かず子さんからの手紙
 
  室内帽を仲立ちに知己を得ました、原田和子様(千葉県白井市在住)から頂戴したお手紙の一部です。2001年2月に始まって、3年余の間に80通程になっております。


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 [1]   2004年1月から----------------------------5月まで
 
(5月21日 受信)----はがき
 たつ子様、*私もドキドキいたします。でも一度陽にさらしたもの。どんなまとまりになるのでしょう。丸4年のご交流でしたか。私にとりまして、ある種、生きがいのような交流でありました。誠にありがとうございました。
 室内帽、柏の方というのは、、存じませんが、多分、国立がんセンターの患者さんではないでしょうか。ここには、三種類位のニットの帽子しかありませんので、頑張って下さい。
* 「かず子さんからの手紙」をホームページ「さち子さんの帽子」に掲載することについて
☆ 3年(2001,1月〜)の誤りでした。松沢
 
(5月15日 受信)
 たつ子様、筆ペンをやめましたら、便箋の行が広いこと広いこと。
 お帽子、有り難うございました。外出帽ですね。時折、病院を抜け出して、タクシーを飛ばし、柏駅の高島屋デパートの鳩居堂へ、レターグッズを買いに行きます。手紙グッズは、鳩居堂にこだわりました。その折、被って出かけます。寝るときは、上等すぎます。
 話変わります。5/11火、私を外してDrと家族の話し合いがありました。私は、三児を育てるのに、私の価値観、宗教観、人生観、死生観、そして生きていく上でのグレードを、うるさいほどに植え付けました。それが人生を間違わずに歩ける基本と信じたからです。
 長男は、私をよく理解してくれました。長女も同じです。ところが二男は号泣し、「俺は、母ちゃんに恨みがある。母ちゃんの価値観でがんじがらめの俺を、このまま置いていくのかよ。」と。ハチミツに砂糖をかけて育てたと、周囲から私の甘さを笑われた次男の言葉には、辛いものがありました。
 話し合いは、私の希望に添うということで結ばれたようです。私の生命、でも、それは、私一人が占有するものではないのですね。夫と連れ添って34年、33才、28才、25才の三児をを育て、五人ファミリーとして、そこそこ幸せにやって来た様々な想い出が光という記憶の中につまっています。(歴史というのは光なんだと聞いたことがあります?) 私の究極の選択、究極の我ヶ儘を認めてくれた家族に、ただ、ただ感謝です。私は、本当にこれで良かったのでしょうか。最期のひとときを、平和に、豊かに、突っ走ってきた疲れをとりながら、神(仏)の迎えを待ちたいと思います。 
 たつ子様、私は、小さい頃から「オンリー1」でした。何をするにも、一人(勿論、協力者はいました)人と比べて物事に当たるということは、なかったと思います。逆を言いえばきっと、小心者故、流されるのが怖かったのです(正直)。物欲なども、あまり持ち合わせませんでした。指輪2個。ブランド物、わからず。洋服、必要な物だけ。体型の悪い私を、少しでもスラリと見せるには、こだわりました。・・・が。和服は、母の物が沢山ありましたので、利用致しました。今、病院生活で、どうしても手放せない私の第1位は、筆記具、レターグッズ、電子辞書、そして書けるという可能性。今のところ、ごくごく普通に過ごしていますが、やがて「食べる」という大切な生きる源がなくなった時、多分、筆を折るしかありません。私もその時が、一時でも遅れることを願っているのですが。
 毛越寺、中尊寺の平泉紀行、ありがとうございます。毛越寺庭園は、極楽浄土を模すとか。行ってみたかったな・・・。ハハハ。但し、私が何処へ召されていくのかは、本当にわかりません、能天気です。
  花の写真、みごとですね。どれも幻の花(関東では)。写真集でやっと、おめにかかれるものばかり。青いケシを連想するシラネアオイの花、どうか痛まずに。宝鐸草(淡竹花)とか、私は初めて知りました。ま、あまり、そちら方面を知りませんので。どうぞ、どうぞ、枯らさずに、大切に生命をつないで下さい。
  山菜となると、目の色が変わります。食い意地、この欲だけは誰にも劣りません。季節限定山菜。売ってない山菜。独特の風味の山菜。ウー、(怒ってる)たつ子さま、ひどいよ。食べ物の話題は、なし。特に、私がのどから手の出るほど欲しがっても手の届かない物は、なし。
 あーーあ、痺れる手も、よく動くこと。ではこの辺りで、ごきげんよう
                                         五月十三日 緑したたる日
 
(5月11日 受信)----はがき
 この葉書は浅草の香りだそうです?友人共が入院に際し差し入れてくれるレターグッズです。銀座の香りもあります。(そのうち。)
 お申し越しの件(インターネット上、ホームページへお手紙を掲載するという思い付き)、すでに私は、たつ子様に全権をゆだねています。どのようにお使い頂いても、ご自由に。このところのひんぱんな絵本訳と水沢のお祭り。色あせた入院生活の癒しと喜びです。今日 5/7、黄疸ひどく、目まいあり。ペンを執れること最高の嬉しさです。
 
(5月8日 受信)
 たつ子様、4/21水、国立がんセンター入院。歩行・呼吸・食欲低下。正直「体力の限界」でした。昼夜を問わずの点滴、コディイン経口、重複薬も投薬、何とか持ち直しました。
 今後、解決しなければならない課題が、いくつか発生いたしました。治療をどうするのか。生命そのものは、私個人の物なのですが、家族の心も無視できるものではありません。私自身の結論は、末期5年の間に、ゆっくりと醸成され、すでに出ております。
・ 助からない時点で無治療とする
 ・ 苦痛除去の対症療法は、積極的に受ける
 ・ 残された時間を大切にする この3点につきます。
 しかし、夫や3人の子は、私の結論をそのままストンと理解は出来ないでしょう。特に、35年の夫婦生活を共に過ごした夫にとって、妻が一人で先に逝くことは、理屈ではなく現実として許せないようです。主治医もその辺りを案じて、私を抜いて、もう一度、家族と話し合いたいと、機会を設けてくれました。5/11(予)正直、私は現在、燃えつきてしまって、何をする気にもなれません。あれこれいじられたくない思いでいっぱいです。全てのことは、私の我が儘から始まっているのですが。生死に関する大切なこと、夫にも、子ども達にも伏してわかってもらわなくては。
 解ってもらっているとばかり独り善がりの私だったのです。五年間というもの、家族には支えてもらってばかりでした。教育相談に突っ走り、グレ子を作らないことにうつつをぬかし、引きこもりの子を引きずり出し、お礼などと言われて、悦に入っていました。家族の苦悩など、思うこともなかったようです?反省、反省、大反省。残された時間、家族に快くとまではいかずとも納得ある理解を得、Drと話し合ってもらって、より良い終末を導きたいと思っています。Drと私の間では、昨年11月頃より、結論らしいことは、出しておりました。というところが現況でございます。
 これから先、たつ子様と、どの位交信可能か存知ませんが、筆の走る間は、お便り致します。「鶴の恩返し」ではございませんが、どうか今まで通りのご交情でお付き合い下さいますよう。決して、決して、見舞い、面会などとは、お思い下さいませぬよう。我ヶ儘なお願いでございますが右お願い致します。おわかり下さいませ。
 連休中より冷え込んで、病院は暖房です。国立がんセンターは、重症者が増えているのか廊下にズラリと車椅子とトイレが並んでいます。一番気になるのは「下の世話」です。怖い現実です。では、また。5月5日夜
 
(5月3日 受信)----はがき
 たつ子様、突っ走って参りましたが、限界を迎えました。只今、腹水、ふしゅ激しく、食欲なし。「食べたい物を食べて」とDrは言いますが、食べられません。元々、食べたい物など、白米と漬け物。人間、欲など無くなると、非常にシンプル。ただ、心境は澄んでいるつもり、4/30、夫とDrと私で終末ケアについて相談します。 返信、勝手でごめんなさい。
 ラジオを聴いていると、日々、「勝てないぞ」と思ってしまう。真の茶番劇を聴いていると、作られるお笑いなど全く色あせる。でも病人はもう笑うつもりもない。どこまで行くのかお笑い政治家。
 
(4月28日 受信)----はがき
 たつ子様、只今、柏・がんセンターの住人です。お便りは届きましたが、お返事の気力と、文字が追い付きません。本当に、力尽きました。 葉書逆転 ごめんなさい。
 
(4月12日 受信)
たつ子様、アクティブな行動は尊敬致します。でも、ご性格故、途中で引けない、辞められない、ついついのめり込む(アレ、人様のことを軽々に評価しないと、以前宣言してたようなま、いいか)で、精も根も尽き果てることのないよう。(老婆心)近くのご友人の助言も聞いて下さいね。
 さて、私め「かぼちゃの馬車」を、降りました。本当によく走ってくれて、特にお母さん達がよく乗ってくれたようです・30-40代のママにが、私信が届くことはまず無いようです。「うちのママ、おばさんの葉書で号泣してんの。」何気ない季節の話題と、セカンド・ネームでの呼びかけ、そして「辛かったでしょう、苦しかったでしょう」で共感を示しただけです。病気になって、責めること、説教することの無力が身に沁みましたから。ママ達は、三回目の私信辺りから事務所に積極的に通い初めます。そうなれば、不登校はほとんど解決です。いじめ、身体ハンディキャップ、その他、母子面接だけではどうにもならない事例も、不適応教室(ヤングハート・シロイ)に通室することで、ある程度はフォロー出来ました。たつ子様、私が担当した中学生の中で男女二人が、「おばさんみたいなカウンセラーになろうかな、と思うことがあるよ。でも、希望としては第三かな、地味だもんネェ」ですって。それでも、この言葉は私を天にも昇る心にしてくれました。
 文部省は、またまた教育課程変更とか。私は教育畑を歩んだ人間ではありませんので、間違った意見を述べるかもしれません。「ゆとり教育三年」で学力が下がったからとか。当たり前に決まっています。どこの優秀なお子様が、率先して応用学力を身に付けようなんどとするでしょうか。子供は基本的に遊びが好き。勉強が好きなどという子は、かえって危険です。(独善ですよ)そこで、金持ちの子だけ、応用力を学ぶべく塾へ塾へと通う訳です。ハンバーガーと飲料を持参して。私は、相談室に来るママ達を迎えて、いつも軽いショックを受けます。金髪、茶髪、トレーナーに穴あきジーパン。「あ、どうも、そうですか、どうも」一体、何処へ、何の相談に来ているつもりか。「不適応教室は、弁当持参です。必ず作って下さいね。」「えーー出来ないな」ですって。グレードも何もあったもんじゃない。それでも彼女達は、円周率も台形の面積も知っているのです。ゆとり三年間の子が、今からそれらを身に付けるとは思いません。朗読も下手です。百ます計算の広島の校長は、学ぶべき時に加減乗除はたたき込むことだと。昔でいう「読み書きソロバン」です。私も理屈がこうだ・・・などは、「きべん」だと思うのです。小学生のやわらかい頭の中に、読み書き、加減乗除をしっかり植え付けてほしいのです。東大や有名私大に合格する子は、ほとんど年収1000万以上だとか。貧しくても学力さえあれば希望の進学先が選べた昭和30--45年位は、いい時代でした。教育相談に来る中学生の朗読の下手さに、私は、朗読だけさせて帰すこともありました。日本語が読めなくて、なんの英語教育か・・・・・怒。とどまらなくなっちゃう。「小中学生には、べんきょうさせろ。」
 さて、母親のグレードですが、森ビル回転ドア事故で、幼児の手をしっかり握るままが、白井でも多くなりました。母親にママとしてのグレードがある限り、子供の生命は失われません。ヤケドもしません。あいさつも、箸の持ち方も身に付きます。箸の持ち方では、私の嫌いな方に入る歌手N.A.が面白いことを言っていました。「どんなにいい子でも、箸の持ち方の正しく出来ない子はマネージャーにしない」と。箸のうらに、その子の育ち方----一人食事、家族だんらんなし、基本的生活の躾?----が透けて見えるというのです。マネージャーという仕事は、常に気配り気使い、時間との戦い。箸を正しく持つよう育てられなかった子が、そういうハード、ソフトないまぜの仕事はこなせるはずがないと。第一、一日一回くらいは一緒に食事をするのに、目の前で妙な箸使いをされるのはストレスだというのです。言い得て妙、と私は思います。
 子供をそこそこ上品に育てたいなら、ママがグレードを保つべし。パチンコ、夜遊び、メールをやめ、品よく生活すべし。箸の持ち方、あいさつは、きちんと躾るべし。笑顔とあいさつはただですぞ。アレエ、我ヶ家に一匹、あいさつの出来ないご人が住んでたぞ「俺が頭を下げたら、税金が減る」とかぬかしおって。躾たのはダレだ?テロ対策で三日に一度は夜勤してる。地下鉄でテロされたらオシマイですから・・・ま、ゆるしてやるか。そのかわりに、「よく出来たカミさん」(?)の私が、あっちでペコペコ、こっちでペラペラ、そりゃ大変でございます。エヘヘヘヘ。ワレナベにトジブタだい!!ま、元気です。
 
