短歌の窓


 1   現代の一首 城俊行
更新日時:
H20年12月18日(木)
 
眼鏡はづしペンを納めて寝ねむとす胸の隙間の風そのままに         宮 英子
 
この一首は、角川短歌叢書の一篇、作者の最新の第十歌集『やがての秋』からのもので、つづく一首「見たいもの見尽くし行きたい処もなし強かに生きてもうこれでよし」などとともに、ごくありふれた老いの日常を、何の衒いもなく詠みきってさすがである。その「あとがき」によると、「いよいよ齢拾って、今年私は九十歳。夫も両親も達しなかった年齢で、何となく底知れぬ闇の彼方へ迷い込むような九十歳であります。」と、不安さを覗かせてはいるものの、手にする一冊から受ける印象は、極めて健康的で自由を楽しんでいるように感じられた。    
歌集名ともなった『やがての秋』は、集中の一首「八月のをはりの巴里は気温十八度やがての秋を先取りしたり」に由来するが、作者の年齢に拠る感じから選ばれたであろうことは論を俟つまでもないだろう。その頃の心境を詠んだものに「ハードルをいくつ越えきて目(ま)のあたり九十歳といふ高きハードル」「夜半ふかく目覚めてしばし雨(あめ)止(や)みの気配ひそけし黒洞々(こくとうとう)たり」などがあり、未知の世界に踏み込んでゆく作者の心の裡を垣間見る思いがする。
 

 2   現代の一首 杉本明子
更新日時:
H20年12月18日(木)
 
平然と振舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ           永田 和弘
 
五十代半ばといえば、「塔」においても、再生医科学の研究者としても、もっとも充実した時期であろう。しかし、歌集を覆っている作者の心は予想外のものであった。「椋鳥」と題する歌をもって歌集は始まる。
  君よりも不安はわれに大きければ椋鳥のように目をつむるのみ
 河野裕子の病、再発の不安がこの一冊に大きく影を落としている。
家族もまたその恐怖に怯えながら病人の心を思い何年か過すことになる。夫ゆえの心境がこの歌集の軸となっている。
千羽鶴千羽の鶴の重たさを吊るす祠に夕日があたる
振り分けに玉葱を竿に乾していく妻がとにかくうれしそうなり
そこがあなたの岬でもあるというように光翳ろうなかの頬杖
 不安な気持ちを抑えて妻をみまもる姿である。夏帽子と詠う作品があるが、河野裕子の「夏帽子すこしななめにかぶりゐてうつ向くときに眉は長かり」を思いだしこれは相聞歌集とも言えるのではないかと思った。
 
 

 3   間瀬敬歌集『窓の海』評  小高賢
更新日時:
H20年12月18日(木)
 
