エッセー
「キッチンの窓辺で」  (2001年6月〜2004年7月)
 
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「キッチンからの便り」 (1994年9月〜2001年1月)
 
 「さち子さんの帽子」開設に到るまでの心の軌跡、交友の歴史などを綴ったものです。


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 [11]   「かず子さんさようなら」-「キッチンの窓辺で38号掲載」(2004年7月発行)
かず子さんさようなら
三月末、インターネット上にホームページ「さち子さんの帽子」開設のための準備作業に根を詰める傍らで、原田和子様との交信が頻繁になっていた。筆ペンによる長い長い手紙から、入院先で認
められる葉書に切り替わっていた。不確かでありながら、いよいよ「その時」が近いのかという予感もあって、今までのように一週間を措かず折り返し返信を送っていた。お体に負担をかけぬよう文面は短くまとめ、その他の、病床にある人の耳目を慰めるような物を物色することに腐心していた。カラー写真をふんだんに盛り込んだ絵本訳を添え、一斉に咲き出した庭の草花などを映し、最新作の帽子を忍ばせ、小さな手仕事の品に想いを託していた。交信の絶える時が別れ、それが馴れ初め当初からの双方の了解事項であり、決して違約すまいという覚悟はありながら、「その時」をどのように迎えるかの心構えはなかった。ただ「今、何が出来るか?」、その事の模索を繰り返すうちに時が過ぎていた。
 だから、ホームページも、注文のあるなしよりも、今の状況でどのような意味を持たせ得るか考えることの方が重要だったと言った方がいい。彼女から戴いた九十余通の手紙を、ホームページに掲載するという発想もそこに起因する。その計画を、彼女がどう思うか?回答はおおよそ推測しながら、それとなく打診もした。心ない仕業かと思いつつ、意思を確認するなら今を措いて外にないと思われた。案の定、回答は応諾であった。「私もドキドキいたします。でも一度陽にさらしたもの、どんなまとまりになるのでしょう。・・・私にとりまして、ある種、生きがいのようなご交流でありました。誠に有り難うございました。・・・」(5/21)これが最後の音信になった。
 基本的に、戴いた手紙は私のものであるが、ご家族からの求めがあればお返しする意向は初めからのものである。それ以前に、電波に乗せることが出来れば、制約されずにご覧になれる。そして、より多くの同じ境遇の人々も目にすることが可能になる。その事を含め、語っておかなければ後悔するだろうことを、悲しみを堪えながら綴り続けた。私の気性には元々馴染みの薄い、感情表現・愛情表現諸々を惜しみなく書き連ねた。素晴らしかった、ありがとう、・・・。一時も長く生きて欲しいと切実に願われるだろうご家族の想いが、切なく我が身にもあった。
音信が途絶えてしばらくの間は、覚悟の上とは言え、またもや越えなければならない別れの辛さに心晴れず、日がな片付けものなどして過ごした。そうするうちに入り始めた帽子の注文に無心を努めた。心のどこかで、こうしてまた悲しみを遠くに追いやる時を過ごすのだろうかと、無情を苛む自分を意識しながら。
 この半年を振り返るに、ご病状は確実に進んでいたのではなかろうか。電話も映像も取り交わすことなく(私の方から送った音楽のテープに、辛うじて私の声が入っているのみで)、唯一、文字による交流であったから、その他の五感で感じ取る情報からは遮断されてきた。そして書かれた限りの文章からは、希に弱音や混乱が読み取れることもあったが、続けて、ということはなかった。次回には、見事に立て直しておられた。自身の境遇を越えて様々なことに言及し、さながら、社会事象全般に渡る評論家然とした印象であったから、病む人という現実を忘れることの方が多かったのである。
 不登校生の教育相談を通して、母親達との関わりも多かった彼女の主張に、「熱烈なかず子ファン」を自称する友人から、「解っていても意を尽くせない母親、境遇がある」と反駁してきたことがあった。それ程に、明解な言動だった。それも病状の進行を人に解りにくくした。
 しかし、改めて最近の手紙を読み返してみると、苦しさ辛さも彼女流に茶化したり一捻りしてはいるが、深刻度を増していたことが窺われる。そのことを端的に物語る幾つかの特徴を挙げると、まず、読点の多さであった。元々、筆ペンで記す文章は、多めのスペースを費やすからであろうか、読点が多いとは感じていた。が、昨秋以降、入退院を繰り返すようになってからは、特に目立ち始めたことに気づいていた。パソコンに入力する際の鉄則として、原文に忠実にと心懸けていたものの、頻繁な区切りは不審で、時に修正したい誘惑に駆られた。
 同様に、それまで普通に使ってきた画数の多い漢字なども、カナになっていることがままあった。互いに、漢字への拘りを吐露しあって来た仲であるから、戦線離脱は寂しいことであった。苦しい息遣いそのままに、休み休み、一文字また一文字と繰り出しておられたのだろうか。メカ嫌いの彼女が、手先が巧く利かず、必要に迫られて使うようになっていた電子辞書も、参照するだけの気力が失せ始めていたのだろうか?それでもレターグッヅを買い求めに外出しておられたというのは、正にそれが、書くことが彼女の生きる証だったということである。私も、返ってくる限り書き続けようと自分に言い聞かせ、そのことに不思議な喜びを見出すようになってきた歳月であった。
 その後のかず子さんの消息は、知らされていない。以後も知ることはないかもしれない。自分の中でしか存在しなかった人には、自分の中で別れを告げるしかない。それでも尚生き続けると知りながら・・・。
 かず子さん、さようなら。そして、ありがとう。
原田和子様からの私信(「かず子さんから の手紙」)掲載につきまして、長い間関心を 寄せて下さった皆様に、心から感謝申し上げます。折に触れて、皆様から寄せられたお言葉は、私なりにお伝えして参りました。直接 ルートを仲介しようかと思ったこともありますが、彼女の境遇と心根に鑑みて思い留まりました。
 病みながら果敢に生きようとする人の日常は、同じ境遇にある方に何らかの励ましにもなろうかと掲載し始めたことではありましたが、彼女の人間性に魅せられて、いつしかその拘りも薄らぐようになっておりました。それは決して、意図された「命の授業」といっようなものではなく、極ありふれた自然体の交流だったのですが、それ故にこそ、人に我が命を振り返らせたのかもしれません。
「さち子さん」の求めで刊行し始めました拙誌も、読んで下さる方あってここまで続けることが出来ました。深く深く感謝申し上げます。本号を持ちまして、一端休止と致します勝手をお許し下さいますよう。
 大変、有り難うございました。                    
 
 
update:
2008/03/23





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