(3月25日 受信)
 忘れないうちに・・・。かき菜は、油菜、菜花の雑種かと思います。栃木県佐野市には、純粋に「かき菜」と呼ばれる薹立ち菜があって、薹を次々とかき取って食すそうです。利根川の油菜も、からし菜あり、訳の分からぬ油菜ありで、周辺の人々はどれでも構わずかき取って食べるので「かき菜」と呼んでいます。甘い菜、ピリッと辛い菜、とにかく早春の利根川のめぐみです。一昨年辞められた教育長は「中国の黄砂と一緒に飛んで来たんだっぺや」と言っていました。ハハハハハ。
 さて、私は不登校生に、「グレードの高さ」を口うるさく要求致します。品、格、質です。品格のある親子は、割合に短期で学校に戻れます。箸の持ち方、鉛筆の持ち方が「?」で、相談室に来ても、挨拶があいまいで、衣類もくだけ過ぎの親子は、なかなか軌道修正に時間がかかります。あるいは、ちょっともどっては、また相談室にやって来ます。一ヶ月過ぎた頃から、ママにも葉書を出します。「ママ、おばさんの葉書を読んで泣いてたよ。」多分、葉書も手紙ももらったことがないのでしょう。そして、「かぼちゃの馬車に乗せて下さい」と相談室に返信が来れば、その親子は解決です。グレードなんて、一昔前の母親は、みんな身につけていました。我ヶ子の生命を守る為には、ほんの少しの常識(グレ−ドとあえて言います)さえ身に付いていればよかったのです。「食べさせる寝かせるトイレに行かせるetc.」家の中に炊飯の香り、みそ汁のにほい、そして、「お帰り、お休みおはよう。」
 先日、少年刑務所の子供達の食事風景を見て、あぜんとしました。皆、箸の持ち方がおかしいのです。また、NHK,引きこもり特集の31歳の青年も然りでした。多分、母親は、食事のマナーを躾なかったはず。そしてきっと挨拶の仕方も・・・。多分、父親の労働と経済の責任者に対する尊敬の念も伝えていないはず。
 三年の教育相談の中で、うすうす見えるのは、品も格も質も無い母親の元に不登校、引きこもり、不良と呼ばれる子供達が生み出されるらしいということ。これは、私一人の思いですので・・・。
 スイス民話「幸せなフクロウ」訳、ありがとうございました。前述の「グレード」に正にぴったりの絵本です。事務所に再コピーして残しておきます。そして、グレードとは無関係に、フクロウの生き方は、私にとって願いであり最良の人生であり、今となっては叶わぬ夢です。それでも明日は桜花、やがて八重桜そしてアヤメと夢は広がります。
 Drが「イリノテカンより他に、今のところ手が無くてゴメンヨ」と言って下さいます。果たして「ゴメン」などと言っていただいていいものでしょうか。当初こそ、3ヶ月入院し不自由を味わいましたが、以後4年と三ヶ月、通院のみで本当に幸せな日常でした。仕事も生きがいでした。ここで辞めるのは、私の勘です。いくら元気にしていても、私にだけ解る啓示があるのです。丁度いいかしらと。
 イリノテカンは、副作用で死亡する人が 3/100です。出来れば使いたくないのはDrの言からして明らか。でも、本当に生かされました。末期癌5年生存に入れてもらったのですから。Drの努力に泥をぬらぬよう、生きていきます。
 遅くなりました。室内帽、いよいよスタートですね。娘がいくつか気に入って「お母さん知らん顔して申し込んでもいいかしら」と。若い娘達の間で帽子を目深に被って小顔に見せるのが流行りなんだとか。「ファッションとは違うので、ちょっと待ってて」とおしとどめています。いつも私が友人に要求することは、一番脱毛のひどい時、とにかくモミ上げのツルツルと、襟足のみじめさを隠して欲しいと。今回の帽子は、その二点が完全クリアされています。そして深めのデザインは、眠ってしまっても、脱げる心配がなさそうです。(私の切なる要求と娘の「小顔に見えそう」との間の大いなるズレには大苦笑)
 たつ子様、言にもなく、のめり込むと全速力で突っ走るのでしょう。ご自分で「出来る範囲でとおっしゃるのですから、その言をお守り下さい。もっとも「これが私の出来る範囲」とおっしゃる限り、他人には何ともハア。???ご無理なさいませんよう我ヶ家のトンデモハップン娘様の反応もあるはず。どうか、くれぐれもお健やかで。桜咲きました。うれしいです。 三月 桜
 
(3月22日 受信)---はがき
 いよいよ桜です。桜屋敷は、さぞや見事でしょうね。白井の教育委員会、英語担当指導主事に、水沢出身の方がいて、びっくり。私は、いつも相談室に引きこもっていますので、委員会にはほとんど無関係でした。旧姓、鈴木という42才のやり手女性教師です。
 さて、私めもいろいろと忙しくなり、カルシウム点滴を週一、C.T.MRI,骨シンチと。検査・治療がメジロ押しです。「先生、四月じゃだめですか。」「ダメ、君を元気に生かしておくのが僕の使命だ」「もう5年も生かして下さったでしょう」「まだまだ」
 何だかなあ、うれしいような迷惑なような(罰あたりそう)冗談はさておき、どうも病状芳しからぬよう。私自身は元気なのに。四月になったら、入院も考えておけとか。仕事を辞めるのは、大・大・大正解ですって。また後日、詳しく。帽子、うまくいくように。
    
 
(3月4日 受信)
 大往生で父は逝きました。でも父は父。空虚感はいかんとも・・・。折しも、「窓辺で」の畜産家の方の話題、彼岸の国で、父は、その方と会うでしょうか。戦争を生き抜き、戦後を生き抜き、平成を少し味わい、どんな思いで浄土へ旅立ったのか、聞いてみたいものです。父はずいぶん長くボケていましたので、会話は成立しませんでした。それでも寝ぼけて、「逃げろ」「撃てえ」と叫んで「この子のかわいさ限りなし」とつぶやいたようです。38年前に、母七三子を失い、どんな思いで生きたのでしょう。長兄(あんちゃん)の「正直、安堵です。母の元へ父を送ることが出来ました。」に、兄弟はうなずきました・長兄の泣くのを初めて見ました。父と母は無事会えたかしら。私が逝くとき、二人で迎えてくれるかしら???
 「幸子’s帽子」残念でした。バブルの頃なら状況も少し違ったのでしょう。今は、スーパーがほんの少しのことで、つぶれていく厳しさ。商業ベースに乗せる前に、二の足を踏んだのでしょうか。一人一人の状況に合わせて、一つずつ手作りするのも、温もりがあっていいのかも・・・。私の帽子担当者は、私の注文を本当によく聞いて、耳まで隠れて襟足も深く、頭部はふんわりふくらませて云々かんぬんを守ってくれます。ちょっとした外出には、洋服と同系色の帽子で充分です。     イラスト         こんなふうかな。頭も身体と同じで、やせたりふとったりいたします。けっこう忙しい。ハハハ。たつ子様、結局、巡り巡ってもとの場所なのかもしれません。精一杯おやりになられての帰結です。逃げ道の用意などと、決して決して申せません。パソコンもデジカメも活躍致しますよう。
 当地白井でも、食に対する意識がずいぶんと変化して来て、「ジョイフル本田」という日本一広いスーパー(ホームセンター)にも、「ゲット」という中位のスーパーにも、農家の直販所が出来て大人気です。特に、自家製漬物は、何とも色も悪く、サイズもまちまちですが、出る途端に完売とか。人参も大根も泥(?)だらけ、ふぞろい。それでも、飛ぶように売れるそうです。一軒の農家が、中国落花生を自家製と偽って売ったのがバレて、一ヶ月、参加禁止になったとか。トリインフルエンザ、コイヘルペス、BSE.「そのうち豚もなにかでるよ」と、皆言っています。あまりにも人間の都合が優先されすぎた結果ではないでしょうか。
 私など、癌でさえなければ非常に理想的食事の典型です。??? 肉は食さず、魚は焼く煮る、野菜は生産者直結か野草(セリ、フキノトウ、ウド、ナズナ、カラシナ)中心。千葉では、カラシナが自生しています。カラシナ、タンポポ、菜の花と、冬でも採取できます。松丸家のちいっとしょっぱいみそですみそを作って食べると、野趣豊かな食卓となります。先日、娘がベーコンとウィンナーを買って来ましたが、とうとう私は食べることが出来ませんでした。夫と娘は、たまに肉料理もします。ご飯は、三分づきか胚芽米です。慣れると風味があります。たつ子様に申し上げるようなことではないのですが、周囲でも、食はよく話題に上ります。若い子育て世代の皆さんも関心が高くなっているようです。嬉しいことです。それでも、まだ、老い先短い人や、私のような先の無い者の方が熱心なのには、苦笑です。お手本として見てくれればいいかな。
 この手紙、相談室で書いています。天気予報が大外れして、春の大雪です。(3/1)相談者のママ達が、車を出せず、欠席が多くなりました。関東は雪に弱いのです。あと4回の出勤で、私は相談室とお別れ。引きこもり17才少女、外に出すことが出来ませんでした。精神科のDrが、あとを看てくださるというので一安心。本人も出たいようです。本当に充実の三年間でした。ちと寂しい!!では、どうぞつつがなく。
 