間瀬敬歌集『窓の海』評
       
端正な佇まいと祈念
 
 
                 小 高   賢
 
 人はなぜ短歌をはじめるのであろうか。そんな問いを時々立ててみることがある。啄木、空穂、茂吉::、あるいはわれわれのような凡人の場合。それぞれに差異はあるだろうが、いずれもこころのどこかに訳のわからぬ哀しみを抱いてしまうからではないか。それを晴らさねばならない。短歌がそこにすっと入り込んでくる。そんな気がする。しかし、短歌を作れば作るほど、その哀しみは逆に深くなり、濃くなってしまう。誰しもが体験する絶対矛盾ではなかろうか。歌集『窓の海』を読みながら、改めてそんな思いに駆られた。
『窓の海』は端正な佇まいを見せる一冊である。混濁がなく、すっきりして、清澄なひびきを奏でる。生な感情表現をつとめて避けている。つつしみ深く、落ち着いた大人の風情をかもし出している。世間のなかで目立ちたい、己を表立せたいという傾向の少なくない現代短歌のなかにおいて、頑固までに自分のいき方をとおしている。その意志の清潔さをまず感じる。
作品をすこし引いてみよう。
希望といふことばを聞けりいつよりか吾に遠くなりたる一語
日本を離れ住みたしと思ふ心濃紺の海しきり波立つ
いくばくか執着去りし思ひしてみ堂出づれば朝の光あり
充実感なき幸もまたあるべしとかかる思ひに堪へ堪へて来ぬ
しづかなる葛藤ありて長かりき父の願ひはふり捨てて来し
人を厭ひ人を避けゆくこの己変へやうもなし夕べ海に来る
志といへるほどのものなくなりぬ遥か霞めり雨降る海は
 人間は多くの不如意をもっている。しかし、それほど簡単に解決するわけがない。ではそれとどう真向ってゆくのか。
間瀬の場合、内面の思いと眼前の光景を併置する。こころと事物との対置。その往還によって内側の思いを膨らませ、読み手の想像力をたかめようとするのだ。二首目や七首目がその典型であろう。
「日本を離れ住みたしと思ふ心」や「志といへるほどのもの」の希薄化。そういう自分のなかで育んでしまった気持ちが、下句の「濃紺の海しきり波立つ」「遥か霞めり雨降る海は」によって抒情化される。読み終わったあと、ふたたび上句の気分が読者には印象深く立ち上がってくる。その結果として、思いの深さがより濃く感受されるという仕組みになっている。
幾分か、作者の思いは抽象的である。多分意識して曖昧にしているのかもしれない。あるいはこう考えているのかもしれない。現実をそのまま映し出すのでは文学にはならない。一度、そこに衣装を着せないといけない。そう思っているのかもしれない。私はその徹底さに、譲らざる理念の一貫性をみる。「執着」「充実感なき幸」「葛藤」「人を厭ひ人を避けゆく」といったことばを通して、抱え込まれたかなしみを想像できないものとは、自分とは無縁である。そういった厳しい姿勢すら感じる。
おのづから到りし放念と思ふべし清々(すがすが)として来る年を待つ
諦念の果てに生(うま)るる者のあれ若葉萌え出づる光のなかに
成り行きのはてといへどもかへりゆく心か雨は葉を打ちて降る
この辺が限界なるかと思ふとき茜色の雲たちまち暗し
偽りに過ぎし日月(ひつき)と何に思ふ射(しゃ)干(が)の花咲く木陰ゆきつつ
浜茄子の実の放ついろすでにして恨みは遠しつなぐ思ひに
 集後半の作品もほぼ同じ構造で揺るぎがない。「思ふ」の使用頻度も同じように少なくない。一方で、気づくことがひとつある。述懐を比べてみると、後半の作品にやや色彩感がましていることだ。一読、明るい光景が目につくだろう。想像するに、どこか作者には吹っ切れたものがあったにちがいない。「放念」「諦念」「成り行きのはて」「限界なるか」といった語彙にもかすかかもしれないが、気持ちの安定が見えるからだ。短歌はおそろしい文芸だ。そういうわずかな揺らぎをどこかで明らかにしてしまう。
 私も作者と同じように企業の禄を長年食んでいた。人間関係のむずかしさ。上下だけではない。水平の関係においてもさまざまな軋轢をこうむりながら、仕事は進めなければならない。くやしいこと、つらいことは多い。楽しいこと、笑うようなことは少ない。やりたいことが実現するなど、ほとんどないのが実情だ。もちろん、すべて意志がかなわないわけではない。根回しなどを通し、なんとか自分の方向にまわりを巻き込んでいこうとするベクトル。反対勢力との葛藤。こういった言うに言われぬ困難さはなかなか描きにくい。個別具体的なことは読者になかなか理解できないからだ。自分自身を省みても、かなりのデフォルメ・修正によって、ようやく一首になるというのが現実であった。だから、それが事実そのものであるかといわれると、自分自身で首を傾げてしまう。私は間瀬よりも、もっと現場を明らかにしてしまう傾向があるが、それでもすべて事実であるわけがない。自分の体験を踏まえれば、どのように作品構築に苦労を重ねているか、分かるつもりである。『窓の海』を鑑賞する場合、そのような作歌現場も背景の特徴として指摘しておいていいことだろう。
三年半ほどの沖縄在住の作品が歌集『窓の海』の中心である。具体的には明らかでないが、在日米軍と関係する仕事だったようだ。特異な経験もプラスになった力作である。一方、業務上の性格上、審らかにしにくい苦しさも垣間見える。
こだはりを捨てて笑はむ皿のうへの魚の頭をかぶりつき食ふ
蹂躙されてゐるとの思ひ熱風にかげろふ立てる滑走路を去る
競争が利をもたらすといふ思想いつよりかわが憎みてゐたり
国連旗掲ぐる訳を殊更に問ひて我等去る普天間基地を
沖縄の占領はペリー提督の夢の実現とあるを読みたり
「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」若泉敬の一冊痛々しけれ
アメリカの統治終りて今に続く島の呻吟を聞かぬ日はなし
安保条約終了の方法を定めたる第十条を読み返すなり
 これらに漂っている苦さ。「こだはりを捨てて笑はむ」の内実は想像に難くない。古琉球と基地の差異。そこで生活する人々。基地に出入りしながら、在日米軍と仕事をする日々。一方で、島々を旅する。いったい自分は何をしているのだろうか。自問自答せざるをえなかったのではないか。誠実であればあるほど眼前の巨大基地が立ちふさがってくる。しかも、簡単に解決するような問題ではない。
六首目。すでに亡くなったが、若泉敬とは京都産業大学教授であり、佐藤栄作首相の特命を帯び、沖縄返還の下交渉を行った人物である。沖縄は、非核三原則を遵守し、本土並み(持たず、作らず、持ち込ませず)の返還といわれてきた。しかしその裏側に、核の持ち込みを認めた密約が存在する。すでに公然と語られていることだ。その密約の存在を、若泉は遺書のように生前、著書で明らかにした。アメリカ側の公文書で公開されている事実にもかかわらず、しかし、いまでも日本外務省は密約などなかったとあくまでも主張する。
若泉は、密約以外には方法がなかったと書き残している。その交渉の苦しさに間瀬はある程度の理解を見せている。国際政治のなかで、建前と実際のちがい。微妙な場面を描いた問題作だろう。
最後の一首なども同様だ。沖縄を覆いつくしている安保条約。日本国憲法を超えて存在している「アンポ」をどうするのか。リアルな問題提起にもなっている。昨今の社会詠論争にも応えた大人の一首だろう。
『窓の海』の沖縄詠は基地としての島の苦悩、そしてそれを直視した作者の苦悩を鮮やかに結晶させた一連である。決して声高ではない。さらにたんなる基地反対的な単純さに止まっていない。しかも、錯綜した現実から目もそむけていない。だからこそ、九・一一やバクダードやアフガン空爆を歌えば社会詠になるといった素朴な水準をはるかに超えている。間瀬自身はあえて社会詠と主張しないかもしれないが、高く評価されてしかるべきであろう。
最後にひとつだけ注文をつけておきたい。『窓の海』を繰り返し読んでいると、作者の底に「祈り」「希い」(希求)のあることに気づく。もちろん、日々の「願い」に地続きなのであるが、より精神的、形而上的なものだ。座禅などもそのあらわれかもしれない。ちがう自分へ、より高い自分へという意志といいかえてもいいだろう。
求めゆく心一つになれぬなら恃(たの)まむ思ひ断ち切りてこそ
「この生を悲しむよりはあざ笑へ」かかる悟入はあまりに遠く
何を取り何を捨てむか混沌の中に定まり来るものを待つ
希薄に希薄になつてゆく心冬の空晴れて全く青し
「人生最後の日まで貧しくありたい」とアナレナ・トネリーその名を知りぬ
 どちらかといえば、こういう作品は作者にとってより強く意味があるのだろうが、だからこそ読者は置き去りにされかねないところも生まれる。理念性が表立ちすぎ、共感を得られにくくなるからだ。私もそうだったが、作者にも企業という場がいずれなくなる。そのときどういう具体性によって読者を作品に引き込めるか。そのあたりが、今後のポイントになるのではないだろうか。早めの第三歌集を楽しみにしている。
 

