郎」と刻まれていた。また牛石の横にも碑が立っていた。ここで護摩修行が行われたという。前に訪れたときは牛石だけ見て何気なく通り過ぎたが、こうして解説をしていただくとこの場所のもつ意味が重いことに気づかされる。さらに大蛇ーまで足を延ばし、尾鷲辻まで戻ってここから別コースを辿り駐車場まで戻った。4時間半の行程であった。佐藤先生のお蔭でたいへん有意義な楽しい山行を体験させていただくことができた。
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行者小屋とそこから望む赤岳
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赤岳頂上小屋にて
横岳・硫黄岳
赤岳山頂
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