(2月17日 受信)
 今日2月14日、バレンタインデーは、「春一番」が荒れ狂う日になりました。また「苺チョコ」を作り、駅前交番の門脇巡査とその仲間に届けました。門脇氏、 108kg、もう立派な関取ふう。「嫁さん来ねえと、俺どんどん肥える」だと。残りの苺チョコは、来るかどうか。クレイグと、高校一年になった不登校坊主と夫と息子。誰にあげるは、もうどうでもいい。また、この日が来て、苺チョコが作れて、同じような時が流れて、それだけで私は充分です。
 洸先生の「違っていい、違うからいい」、胸にズンとひびきます。幸い私は、最高に恵まれた状況で癌治療を受け、Drにも恵まれ(人によっては、クールなDrで切ない想いの患者も多い)精神面のケアも厚く、その上生きがいに教育相談まで与えられ、これ以上の幸せはありません。病気は確実に進行しながら、本当に病状は穏やかに推移しています。座る、立つ、階段を上るに不自由はありますが、身辺の自立は保っています。(これが一番)
 たつ子様、幸子さんとふうちゃんとのやりとり、そして入りきれない想い。そんなこと、当然、いえ当たり前、たつ子様はだからこそ、誰とでも交流がおできになるのです。どんなに親しくなっても、例え親子でも、心の中などわかるものではありません。教育相談をしていると、想い違いのはなはだしい親ばかりやって来ます。我ヶ子を解っていると信じ込んで、全く解ってなどいません。子ども達は、一段上に登る頃になると、必ず、「誰もわかってくれなかった。おばさんは解ってくれたから」といいます。「それは違うよ。おばさんは、心の中なんてわからないということを知っていただけよ」子供達は、ありのままを受け入れてやることで一歩前進出来るようです。そして私は、親にも「本当によく耐えましたね、辛かったでしょう、苦しかったでしょう。」と言ってやります。きっと、死ぬほど殺したいほど辛かったのですから。
 たつ子様の生活信条、*リサイクル精神、今の時代にこそ意味を持つのではないかと思うのです。が、一度、何でも捨てることを覚えた日本人は、なかなか、自然生活に戻れないようです。 BSE、鳥インフルエンザ、野菜の過剰農薬、そのうち豚肉も、そして魚にも化学物質、多分、人の口に入る物みな、安全などと言えない日が来るように思います。その時、少しでも自分の目の届く場所で口に入れる物を手に入れられることは、最高のぜいたく。農家の松丸さんは言います。「何だってヨ、オメ、ハア、自分の目で見て、季節が来たモンから食ってりゃ、ハア、ディジョブナンダッペ」と。で、セリとフキノトウをくれました。「こんなモン、勝手に出てくんだっぺよ」でも、この頃は、散歩がてらにつんでいく人も多くなったと、苦笑いです。セリ(ロゼット状)とフキノトウの天ぷら、うまい。次は、山うどかな・・・。イヒヒヒ。と言いつつ、私は、生き続けています。松丸さんは、テレビで知ったからと、梅干しの種をたくさん届けてくれました。種の中の「仁」が癌にいいとか。「ちいっと砂糖つけて食うだぞ」と。ペンチでつぶして見せてくれました。そういえば、私もいつも「仁」は食べることにしていました。これがいいのかな。松丸家では、種を干しておいて食う習慣があるとか、風邪にもいいとか。アリガタイ。とにかく助けてくれております。足をどこへ向けて寝ていいのか迷って、寝相が悪くなります???
 不登校相談の私の後、4人ほど応募者あり。私は、プロのカウンセラーより、子育て経験のある(差別になるらしい、小さい声で)心の広い人(子供を認められる人、違うからいいと言える人)を願っています。でも、飛ぶ鳥後を汚さず・・・じゃなくって、文句を言わずです。時は流れていきます。今がすぐ過去になります。原田が辞めても、変わることなどありません。さあて、辞めた原田は、何をしようかな。ゆっくりと、ゆっくりと、考えます。春です。水沢の地にもネコヤナギ。 * 広告チラシの工作ー籠、額縁などーが日常の手仕事に加わりました。
 
(2月3日 受信)
 もう2月です!! 千葉も本当に寒いです。毎朝零下で、氷が張ります。団地遊水池に白鳥飛来12羽。「守る会」の人々が、玄米を与えたり、野良犬・猫を追っ払ったりと、一日中、椅子持参で世話をしています。隣村本埜村の田んぼには 600羽の白鳥が飛来。テレビ局が取材に来るは、農産物直売所が出来るは、一大観光地です。人々の寿命が延びて、第二の人生を白鳥にかける人、それを見に集まる人、みな高年者です。広い広い田んぼに野焼きの煙が流れると、白鳥たちは一斉に首をもたげ煙に向かって「コー、コー」と鳴きます。 600羽が一定方向に首を向けて並ぶ様子は、誠、壮観です。
 玄米が不足していると聞いて、友人が寄付するのに便乗して見学でした。筑波山と田んぼと、白鳥と、青い空。平和そのものでした。・・・・・・・・・・・・
 「歳月の兄弟」訳、ありがとうございます。千葉の冬も雪こそ降りませんが、かえって空っ風が吹いて寒さ厳しいこともあります。枯れ草の中に、フキノトウを発見する喜びは格別です。さしずめ、私のスノードロップというところです。・・・・・・・・・・・・絵本は、基本的に、大人が読み聞かせるものと、私は心得ています。読み手が言葉を補いつつ、エピソードなどをはさみつつ子供に語ってこそ、幼い心に何かを育むような気がします。いえ、私は、担当する中学生にも、時折絵本を読み聞かせています。「歳月の兄弟」、月曜日出勤の折、中二の二人の少女に読んでやります。私なりのエピソードを加えながら・・・。二人は、どこかでスノードロップを見つけてくれることを祈りつつ。月の兄弟たちは、順番にしかやって来ません。中二の二人にも、順番に春が来てくれることを願うのみです。
 私の勤務も残り二ヶ月。2月の白井市広報で、教育相談員を公募します。市議会で、公的相談員採用が不透明との意見があったからとか。いい人が応募されることを願っています。不登校を解決するとうより、子供達をそのまま受け入れてくれる人が理想です。ついでに、その母親のことも丸抱えしてくれる人なら、なほ、いいのですが。辞める身では、心の内で祈るのみです。ひょんなことから、週一回の仕事が本格的になって丸三年、とても充実でした。
 週一回の拘束がなくなったら、私は日々をどう過ごせばいいのか少し悩みです。見栄っぱりの私は、週一日のためにウィッグをいくつか揃え、スーツもシーズンごとに数着用意しました。夫が私を喜ばそうと、要求をのんでくれたからです。一日中自宅で過ごすには、用がない代物になりそう。たまあに、厚化粧でもして、北総線に乗るしかありません。??? とまれ、三月まで力の限り勤めます。
 一月七日、一月二十八日、病院。病状は、やや進行。でも、今のまま、タキソール継続。イリノテカンは入院して受けなくてはならず、しばらく遠慮。元気な日常 QOL優先。「生きる」ということは、人それぞれです。一日一日を幸せと思いつつ、生きております。では、また。
(1月28日)---はがき
 見事な欄の花ですね。高価で品のある花に縁遠い私は、今年も君子蘭と仲良し。
 千葉も大寒に入り、サミィー。一日中、リビングでゴロゴロ。早く春よ来いです。そろそろ、フキノトウが出たようです。誰か持ってきて・・・。
 
(1月15日 受信)
 今年も残り 354日です。エヘヘヘヘ。果たして、どこまで歩いて行けるやら。とにもかくにも今年が走り出したことは確かです。
 国立がんセンター統計によると、末期乳癌の5年生存率は10%以下。運よく10%に入れたようですが、すでに5年目に突入。「お前の寿命は、もう来ているよ」と・・・ピンと来ていませんが。身体と心を半分にして、クールな原田は「そろそろ本気で覚悟しよう」と。そしてパニック原田は「もう少し何とか打つ手はないの」と。
 一月七日、検診。現在投与中のタキソールは効果なし(進行が止まらない)。したがって投与のイミなし。1 ホルモン剤経口 2 イリノテカン投与 3 無治療、モルヒネ使用。ウーーーン。どれを選んでも、それほどの期待はなし。心をきたえるより他に手は無し。クールな心では「5年も生かされたのだし」でも、だから死んでもいい・・・とは、なかなかねえ。むずかしいものです。
 心臓に毛が生えていると、誰からも言われる原田が、さすがに参りました。身体がだるくて、何をすることも出来ないのです。気力がないのです。二男が家を出て、夫と娘と私。朝食以外、夫も娘も家で食べません。私も食事がのどを通りません。ニンジンとリンゴのジュースを飲み、ロキソニンとガスターD錠を服用し、痛みが強くなるとコディンを飲みます。一日中、うつら、うつらと、炬燵にもぐっています。一月十四日、治療選択、私としてはどれでも・・・夫と娘は「まだ、元気なのだから、挑戦してみて・・・」と。きっと、たぶん、やっぱり、挑戦することになるんだろうなあ。
 新年早々、シンキクサッ。今年のベランダ園芸でも考えよう。プランターを12個、全部透明ビニールでカバーしたので、早くもペチュニアと松葉ボタンが花盛りです。安価な花ほど忠実です。そうそう、友人から下品ノンデリカシー、やたら元気で派手と、逆説的おほめの言葉を頂戴している君子蘭、そろそろ咲きそうです。たのしみ!! なんと言われようといいのだ!! エネルギッシュなオレンジの花は、みるからに力強くていい。 たつ子様の翻訳童話、おそれ入ります。世界中にどれ位の言葉、どの位の童話があるのでしょう。少しでも新しいお話が紹介されるのは嬉しいことです。私は何ほどの高い志もなく、まんぜんと生きて参りましたが、本との付き合いは唯一自信がありました。高校二年で「チャタレイ夫人の恋人を感想文に選び、県の準優勝になったのですが、当時、あまりの問題小説ということで、全国大会には出られませんでした。」以後、「ふん、それがどうした。ナンジャラホイ」と、はすかいに物を見る変なクセがつきました。(イヤ、元からおかしかったかな)何回かの入院生活でも、ベッドにテレビを置かないのは、私位でした。テレビなど、無ければ無いで何の不自由もありません。但し、書く物、読む物が無いのは、地獄です。この頃、がんセンターに絵本の無いのがとても不満です。かと言って、私がせっせと集めた絵本を寄付する気には、今のところなれません。絵本は子供のための物・・・いや、少し違いますよね。私は、充分読みごたえがあると思うのです。たつ子様が所有されるアラビア絵本には、果たして何が描かれているのやら。アラブ世界の子供達の読む絵本、興味があります。
 さて、勝手に冬休みとっていますが、一月十三日、呼び出し予約がいっぱいなので出勤せよと。D.V.(Do-mestic Violence 家庭内暴力)小四坊主を児相(児童相談所)に連れて行くのに付き添えと。昨年大晦日、ママ家出。父親、仕事に専念出来ずお手上げ。(アレ、去年もこの騒ぎしてたぞ)だったら、D.V.なぞするな!! いつか、子供に殺されるぞ。何だか新年早々、また騒いでる。お金があるって大変なんだね。明日、パパと坊主、早く来るんだとか。お金があっても家政婦が逃げ出すのだから、どうしようもない。トホ!! 普通に平凡に暮らすことが何故出来ないのかしら。ま、こんなところで明日から仕事、これもまた諒、では
update:
2008/03/24