 4   歌の世界93      
更新日時:
H20年12月18日(木)
 
歌の世界93      
 
 
奥山 善昭
 
  とべらの実あをきを外灯の光に見いたいたし断念の思ひをおもふ           楠瀬兵五郎
平成十九年十一月号「短歌」の作品で「断念」の小題のある八首。この作者にしては少し踏み出しているのかなと感じさせる作品で「断念」の語もこの作者にしては思い切って使用している。楠瀬作品は丁寧な写実の手法でその歌境を作り上げ、自然現象などが主な対象で、この作者の基調となっているのだが、この作品には、「とべらの実あをき」と植物に取材していながら写実のみに終わっておらず、写し取ったものだけでは表現仕切れない何かが、底に澱んでいるようである。それは作者の思い、心の動きなのではないだろうか。それは第三句「いたいたし」の不徹底さにも現れている、四句の「断念」に係るのか「とべらの実」に係るのか判然としない。次の、
松原の暗闇に海よりか空よりか唯口ごもる声かと
おもふ
の歌にも、はっきりしないもやもやとしたものがあるようだ。このあたりに、今までこの作者になかった変化を感じるのである。それが進展か、後退かは簡単には論ぜられないが、何かが動いているか、動き出したかである。小暮政次の『雖冥集』に
断念の向う側に差す光ありと思ひたり唯少時とは
いへ
断念の彼方に何を求めむか嗚呼断念の彼方なるも の
断念をすがしと思ひ又思ひ直し近づく闇を待つのみにゐる
などの歌がある。二首目は「断念の彼方」の題があるもので、求める世界の純粋さが如実だ。楠瀬作品は、これ等の作品に触発され、断念に至る小暮政次の心、思いに踏み込んでの歌なのだろう、ならば「いたいたしき」とすべきか。
 