 [2]   2003年1月から---------------------------12月まで
 
(12月31日 受信)
 はてさて、この便りは2003年中に届くやら・・。
 亀井氏と天野氏(「ダムと日本」の著者 天野礼子氏)とのやりとり、何ともおもしろく、そしてさもありなんとうなってしまいました。夫は、都・交通局で地下鉄の電気系統の設計を担当しています。つねに運輸省、建設省(今は名も変更)のお役人と許可をめぐってやり合います。帰宅しての一言「東大卒の頭の中はコンピュウターなんか及びもつかん」です。ま、元々コンピューターなぞ人間の考えた万能計算機ではありますが(私の私的見解、メカ嫌いはこうでも言ってうさ晴らし)。とにかく、50年 100年先のことを予見して見事な道筋を組み立てるらしいのです。たとえば道路一本通すとすると、まずやり易いところにドカンと広い道路を造ってしばらく放っておく。勿論未使用のまま。住民はあちこちにあるつながらない未使用道路に業を煮やし、やがて「早期全面開通」なんぞと、建設バックアップ運動に発展。道路用地住民は多勢に無勢。泣く泣く用地買収に応じ、めでたく道路開通となる。道路もまた、そこそこ完成位に造っておく。五年もすると、デコボコ、不具合が発生。すると改修工事で仕事が生まれる。ま、一例ですが実にうまく考えられているのだとか。凡人頭の夫など、最初から完ペキにと考えるが、東大卒の役人は事故の起きないくらいの完ぺきさが理想なのだとか。いつまでも仕事があり、建設関係はうるおい続け、世の中はうまく回る。ナ〜ルホド。チャンチャン。要は、最初から完ペキ、完全なものなど造らない方が大事なんですよね??? で、亀井氏、やっぱり頭いいのですね。彼も東大卒。社会党は、見事、ぶっつぶされました。きっと、私共には(いえ、私にです)理解不能な回路で脳の構造が組まれているはず。そういう有能さが、真に国民の幸福に向けられたら、亀井氏総裁でもいいかな。でも、どこかキ弁と逃げの操作が気になるところではあります。ちと疑いすぎるかなあ。テヘヘヘヘ。・・・・・
 年末になって二男が自立。少し寂しい。電車一本で行ける日本橋。たつ子様のご子息訪問とは比べようもない近さ。それでも「絶対、のぞきに来ないで」と姉にも宣言。姉は芝浦で、二男より遠くに通勤です。ま、どんなことになるやら。いつかのれん分けで、白井にお茶の店とお茶教室を開きたいのが夢(あくまでも夢)だとか。・・・・・・・・・・
 2004年、どんな年になるのでしょう。さしづめ私は、1月7日、抗がん剤。C.T.の結果次第で、副作用で死者も出るというイリノテカンに切りかわります。図々しく生き延びてきた私、この位で負けてなるものか・・・とは思っています。少しでも希望のもてる新年でありますことを。  
(12月15日 受信)
 たつ子様、今回の痺れは、誠にきつくて、降参です。抗がん剤にもどうにか仲良くしてもらいつつ、今日までやって参りましたが、そろそろ限界が来ているのかもしれません。ロキソニンをもらい、リン酸コデインサン10%をもらい、痛むとき、辛いとき服用いたしますが、思うほど楽にはなりません。あれれれれ、こんな話題から入るとは・・・・。
  いよいよイラク派兵ですね。S39-42まで大学にいた私は完全なノンポリでしたが、それでも政治や労働運動に少しは関心がありました。今、世の中は太平洋戦争に突き進んだあの頃に戻ったのでしょうか。大声で唱えるメディアも、政党も、組合も、学生も見当たりません。憲法九条はどうなったのでしょう。私は教養科目で、一度落とされましたので、条文をそらで言えるのに・・・自民党タカ派の亀井氏が、派兵はおかしいというのを聞いて、大嫌いだった心が少しゆらいでいます。でも、世の流れというのは「アレ、アレ、アレ???」 と思っている間に変わっていくのかもしれません。今の私には、叫ぶエネルギーはありません。市議姉もいつになく言葉少なく、姿を見せません・・・・・
 「かぼちゃの馬車」12/4付け「ひととき」(朝日新聞コラム)、反響多くてびっくり。昔々の友人から便りが来たり、ルポライターと名乗る人が市役所相談室に問い合わせてきたり・・・。巣立った子が、「元のカボチャにもどるってどういうことよ」と怒ってきたり。ちょっと、刺激が強かったかな。でも、宣言しておかないと自分にけじめがつけられなくて、自分のために書いたようなものです。三月までだってホント、自信ないんだから。私はきっと、ホントはすごく弱いのかも・・・・ナンテネ。
 今年も残り半月だい。お正月早く来い。新年だからって何もいいことなんかありそうにないけれど、生きているだけで充分だい。三月までは、カボチャの馬車を走らせなくっちゃ。Drは「ふうん」だって。「痛みがあれば、コディインふやしてもいいよ」と。薬剤師は「量は守って下さいよ」と。どっちなのよ。多分、Drは「これ以上良くならないのに痛みをがまんする意味はない」薬剤師は「依存が怖いよ」と。どっちでもいいわい。QOL が一番。お正月は、薬と仲良く楽しくだい。ちょっと投げやり原田でした。でもご心配なく、これもストレス解消です。
 12/12 金、相談室から呼び出し、「真意を聞きたい」と。市議姉まで同席している、コンナロメ。正直に「体力の限界」とお答えする。そう言えば、私が抗癌剤と闘っている頃、印旛地区教育委員会は中三男子が中二女子を刺して重傷を負わせる事件に大騒ぎでした。白井管内でなかったので、私はゆっくりベッドの中でした。中学生はますます心と身体のアンバランスが進むのでしょう。トラブルも増すでしょう。でも「カボチャの馬車」は、もう限界です。・・・何だか、今日はグチばかり。
 
(12月11日 受信)---はがき
 12/4付け、朝日「ひととき」に「カボチャの馬車」採用。「声」に投稿したのですが、T・Yという親しくなった編集員が名古屋転勤で、ボツになりました。内容を「ひととき」用に改めて書き直しましたら採用でした。三月で相談員を辞すつもりです。
 12/8、抗がん剤ちと辛いよう。なんて珍しく言ってみたりして。
 
(11月26日 受信)
 たつ子様、「木鬼灯のドライフラワー、誰のおかげよ」と、狭小者を自認する私ではありますが、すごく不満です、ハハハ。・・・とにかく、ドライフラワーとしては何ともボリューム感、品、形と、大歓迎されています。管理事務所の友人は、畑で作った物をちゃっかり、市の「ふるさと祭り」で一本百円で売りさばいたとか。(私は、人混み禁止で行けなかったのに。)「原田さんにあげようと思っていたのも、2日目に売ったの。ものすごい人気だったんだもの。」(だったら、言うな!!) 我ヶ家の木鬼灯は、4本残りました。本当は、たあーーくさん取れるはずだったのに。誰も持ってきてくれない。クソーッ。友情なんか信じられない。トホホ。それでもまあ、満足。こんなことで騒げるうちが華というかも。・・・・・・
 たつ子様と私との交流方法は、随分と異なるのかもしれません。・・・私はどちらかというと深入りするタイプ。だからこそ交流を始めることにちゅうちょします。たつ子様は相手の邪魔になることを極力おさけになる。土地柄もおありになると、以前書いておられましたが。そのかわり、求められれば疲れを押して応じてしまわれる。
 私は今、癌から来るのか五十肩なのか、右手が上がりません。(書くことは平気です)家事全般を、夫と娘にしてもらっています。たつ子様が何かを人に頼るなど、おありになるのでしょうか。ピアノをたたくのは(私にはわかりませんが)相当な力が必要と思います。あまりご無理なさらずに・・・と申し上げても・・・まあムリでしょうね。どうかどうか、お大切に。(必要に迫られて弾き方が過ぎると、肘が痛むようになったと書き送ったことに対して)
 さてさて、選挙が済んでぐるりと見渡せば、「不戦」の志など消えたが如く。イラク派兵、個人保護法、きなくさい法案がザラリン、ゴロリン。夫も娘も首都勤務。「都庁舎なんか一番先にねらわれるな。石原さんがいるし・・・。」夫。「私の病院なんて、車が突っ込んできたら一発でペシャンコよ」娘、「俺、電車がコエー」息子。平和ボケ日本など、ひとたまりもないことでしょう。殺されるも殺すも、大、大、大反対。おまけに年金制度改革、ゆる
せネー。・・・・・ なにより、無駄金を使うなあ!!・・・・・・・・・小泉さん、本当の構造改革は、すべてのシステムを白日の下にさらすことなんじゃないかな。・・・年金督促すごいですよ。さすがに娘もこの頃、弟を怒らなくなりました。「一万三千八百円、自分でためるか使った方がいいわよ。お前が65才まで生きられる保障はないもんね」ですって。我ヶ家ですら(公務員・サラリーマン)こうですもの、大方の若者が国など信じていないということです。・・・ぐちばかりになりました。・・・
 