 5   短歌 21世紀」五周年と大河原惇行
更新日時:
H16年11月23日(火)
短歌 21世紀」五周年と大河原惇行
 
 平成九年に、アララギは九十年の歴史を閉じた。そのアララギを継ぐ歌誌として、「短歌 21世紀」は創刊された。その意味するところは、常に考えなければならない。近代から現代にかけて、アララギの残した多くの優れた作品を前にして、時に怯むこともあるが、先にさらに新しい世界が開かれてゆくに違いない。同時に、アララギが歴史を閉じたことは、今日という時代状況において、その理由を受け止めなければならない。その確たる認識があって初めて、次の展開が可能になるのではないか。
 小暮政次を中心として、創刊された「短歌 21世紀」も、五年が過ぎた。平成十三年二月、小暮政次はその九十三年の生涯を終えている。更なる困難を背負ったといっていい。それでも、若い人達の多いこの集団は、その困難を跳ね除けていくであろう。
 昨年、十一月二十四日の朝日新聞の「折々の歌」に、大岡信氏は、小暮の歌を取り上げて、歌とは別に次のように書いた。「平成九年末で九十年の歴史を閉じ、今は残された人々によって新たな歴史が刻まれている」。この歴史が刻まれていると言う指摘は、やはり、嬉しいということになる。
 反写実を含めて写実だと晩年の小暮が言ったが、そのことと、アララギを継承することの意味を考えなければならない。そして、歴史に刻まれる新たなるものは何か。すべて、これからなのだ。
「短歌21世紀」発行所
〒三五〇ー一三二〇
埼玉県狭山市広瀬東一ー一ー五
電話 〇四二ー九五二ー二六一〇
「短歌21世紀」六十首
トンネルをいづれば右窓にひらけたる浅間山麓は雨ぐもりなり  荒 井   孝
            
いつ誰の染めにしものかこの辻に並ぶ石仏の唇のあけ      清 水 正 男
      
駒鳥の声絶えまなし朝明けになびく断崖のうへの林に      楠 瀬 兵五郎
     
狸除けに籾殻燻すわがめぐり玉蜀黍畑は夜霧つつめり      北 原 作 英
     
二十分歩き戻れば籐椅子にしづかに憩ふ五分七分        田 村 八 重
   
梅雨の雨多き今年は砌辺の秋海棠の花早く開きぬ        小 出 春 善
   
大道芸を認められしその人ら白塗の面表情乏し         藤 原 みよ子
 
立ち上り八時十五分頭垂るかくながらへて朝の食卓       大 の トクヱ
治安維持法に逆らひて倒れし命一つほの暗き倉に遺品は並ぶ   関 口 朝 子
      
断崖にくだくる満潮の波限りなし磯山を舞ふ夏アカネの群は   片 桐 文 子
     
車椅子操るにわが馴れしと思ふ退院の母を乗せてこの朝     中 山 やすゑ
      
トンネルを出で来て橋にかかりたる車輌の響峡に谺す      安 村 久 代
      
眠りより覚めず終らば安けしと思へど明日の米研ぎて寝る    増 本 いわ子
      
玉紫陽花の咲き続く道のぼりつつ間近かに聞けるクロツグミの声 多 賀 陽 美
  
教会に行けざる吾の受洗日に詩篇を記す一葉給ふ        中 川 尚 志
  
砂防林の半ばに至れば海鳴りの劫のとどろき空より襲ふ     今 関 久 義
      
不器用と吾を言ひて人をるらし幾度か覚めて夜の更けつつ    川 上 隆 司
満月の夜にヘチマ水とると言ひ妻はヘチマの蔓を瓶にさす    野 口 光 彦
     
アメリカを憎む心の永遠ならん八月六日夾竹桃紅し       田 中   要
      
馬鈴薯に出でし白き芽かきゐたり俄かなる冷えにシャツを重ねて 渡 辺 喜 子
       
葉の色と少し異なる銀杏の青きその実を月光に見る       大河原 マス美
     
車椅子のわが視野遮る防潮堤石組新しく網さへ干さず      浜 崎 達 美             
諦めと気負ひが交錯する朝を窓離れまた窓に寄りゆく      小 川 謁 夫
     