(11月13日 受信)
 たつ子様、ご心配おかけして申し訳ありません。今しばらく筆ペンは走り続けます。筆ペンが、無理になった時は、私め、お別れの時と決めております。その時が可能な限り遅く来ますよう、あんれれ、何とまあ悲観的な・・・。私らしくないぞ。
 11月9日(日) 行きました、選挙。どんよりとして、いかにも選挙日和。娘も息子も同行です。因みに息子め、口ほどにもなく、いまだフリーター。「景気でも良くなるよう投票すっか」ですと。娘は・・・・・・・ 果たしていかなる結果になりますやら。せめてゆりかごから晩年まで夢と希望と安心を持てる国でありたいものです。そして、殺すことも殺されることもない国でありたいと切に思います。
 たつ子様、ご実家での描写、私まで懐かしく読み返しました。無駄のなかった頃の暮らし、いや、無駄な物がなかった頃の暮らし、もう戻らないことばかりです。我ヶ家にも、木綿を織るための綿の実くり器、糸巻き器、織機等々がありました。今は、もうどうなったかわかりません。元気でしたら綿の実くり器位、何かに使えるのですが・・・。それにしても軽米訪問、大変なことでございました。でも近日中、再度おいでになられることと拝察致しております。母上様、お健やかなうちに。
 子どもの頃に目にした物が小さく見えること、身にしみます。小川にかかる橋、泳いだ「せき」のが狭さ
etc. もう、なかなかもどることのない故郷が急に恋しくなりました。
 話変わります。私め、身長 154.5cmでした。先日、入院中毎日、身長・体重測定でした。ナースセンターの前で測定しながら「ギャー」と叫んでしまいました。ナント、ナント、身長 145.8cmだったのです。10cm近くも縮んでいたのです。股下の長さはそれ程変化がないのに、上半身は見事に縮むようです。骨の数(節の数)が多いからとか。足は三カ所しか節がないので、縮まないのだそうです。ナールホド。でも大ショック!! 元気な頃は、クツのヒールは必ず 6cm以上と決めて、160cm を気取っていた私めですが、今はくクツはスニーカーやウォーキングシューズ。パンツも股下を 5-6cmサバ読んで長く仕上げてもらっていたものばかり、トホホ。人間は、二足歩行をするようになって、多分、バランスが悪くなったのかもしれません。お年寄りで、下半身は普通に見えるのに、上半身が異常に屈折したり、短身になられたりしている方を見かけますが、あれは正しく、今の私です。
 ま、何だかんだと申せ、背が縮むこと位「何じゃらホイ」ではございます。生きていること歩けること、口うるさく話せること、これが何よりです。あ、忘れました。「食べられること」「書けること」うん、私もまだ大丈夫。一番好きなこと二つを平気で忘れられる位ですもの、イヒヒヒヒ。ということで、元気です。今年も残り一ヶ月余でーす。がんばってる私めです。11月11日(ゾロ目です)
 
(11月13日 受信)
 たつ子様、ご心配おかけして申し訳ありません。今しばらく筆ペンは走り続けます。筆ペンが、無理になった時は、私め、お別れの時と決めております。その時が可能な限り遅く来ますよう、あんれれ、何とまあ悲観的な・・・。私らしくないぞ。
 11月9日(日) 行きました、選挙。どんよりとして、いかにも選挙日和。娘も息子も同行です。因みに息子め、口ほどにもなく、いまだフリーター。「景気でも良くなるよう投票すっか」ですと。娘は・・・・・・・ 果たしていかなる結果になりますやら。せめてゆりかごから晩年まで夢と希望と安心を持てる国でありたいものです。そして、殺すことも殺されることもない国でありたいと切に思います。
 たつ子様、ご実家での描写、私まで懐かしく読み返しました。無駄のなかった頃の暮らし、いや、無駄な物がなかった頃の暮らし、もう戻らないことばかりです。我ヶ家にも、木綿を織るための綿の実くり器、糸巻き器、織機等々がありました。今は、もうどうなったかわかりません。元気でしたら綿の実くり器位、何かに使えるのですが・・・。それにしても軽米訪問、大変なことでございました。でも近日中、再度おいでになられることと拝察致しております。母上様、お健やかなうちに。
 子どもの頃に目にした物が小さく見えること、身にしみます。小川にかかる橋、泳いだ「せき」のが狭さ
etc. もう、なかなかもどることのない故郷が急に恋しくなりました。
 話変わります。私め、身長 154.5cmでした。先日、入院中毎日、身長・体重測定でした。ナースセンターの前で測定しながら「ギャー」と叫んでしまいました。ナント、ナント、身長 145.8cmだったのです。10cm近くも縮んでいたのです。股下の長さはそれ程変化がないのに、上半身は見事に縮むようです。骨の数(節の数)が多いからとか。足は三カ所しか節がないので、縮まないのだそうです。ナールホド。でも大ショック!! 元気な頃は、クツのヒールは必ず 6cm以上と決めて、160cm を気取っていた私めですが、今はくクツはスニーカーやウォーキングシューズ。パンツも股下を 5-6cmサバ読んで長く仕上げてもらっていたものばかり、トホホ。人間は、二足歩行をするようになって、多分、バランスが悪くなったのかもしれません。お年寄りで、下半身は普通に見えるのに、上半身が異常に屈折したり、短身になられたりしている方を見かけますが、あれは正しく、今の私です。
 ま、何だかんだと申せ、背が縮むこと位「何じゃらホイ」ではございます。生きていること歩けること、口うるさく話せること、これが何よりです。あ、忘れました。「食べられること」「書けること」うん、私もまだ大丈夫。一番好きなこと二つを平気で忘れられる位ですもの、イヒヒヒヒ。ということで、元気です。今年も残り一ヶ月余でーす。がんばってる私めです。11月11日(ゾロ目です)
 
(10月30日 受信)
 お待たせ致しました。(勝手にそう思って・・・)久し振りのふうちゃん、M子さんのご消息。状況は万全でないまでも、ひとまずヨカッタ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何一つ、自分の人生に悔いることはないと思うことにしているのですが、旅についてだけは心残りです。仕事にかまけ、子育てにおぼれ、日常に流され、「いつだって行けるわ」と、後回しにしておりました。かつ、グループ行動が苦手でしたから・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 あまり、自分の最後について考えることをしない私ですが、今回は、少しまじめです。(?)幸子さん(お会いすることも、姿を見ることも、話すこともなかった)が、ふと身近におられるような気がいたします。彼女が「まだまだよ」とささやくような。きっと、幸子さんは、ご自分が仕事場としていた医療現場で、もっともっとご活躍なさりたかったのでしょう。私は、あまり流れに逆らうことをいたしませんので、あるがままにいきます。ただ、夫や、子供達のことを想うと、我ヶ道を行くだけでは済まないこともあります。むずかしいことです。
 たつ子様、他所様のことはよく解りませんし、口をはさむのもひかえるべきとは思っております。ですが、口から先に生まれた原田(?)、一言申し上げます。どうぞ、ご主人様お大切に。お子達お大切に。今日は、この辺で。痺れがひどくて、物に触っている感じがないのです。お元気で。
 
(10月22日)
 退院いたしました。手足のしびれ、節々の痛みだるさ、極限。これで効かなきゃ許さネェ!! 細かくは後ほど、お許しあれ。
 
(10月18日 受信)--はがき
 秋深し、只今、原田、柏の住人。ゼローダ錠、副作用ばかりで効き目なし。クソー!!新抗癌剤投与です。4−5日入院。無治療の勇気なし。あと少し、生きていたいので・・・。詳細は後ほど。
(9月22日 受信)
 金木犀が香り出しました。ヤッタア。去年、「来年、もう一度、香りをかげるかなあ」と思いましたから。毎年、毎年、元気だった頃は、何でもなく通り過ぎる季節の移ろい。今は、ひとつひとつ挨拶して通り過ぎます、テヘヘ。そして中学校から、ホント、下手クソなもう耳をふさぎたいヘタクソな歌声。いよいよ合唱祭です。この聴くに耐えない歌声が日を追うごとに、「ふん」「おや」「やるじゃん」となるからフシギ。ま、下手クソでも、「ああうたってるな」と顔がゆるむのはなぜなのでしょう。音楽は確かにひとの心を癒します。私は今でも、宗次郎のオカリナのC.D.を手放せません。就寝のときには、リピートにして聴いています。特に「大黄河」が大好きです。私が旅立ちの日には、これを流してもらいます?・・・・・・・・・・・・・
 昨日(9/17)病院、4年前病室で一緒だった方と、バッタリ。「再発して、入院しているの」とか。この人には、「病室で吐かないでね。洗面所で吐いてね。」「メソメソしないでね。泣きたいのは、みな一緒なの。どこか別のところで泣いて来て」etc.教育されました。リンパ腫が首に出たとか。放射線治療で、左首部が、真っ黒にヤケド。「のどが痛くて、食事が出来ないのよ」と、胸から管を入れて栄養補給。辛そうでした。でも、おきれいにして、毅然として、4年前と変わらない趣で頑張っておいでです。「ベッドを囲むカーテンは、辛くなかったら開けておきましょう。お部屋が明るくなるでしょう。」そういう方でした。「ぜひ、お元気になってね」「あたり前よ」そう言って別れました。二週間後、退院されているといいのに・・・。私はCT撮影、投薬、アレディア点滴。「おお、元気そうだね」Dr. 「ハーイ。秋ですから、丸四年ですから」私。 Dr.「もう丸四年だね、まだまだ元気でいけそうだね」私「モチロン」で、オシマイ。ガンバンベエ。病院周囲の柏の葉公園はすっかり秋、ススキの野原でした。
 東京に近く生まれ、日帰りできるところでずっと生活しております。友人達が、毎年里帰りに多大な費用と日数をかけることを、 半ばあきれ、半ばうらやましく眺めておりました。さらに、私は早くに母を亡くしましたので、里帰りの経験はほとんどありません。出産も夫と二人ですませ、子供達も1−2日しか双方の実家に止まることはなかったのです。多分、実家に頼らずとも何もかもあって小kまらなかったからでしょう。たつ子様の今回のお手紙、考えさせられてしまいました。(進学、買い物)病気、就職、その他首都圏の私共には何でもないことが、いかに生活を左右することか。また、人々とのこうりゅうも、移動が割に自由な団地住まいとは比較にならないほど、濃密で難しいことか。そのなかで暮らしておりませんので申し上げるたちばなどにありませんが、。「うーむ」です。確かにテレビなどでは「田舎ぐらし」を特集したりしてらいさんいたしますが、 ほんの上っ面をなでるだけ。季節の変化、生活の厳しさなど、一年を通して報じるべきですよね。
  洸先生のテープの中に「四季の雨」という歌がありました。暖かい地方の冬の雨は、春の知らせ。でも寒い地方の冬の雨は冷たく厳しいというような解説でした。雨粒一つでも差があるのです。生活全般になれば、ホント、差がありすぎ。「平等」などという言葉はむなしいものでございます。十一月か十二月には国政選挙あるやとか。日本を大きく変える流れは、生まれるのでしょうか。どこもかしこも、自分に甘く他に厳しく、そういうルールが出来ている気がして。あれれ、一番、私がそうかも・・・。「おばさんはね、君がグレようと学校行かなかろうと、ちぃっとも困らないのよ。そこんとこ、よおうくわかっててね」と、いつもつきはなすことにしていますから。・・・・・・・・・・・・・・・
 
(9月6日 受信)
 9月1日、相談室へ夏休み後初めての出勤。相談件数3件。
一、 D.V.親子、父親の改善望めず、精神科受診と、県児童相談所へ対応を頼むことにしました。4年生の男子の精神状態が、不登校相談では対応しきれないほどです。また、母親もバランスを崩し、シェルターなどの必要性も考慮しての処置です。何だか無力感を覚えます。
二、 高一坊主、ママの朝食、三年四ヶ月無しでした。この夏休みは家出もなく、シンデレラタイム(12時)前には帰宅。塾にも参加し、まずまず。やはり、母親業は大切です。ママ達は朝食抜きで育ったのでしょうか。どうも、その辺りがよく解りません。でも、運動会や遠足にコンビニ弁当という子は、年ごとに増えているようです。母親業を忘れさせる要因は、余りにもちまたにあふれかえっていますから・・・。
三、 引きこもり女子四年目、16才女子(母親)。この夏、丸坊主になってしまったと。やっと、市の
精神科の医師の家庭訪問が七月に一度実現し、相談室(基本的には義務教育対応。継続で、高校の不登校相談までは扱っています。)から、市の福祉課の方にお願いする段取りが整ったのですが、母親は「原田さんが一緒でないと娘は誰とも会いません。もう少しお世話になりたい」と。9/22(再度)、医師と共に訪問予定。あーーあ。わたしゃ、いつまで元気でいなきゃならないの?
 9月3日(水)、定期検診、アレディア点滴。ゼローダ錠処方、痛み止め、ビタミン剤処方。池田裕子(絵門裕子のペンネーム)さん、どうなさっているのかなあ・・・などと二時間ベッドでジトーッと。隣のご婦人は膵臓癌で達観したご様子。六時間の点滴とか。「私、キリスト教に帰依いたしましたの」と。それでも、やはり命が惜しいと思えたのは、ナースにホントにホントに遠慮がちに「あのう、お気を悪くなさらないでね。点滴の管の中に空気の泡が三つありますのよ。これ、血管に入る心配はございませんの」と。「ああ、00さん、今日の東大病院の診療ミスが心配なのね。大丈夫ですよ。途中の機械の中で、気泡は取り除かれますからね。でも気になるでしょ。上にあげて取っておきましょうね。」ベテランナースは、点滴チューブをトントンたたいて、空気を抜いてしまいました。国立がんセンターのいいところは、本当に何でも言える、何でも聞いてくれるところです。東大病院で意識不明になられた24才のお嬢さん、どうぞ、回復されますよう。・・・・・・・・・・・・・・・・・そうそう、病院で親しくなった青森、みんまや(三厩)の老婦人が「ミズコブ」をお土産に下さいました。めずらしい。ずっと、東京の娘さんの家から柏に通院なさっていらしたのですが、お盆に半月ほど青森に戻っていらしたようです。こちらにいて、一週間に一度の点滴を受けていた時は、もう、完全な病人でしたのに、 9/3は、顔も美しく笑顔も多く、とてもお元気そうなのです。「青森はいがったよう」と。孫や親戚が来て、楽しかったと。海の幸、山の幸をいっぱい食べたと。そう、病気の一番の薬は、快いこと。 QOLにあるのです。見違えるほど顔色の良くなられた彼女は、親しくなった人々に、小分けした「ミズコブ」を、いそいそと配っておられました。「アンタ、三月になったらまた青森へいぐがら、漬け物、持って来てやるよ。それまで生ぎでねばだめだど」、おたがいがんばりましょうね。ほんわかしたロビーでした。ご心配いただいた足の痛み、慣れたのかビタミン剤が効いたのか、ずいぶん楽になりました。ありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  室内帽の件、具体化ようございました。お手伝いせず申し訳ありません。実は以前に、「患者の会」を柏で立ち上げようともくろみ、主治医に「アドバイザーになって下さい」とご相談申し上げて一喝されました。「原田さん、何考えてんの、君は末期だよ。癌患者にはストレスが一番敵なんだよ。教育相談だって賛成じゃないのに。また何かやらかすのはダメ。ダメ、ダメ、ダメ」と。今になると、体力的にも何かを始める力はないようです。商業ベースに、ハンディのある者達のグッズがのっていくのは、健常者にとっても意味があるように思います。うまくいくことを、心から念じております。・・・・
 
(8月26日 受信)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 8月20日(水)検診。足先の内出血をDrに見せると、「わあ、痛かったねえ。こんな副作用が出るんだねえ」と、驚いてくれます。モー!!「ビタミン剤、処方しておくね」?ビタミン剤で痛みがとれるのかなあ?とにかく、クツをはくのがホント辛い。痛い。薬は気分悪いし、足先と手の指先も痛いし、病気を改善させるために、こんな想いをするのは、癌とヤケド治療位かも。普通は、苦痛を取り除くのが治療というのにね。癌治療は、苦痛と二人三脚です。トホホホホ。Drにぐちってやったら「ごめんな、がまんしてよ」だって。ま、四年も生きながらえているのだから仕方ないか。がまんすることにします。
 三笠宮殿下、看護師を一人ゲットして退院。新聞では、食事も普通にとありましたが、そう経過良好とまではいっていないようです。しばらくリハビリとか。(発声、食事)それにしても、強い精神力です。「癌などに負けてなるものか」が、ビリビリ伝わります。・・・・・ 私のところには、新聞に載るたび、多くの反響が届きます。朝日も開封し内容を吟味して転送してくれますが、それでも「返信は、よく考えて」の注意が添えられています。有り難い反応ではありますが。私がお選び申し上げたのは、これまでにただお一人。・・・・・・・病む者は、私のようながさつ者でも神経がビリビリとデリケートに研ぎすまされます。ほんの少しの文章にも、押しつけがましさ、自分の幸せを確認しつつさもさも同情しているような嘘寒い言葉の羅列。あるいは押しつけるような、病気へのアドヴァイス。正直、ほっといてくれ、です。みな葉書にお礼の言葉を書いてさようなら。住所は、書きません。たつ子様が、私のわがままを丸ごと受け止めて下さいましたこと、本当におどろいています。・・・・ほどよい距離を保ちつつ、幸子さんを看取った体験からか、踏み込まずの一線を守って下さいます。それが何よりうれしい。だから、引きとめたく筆を走らせます。痛みなど苦しみなど、所詮他人に解るはずがないのです。それを、解ったふりなさらない貴方様に安心いたします。どうも、このところ原田はぐちっぽくて、ちょっと病んでいます。(元々、病人でしたっけ)心が癌です。少し、精神修業いたさねば。では、では、では、次回は心が元気になっているつもりで・・・・
 
(8月15日 受信)
 台風は、当地特産の梨に被害をもたらして去りました。梅雨明け、台風、立秋、そしてもう秋の気配です。米作はどうなることか。農作物は心なしか高値の感がいたします。
 八月六日、検診。病院は普段通り。でも、六階特別室(と言っても一日五万円)の三笠宮様の部屋の前には、花があふれかえり、SPが二人、白衣を着せられて立っていました。院長or婦長が「黒服は止めて欲しい。作業衣か白衣でどうか」と要求したとか。彼らは白衣を選んだよう。がん患者に生花はよくありません。大きな花をヘルパーさん達が「ムダなのにあとからあとから来るのよ」と、ワゴンに入れて運んでいました。食べ物は贈れませんから花なのでしょうが、すぐくさるものは禁物なので、部屋には運び込まないようです。五万円の特別室と言っても、普段は、お金持ちの一般人や芸能人が利用するごくごく普通の部屋ですから、狭いですしね。信子妃と娘さんが付き添っていらっしゃるそうですが、実に質素に、他の方々の迷惑にならないよう心配りなさっているようです。
 国立がんセンター東病院は本当に民主的な雰囲気で、病棟の権力は婦長が握ってますし、院長(海老原 Dr)は、一人で院内をウロウロ。決して、どこかの大学病院のように大名行列などいたしません。三笠宮様を診る時もお一人で、総婦長が介添えをするだけです。いつも早朝ということで、他の職員をわずらわすことは一切ないようです。以前にも書いたかと存じますが、職員採用には、パートにいたるまで「メンタルチェック」を義務づけています。患者ががんなのですから、医療に携わる者達が心を病んでいてはならぬという信念だそうです。その院長も来春、定年とか。宮様の医療が案じられます。東病院で私は、患者と医療者は真に対等なことを実感できました。三笠宮も一患者として、院長と婦長を信頼して、柏に来るのだと思います。皇室を特別視する気などさらさらない私ですが、庶民的な宮には、ぜひ六度目も無事成功され、お元気になってほしいものです。老齢の院長も、
ぜひ後継者に宮を託して、無事定年を迎えてほしいと思うばかりです。 さて私め、今回はちと苦しい。手足の先がしびれるというか痛くて、
少し何かすると内出血や血豆が出来ます。ゼローダ錠の副作用とDrは言います。ほんの少し歩いても足の小指は紫色になり、痛くて痛くて。 「人魚姫になったの」と夫や子供達に、盆休みをいいことに、家事をみなやってもらっています。夫は「もう少し美しい人魚姫ならいいのにね」だと。クソーッ、余計痛くなるわい!! でも、悪態つきながら秋を迎えそう。市議姉が「原田のこと、狼オバサンて呼ぶよ」と。「死ぬ死ぬ」と騒いだ割にはがんばっているからだって。ワリィカヨー。元NHK アナ、池田裕子氏「絵門裕子」が、この頃、TVによく出てきます。私とほとんど同じですが、彼女の夢に涙が止まりませんでした。「抗がん剤が終わったら、子供を産みたいなあ」、きっと、その夢に支えられて必死で生きていらっしゃる。思わず「裕子ちゃんエライね」とテレビに向かって言っている私です。私はすでに死を覚悟し死へのプロセスを認めてしまっているのに・・・。認める、認めないにしろ、何かを支えに生きていることは確かです。私は、Drの能天気さと、家族、友人知人です。おっと、忘れてならない不登校坊主達もです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 勝手に夏休みの私のところに、不登校高一男子のママからTel、「退学する、退学する」と騒いでいた子が、「やっぱり高校は続ける」と言ったとか。私は「退学しなさい。イヤな学校に行く必要などないのよ。そのかわり夏休みはオバサンの紹介する建設組(中組)で働くこと。自分の口は自分で守るのよ」と。「中組」は、市議姉の応援もし、中卒や高校退学者を働かせてくれる建設作業組です。7月から作業現場に早朝から通わせました。ズル休みをしたくてもワゴン車で迎えに行って、無理やり引きずり出します。多少乱暴ですが、義務教育と違う気楽さです。7月いっぱい働かされた坊主は、8月頭を下げて「俺、やっぱり高校へ行く」と。作業員がダメなどとは思いません。でも、中卒で出来ることはたかが知れています。中組の親方も、「出来れば高校位出ててもらわネェと使いずらくてね。わざと厳しく扱ってやったのさ」ですって。いい人達に私はいつも助けられています。でもまた、「原田組」と言われるな。・・・・・・略・・・・
 