自らの思ひを言ひし事ありや模倣餓鬼かと吾を悲しむ      小野田   勉
      
裏があるすべてに裏があると思へばこれもその一つなり      府 川 富 造
     
何をしてもちぐはぐになり進まざりき或るはづみの成行とも思へず 有 門 大三郎
      
梅雨のあめに濡れつつ通ふ築地の道芥川龍之介の生誕地あり    横 山 季 由
     
深くゑぐれ光の鈍くとどく谷暗澹として森はさわだつ       藤 田 信 宏
     
時は過ぎぬ平等の空間にいますかと妄想ひとつしばらくやまず   奥 山 善 昭
      
キリストの磔死と釈迦の寂滅と空の高きに冷たき月か       古 賀 多三郎
      
脚を嘆く言葉幾度か聞きたれど足のばし今花の中にやすらぐ    大 橋 栄 一
西遠く移る白雲の逡巡も今日の歓びのひとつなるべし       斎 藤 彰 詰
わが前に死がある如く春送り夏を迎へるに又心乱れる       内 海 俊 夫
      
現し世の生死身近に思ふとき昼かなかなの声しきりなり      若 林 栄 一
     
朝毎に見る夢は同じパターンにて海面に散らばり迫る敵艦     若 月 又次郎
    
川土手に連なる桜の太き幹黒く潤ませて降りしきる雨       森 下   廣
ふさぎゐて何話すらむ子は母に手を引かれつつ帰りゆきたり    松 本 東 亜
      
思い上りしと気付きしより清々し夕霧深き海のべ帰る       堀   康 子
      
高熱の中に一瞬死の意識よぎることあり夢にまじりて      新 村 登美男
     
生かさるる命も長からずといふ時の間かへす言葉を失ふ     相 葉 比嵯子
     
ガス工事に照り返す道を掘る人ら夕べ仕舞へば吾も安らぐ    岡 本 とみ子
      
沼に生れ沼の水のうへに終る風ときには葦の穂を乱しぬ     杉 本 明 子
   
ただ一人同意しくれし人を思ふと今宵の妻のさみしさを知る   奥 澤 秀 樹
      
本渡の町に住まひて兄の著しし天草四郎時貞考を読む      松 本 章 子
       
声なき影過ぎてはかなきを追ふ心時の間吾の潤ひか是      由 井 霞帆子
形なさぬこころのさまに苛立ちて照り静まれる道を見下ろす   石 川 和 子
     
京釜線の成歡駅まで歩きにし一日かけて二十二里を       増 田 安 次
      
かなしくも李の核を噛みゐたり吾をあざけり笑ふ幻聴      今 野 金 哉
     
腹の子をかばへる吾の身の幅にをさなは襖を開けて待ちをり   青 柳 知 里
     
太陽は熱線の束を放ちたり人は三界に隠るる処なし       八 木 和 子
                 
ひと夜ひと日吹き荒るる風の岬にも白く直立ちエゾニュウ咲けり 佐 竹 玲 子
一丈の雪につぶされし家ありき冬眠のごとく春待ちし村     中 村 憲 雄
加速にも身体の浮くごと感覚も対応できる経験があり    桜 井 敏 幸
風葬とつぶやきながら荒海に茫然と立ち去りがたきもの    玲   はる名
    
出向先で産業振興への思ひ深まれど投融資部門に戻り得ざりき   神 山 卓 也 
                
暑い街の熱を冷ますようにどしゃ降りの雨は夜の道路を跳ねる  小 杉 絵 美
               
主義主張いへざる人と蔑めば声のしだいに荒くなりゆく    木 戸 京 子
     
東京への憧れなどは弱かりきいつか帰ると思ひゐたりき    小 川 優 子
     
水底の青ただよえる中を歩むごとしも君に向かいてゆくは   井 上 佳 香
     
目覚めると闇夜の窓を音もなく照らすものあり影青白し    明  日  香
    
 
 
 



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