(8月6日 受信) 
 昨日は、印旛沼国際花火大会、手賀沼花火、松戸市花火、そして我ヶ白井の駅前夏祭り。娘と夫と三人で白井の養護老人ホームの駐車場へ。小高い丘の上に建つ「菊華園」の駐車場からは、いながらにして前記三カ所の花火が見えました。老人ホーム入所者達もベランダから花火見物。おりしも梅雨明け。空には三日月、三方の花火。えもいえぬひとときでした。(息子はバイト)いつも書いて申し訳なく思うのですが、私には常に、「来年あるかな?」の思いがする様々な行事です。図々しく生きておりますがいつも一期一会、その一瞬がとてもいとほしい。(柄にもなく)
 さて 8/6 定期検診。 8/5 三笠宮様入院。ナースの方々はピリピリ。うっかり質問するとジロリとにらみます。7/23、定期検診の折、宮様が珍しく昼頃お帰りになられたので「アレ?」と思っていたらやはりご入院とのニュース。検査を受けていらしたのです。いつも首の辺りはハイカラーのシャツで見えないようになさっていますが、6度目の手術は、ニュース以上の大変さのようです。海老原院長は、ご自分の一番信頼できるスタッフと、慣れた施設の柏で手術することを貫いています。それに従われる宮様もご立派ですが、病院関係者は「いろいろ大変」とか。お見舞いの方々も多くなりますし、私のごときミーハーは、皇太子ご夫妻とお目にかかれたら・・・何てね。・・・・・・・・・略・・・・・・・・・・・・・
 さて、排泄の件ですが、私も不登校の一要因と思います。単に排泄だけでなく根底に生活時間の乱れがあることは否めません。そしてもっとつきつめれば、食事の質にまで及ぶような気がします。人が生きるということは、実に様々なバランスの上に成り立っているようです。24時間の配分、目的の時間から逆算して起床を決める、etc.身体の健康を考えて食物をとる。勿論、日本人の腸の長さにあう食物繊維の摂取は必要不可欠です。不登校中学生と接しますと、生活の基本的な部分が欠けています。これは本人の責任ではなく、保護者の生活の乱れから来るものです。戦後世代が、今、中学生の親になる世代を、どこかで育て間違ったのかもしれません。「食べさせる」「出させる」「寝かせる」、この三つが保障されている子にまず不登校はあり得ないとさえ思うのです。
 高校一年男子のママが相談に来た時、驚いてどなってしまいました。中学一年から一度も朝ご飯を食べさせてないと。(反抗的だったので)夜遊びで遅くなると、チェーンをしめて家に入れなかったと。そのくせ心配で、車で捜し回っているのです。「あなたが悪い。育て直しをしなさい」と。もし学校の先生が給食を罰でぬいたら大騒ぎでしょう。(朝日新聞が飛んで来ますしね。アハハ。)教室に入れないよう外にしめ出したらさらに大騒ぎです。ママは平気でそれが出来るのです.オカシイ!!
一、食事は絶対、作れ 一、家には入れろ 一、子供の誕生日を祝え 一、罰と躾を混同するな、とね。親という立場から逃げることは出来ません。子供は親の育てたいように育つのです。一番気がかりなのは、受験生の親「勉強しないと高校落ちるよ」と。どうして「受かるから、勉強しなさいね」と言わないのでしょう。一番、合格したいのは本人と親ですから・・・。マイナーにマイナーに親がしむけているのです。 ALT のクレイグは言います。「ボクのママはいつもボクを『マイ・プライド』って言うよ」と。どんなにアトピーがひどくてみにくい顔をしても、必ず抱きしめて『マイ・プライド』だとか。」欧米を引き合いにするのは好きではありませんが、見習うべきものはあります。クレイグのママがまた日本に来ます。息子のアトピーの治った国へ。息子が英国に住まなくても、彼女はそれでいいと。アレ、何の話?・・・
 
(7月26日 受信)
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 さて、連続して起きる少年事件、たつ子様はどのようにお思いでしょう。私は、日本社会に品位とか格とか教養が無くなって来た典型のような気がするのです。政治家が確信犯的失言(発言)を繰り返すのも、国民の品格を見抜いてのことかと。いや、選んだのが国民ですから、その国民のレベルの範囲と思った方が妥当です。鴻池さんなど、八割方の支持を得ているとか。どこかで共感してしまう部分をちゃんと計算しているはず。コワイゾ!! 品、格、教養がどのようにしたら身に付くのか、あよそ品位に欠ける私には言及する資格などありませんが、それでも「何か変よ」と思う訳です。挨拶の出来ない母親、食事さえ作れない母親、お礼も感謝も謝罪も出来ない母親、それでいて髪は一様に茶髪、金髪。アンクレット(昔、奴隷の識別と足かせだったとか)に刺青様プリント・・・etc.子どもの髪は弁髪やら、金髪やら、パンチやら。着せる服は、迷彩柄、アニマル柄、ブランドプリント。もしかしたら私の偏見かもしれませんが、ちっと、いや、ものすごく「変!!」「普通にしろよ」と。「普通」というのがこれまた幅広くて、そして塩梅という難しさで、言葉で表現難しい。でもせめて箸の持ち方位、きちんと躾てくれないかなと。オバサンは怒る訳です。今日7/24日「声」に「江戸しぐさ」が載っておりましたが、教養というのはこういうものなのかなと。病院でご一緒する年配(私より)のご婦人がナースに質問する折「おそれいりますがーーーでございますか」と言うのを耳にしてずーーんと身体にひびいたことがあります。「ああ、何て品の良い」ってね。「おうし、まねしよう」と、以後、使わせてもらっているのですが、身に付かないこと甚だしい。やはり、言葉に似合う品がないとね。教養も、表現が難しいのですが、学歴や学力でないことは確かです。日本社会に存在した美しい品、格、教養がすっかり姿を消し、「金、金、金」が幅をきかす昨今、少年少女達の事件は、ますます増加するのでしょう。私が投稿で書いた「性」についても、誤解して欲しくないのですが、操とか純潔とか、貞操などの教育が不足なのでは、と思ったからです。およそ恥じらいなど無縁の社会です。かく言う私も、かなり恥じらい、つつましさにかけておりますが。トホホホ。 でも今日は、比較的調子いいぞーー。気温20℃、冷夏だね。大暑は昨日だし、誰だっけ、猛暑だの電力不足だのって・・・。コンピューター予測になってから外れが多いのはなあーーんでか?説明して欲しいな。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
(7月2日受信)
 薊紋様の浴衣、私も持っております。20才の初夏、母が縫ってくれました。妹とお揃いでした。その夏7月20日、母は胃癌で逝きました。浴衣は一度も袖を通していません。「椰子の実」と浴衣。母の形見になりました。和ダンスを開くたび、涙がこぼれてて着られないのです。古手ぬぐいで縫った肌じゅばん、何本も作っておいてくれた細ひも。針刺し。「和子」と彫った裁ちバサミ。
 母は、私の成人式の訪問着姿を見た後、細々した品々を揃えておいてくれました。死の予感があったのでしょうか。母の葬儀後、ハンドバッグの内ポケットに、私の成人式一式の領収書を見つけました。まだ親類が多勢残っている席で、私は狂ったように泣き叫びました。父は、私を奥の部屋へ閉じ込めて「誰もみな、耐えているんだぞ」と一言。一日中私は泣き続けました。7月20日、子供たちが義務教育を受け始めると、辛い辛い日々になりました。通知票を見る間もなく、栃木の実家に走ったものです。・・・あと少しで命日が来ます。今年は、あの浴衣を娘に着せてみます。
 妹は、三つ年下です。浴衣は、嫁入りに持って行ったようですが、二人の間で母のことを話すことはあまりありません。私は20歳、妹は17歳、互いに思うことが少しずつ異なります。妹の成人式には、父が中振袖を揃えました。当時、すでに兄嫁がいましたので、兄嫁が世話をしてくれました。あれあれ、薊の浴衣から、何のことやら。人生57年、いろいろありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 京の旅ですが、浄瑠璃寺、岩船寺、田辺の観音寺(あちこちに観音寺あり)いづれも、趣深いお参りとなりました。本当にふしぎに、車中ではどしゃ降りなのに、寺に着くと雨がピタリと止むのです。義弟(ドライバー)が「姉さん、ホンマ、神がかりですな」と。昔から、私は窮地に陥ると何かしら救われてきました。半年と言われた生命もすでに4年目です。
 さすがに先日の定期検診では進行が顕著とかで、新抗がん剤を処方されました。6/24認可という正におニューの薬で、副作用もかなり激しいとか。下痢、皮膚剥離、色素沈着、悪寒、発熱、いいことなし。苦痛をコントロールしつつ最後を迎える選択もあり、Dr曰く、「まだおしいよ」「うーーーん」私。やっぱり究極の選択は決断しかねました。一日二回、一回4錠のゼローダ錠服用。夜になると気分はサイテイ、気持ちワリィ。
夫が「メシマコブ」を飲むよう通販でとりよせました。30袋16,000円(十日分)。初めて高い市販品に手を出しました。病院費が60,000円(保険適用で)メシマコブが一ヶ月48,000円。子供達にお金がかからないので、まあまあまかなえます。でも、月十万余は痛い。「生命にはかえられないよ」と夫。でも、永遠の生命がある訳ではなし、どこかで線引きしなければ。今日は、ちと、精神的にあぶない原田です。
 
(6月17日受信)
たつ子様、遅くなりました。まずは編み込みマット、玄関の花瓶敷きとして活躍中、有り難うございます。たつ子様のいとなみと、とてもよく似た人見いつけたい!!アハハ。(見つけたぞ・・・かな)多分ご覧になっていると存じますが、同封、「茅野実氏」いかが?地味だけど循環型社会作りの一歩、すてきじゃないですか。・・・めげたりなさらないで。いつか土に帰る自分を思います。これぞ循環てね。
先日、夫と娘が珍しく太衝突しました。息子の就職をめぐって。娘「お父さん、Yに、ちゃんとした仕事をさせないのは変よ。もっと厳しく出来ないの。」夫「うん、そうは言ってもね。K。お父さんなんかどんどん給料は減るし、ボーナスも減るし。退職金だってどの位もらえるか?まじめに公務員して来て、この頃、つくづく貧乏くじと思うんだよ。給料の2−3割が社会福祉の方へ持っていかれて、自分の老後の見返りより、今の先輩達の年金や医療にばかり費やされていくんだよ。税金を払うばかりの35年だったような気がするんだよ。Yが60才になった時、消費税が25%になろうとも、その方が平等なんじゃないかな。公務員とサラリーマンが支える税制が、早く変わることを願っているよ。娘「それは理屈よ。社会人として責任ある仕事について、義務として社会を支えるべきよ。」夫「お父さんもそうして来たさ。でもね、税金なんて取れるところから搾り取って、商店や個人経営の会社なんて全部必要経費で処理して、税金なんて0なんて人が多勢だよ。Yがどう生きようと、自己責任でいいんじゃないか。多分将来は、今の福祉は破綻して、全てが消費税でまかなわれるようになるから。」娘「私はまじめにやっているのよ。その私がバカだっていうの。フリーターしているYが正しいっていうの。おかしいよ。」夫「そういう訳じゃないよ。ただ、そろそろ、公務員やサラリーマンばかりが支える社会福祉が変わるべきだと思ってね。Yには、1年遊んだから、少し身の振り方を決めさせるよ。」息子「姉ちゃんも父さんも、俺のことを心配してくれてありがとう。俺もそろそろ定職につくからケンカやめてよ。」
娘と夫はしばらく沈黙。娘は船員保険組合という団体の一員です。社会福祉の一端におりますので、弟のフリーターをとても嫌がっていました。夫は都庁勤務。石原知事にガンガンやられ、やっとこのところ打ち止めの給料制に、ほとほと公務員の悲哀と将来の不安を味わっています。二人の衝突で、息子はリクルートです。8月までには決めるとか。はてさて、何を決めるのやら。・・・・・・・・・・・・
 さて、訳あって京都です。妹が家族中(といっても、母がすでにいなかったのです)の反対を押し切って、京都の農家に嫁いで30年。義父母の葬儀以外、一度も訪れていませんでした。共働き子育て中のこともあり、妹が義父母と同居のこともあり、そして、反対したのに・・・の思いもあり・・・妹は、茶畑、田んぼ、無花果作りと、この30年、京都府城陽市の木津川沿いに必死で生活してきました。罰があたりますが、義父母を看取り、やっと自分の代になり「姉ちゃん歩けるうちに来てえな」と。きっと、姉に自分の生きてきた形を見せたかったのでしょう。私も冷たい姉でしたから。
 妹の近くに浄瑠璃寺、岩船寺、観音寺がありますので、拝観がてら農作業の一段落した6月に絶対来るようにとの強い誘いでした。夫は忙しく、娘がエスコートしてくれることになり、6/12,13,14と3日間決行しました。水曜日定期検診。「痛み止め、処方しておくけれど、飲まずに済むのなら飲まないんだよ」と主治医の許可。東京駅を昼に出て、妹宅に夕方着。13日だけ、浄瑠璃寺他巡り、14日畑、田んぼを巡り、帰路。妹の泣く顔に送られて帰りました。私はつくづく冷たい姉です。妹の泣きたいほどの寂しさ切なさを30年見過ごしてきて、病を得て初めて知ったのですから。言語の違い、食の違い、習慣の違い、その中で、妹がどんな日々に耐えたかと思うと、改めて申し訳なく胸痛む京都でした。母が居ない分、私が支えてやらなければいけなかったのに・・・です。どうも私は、自己中心と思い込みで突き進むくせが強すぎ、相手の立場で物を考えることが苦手です。・・・今、54にもなる妹を心からいとおしく思っている能天気でバカな姉です。浄瑠璃寺他は次回に、・・・・・・・・・・・・・・
 
(5月6日 受信) 
緑滴る季節とは、誰が最初に表現したものか、誠に滴るが如く新緑の海です。・・・・・・・・・・
本当に、私にさえ信じられないことでしたので、筆が止まりませんでした。相変わらず、葉書は出し続けているのですが、母親からも本人からも返信はありません。期待もしてはおりません。それでも、たまには Telをします。4/28(月) Telしますと、保護者会の振り替え休校で本人が在宅でした。「原田さんからよ、出る?」と母親が言うと、何と何と当人が「ハイ」と出たのです。そのときの感動!! 初めて恋人の家に Telをして相手が出てくれた時のあの胸の高鳴り(そんなことあったっけか?)みたい・・・でした。「ちょっと聞いていいかな?どうして急に学校へ行けたの?」「何となく」「修学旅行すぐらしいけれどどうするの」「行く」「お友達は出来たの」「ああ、話す奴はいるよ」「それでいいのよ。よかったね」ぶっきらぼうな受け答えながら、普通の中三の少年でした。子供の力はスゴイ。ということで、たつ子様が載せることは、全くかまいません。書いてしまったことで、彼は後に戻れません。またまた、姑息な手を使ってしまいました。
「窓辺で」の「アンクル・トムの小屋」手抜きなんかではありません。私も忘れていた想いをよみがえらせて読みました。アメリカの持つ多様さを、私などは、つい一面的に見てしまいます。もう少し、冷静に見ていかなければと、反省しています。ですが短絡・単純細胞の私は、いつもある側面だけを見て、カッカッとしてしまうのでーーす。(気を付けよう)・・・・・・・・
さて当地は、団地造成と里山が今もって共存しています。手入れされなくなった雑木林に藤がからみつき、あちこちに滝のような花房が見事です。大型ホームセンターの横で咲き乱れる様子は、何とも面白い風景です。この連休は、二つ出来てしまったホームセンターを、ゆっくりと夫と見てまわる予定です。スーパーも二つ進出して、こちらも物色します。冬は怖くて人混みにはいけませんでしたが、今なら、少し気楽です。行楽は、テレビで渋滞情報を意地悪く楽しんで、あきらめます。イヒヒヒヒ。 でも、サアズ怖いですね。娘が船員保険組合、「〇〇〇〇」という健康管理団体にいますので、日々、発症者の扱い等、研修しています。「お母さん、調子に乗って外出しちゃダメ」ですって。
駅前派出所のK巡査が「連休ないんですよ。原田さんと、オートバイのスピード取り締まりしますか。」だとさ。乗用車は、渋滞でスピードが出ないのです。ま、暇ですから、太巻き寿司でも持って遊びに行くつもり。彼は、何でも「うまい、うまい」と食べてくれるので、幸せ。テヘヘヘヘ。
ということで、白井の春は平和です。連休が終わると、きっといろいろ大変になるはず。昨年もそうでしたから。ガンバルゾーー。では、季節に乗って気分よく参りましょう。ハイテンション 原田でした。
 
(4月23日 受信)
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さてこの4月、嬉しいことが起きました。嘘のようです。2年間、一度も会ったこともなく、Tel で声を聞いたこともない中学3年になる少年が、4/6(日) 「明日から登校する」と伝えて来たのです。さあ大変!!学校は休み、教育相談室も休み。本人は2年間不登校で、入学後4日しか学校に行っていないのです。担任がわからない、教室がわからない、下駄箱がわからない。仕方なく、担任の Telを聞いて私からダイレクトに連絡。担任もビックリ大あわてです。担任は2年次に新任で来て、写真でしか少年を知りません。 だってね、たつ子様。どんなに訪問しても居留守だったのですよ。二階に灯が点いていても絶対出てこないし、 Telしても留守電ばかり。たまに下の坊やが出ると、ママの「今、出られないの」という怒 鳴り声。仕方がないので、私は毎週、葉書を書いて出しました。書くことは嫌いではないし、 Telのようにダイレクトに感情が伝わることもないので、そう傷付かずにすみますから。もうほとんどあきらめかけていました。3月末の葉書に「二年間辛かったでしょう。私もしつこく葉書を送ってごめんなさい。あと一年、
続けられるかどうか、自信がありませんが、お互い頑張って行くしかありませんね。4月からもよろしくね。」と、母親あてに書いたのです。
 母親は、うつ状態が軽くなると学期に一度位は、来てくれるか Telして来ました。でも「学校はウチの子を忘れて、何もしてくれない」と。何もしないでカラに閉じこもって拒否しているのは、当人達なのですが・・・。担任は、どんなに連絡しても無しのつぶてで、かなり落ち込んでいたのです。他に39名の生徒を抱え、一人不登校生にばかり心を砕くなど、土台、無理です。
 でも、でも、4/7 始業式の朝、少年は母親を振り払って一人で登校できました。担任と、一年の時4日だけ顔を見ている元担任と、教頭が、正門で彼を待っていたそうです。そして二週間が経る今日も、無事登校継続中。本当に辛いのは、これからです。二年間、集団に一切関わらず、友人もおらず、学習もせずでしたから・・。
 彼の不登校の主たる原因は、多分、母親の家出にあります。夫婦仲の良くない母親は、少年が六年生の三学期、彼が卒業式の練習で帰宅が遅くなった冬の日、小さい弟だけ連れて実家へ家出したのです。帰宅した彼は、貯金箱をたたきこわしてお金を作り、夜、電車で母親の実家に追いかけました。中学入学4日目、部活入部の説明会や見学で、彼の帰宅は暗くなったそうです。そして、次の日から不登校が始まりました。彼は、暗くなって帰宅するのが嫌だったのです。また、母親が自分だけ置いて家出するから・・。2年間、彼は母親と片時も離れませんでした。お使いにもついていき、お手伝いもよくしたのです。母親一人で外出の時は、狂ったように怒りました。二年間、修羅のような時間を母子で過ごしたのです。
 でも、彼は少年から青年になりました。ある時*******ていたそうです。ママだけが支えだった彼が、外に関心を持ち始めたそうです。アイドルに興味を持ち始め、長く伸ばしていた髪を整え、衣服に気を配りだし、学生服を新調したのです。 180cmに身長が伸びてしまいましたから。そして一人で登校。ママからの脱出でした。学習について行けずとも、外界での生活はきっと彼を育ててくれるでしょう。ママも、「首をしめたくなる」生活から脱出です。私も一安心。でも、子供ってスゴイですね。これで私も元気になれます。肝臓の癌なんか怖かないやい。今年も残り八カ月余だい。テヘヘヘヘ。
   ・・・・・・・略・・・・・・
 日本は、どこへ流れて行くのでしょう。市議選の投票率、せめて70%位、行って欲しいです。オーストラリアは、棄権すると罰金3000円位とか・・・。そこまでしなくても、3回棄権したら3000円てなことでは・・・。(これも安易かな?)県議選は、41%(白井市)でした。「モー、誰のための選挙だよ」と一人怒っていました。でも、「平和」ということなのでしょうか。願わくば、いつまでも「平和」でありたいものです。                                                    春の日に                            
 
(4月7日 受信)
 イラク戦争。いや、「米国の押し売り戦争?」どのように終結するのでしょう。いかにハイテクが進もうとも、最先端で実戦に挑むのは人間です。人は生きる為に「食べる」「出す」「眠る」ことが不可欠です。食にいやしい私は、いつも軍事評論家の、まことしやかな、出演が増えて内心喜びいっぱいの不気味な表情に毒づいています。「ホントの戦場を語れないのかよ。コノー!!」と。(文章構造がおかしくなりました。ご容赦。)戦場は米もイラクもありません。食糧不足、トイレ不安、高温、重装備、死の恐怖。悲惨きわまりないもののはず。病んでなほ、食べることは私の幸せです。食べさせることも、以前は幸せの一つでした。(今は、あまり食べてもらえないので不幸の一つになりつつ・・・)兵士達の食事を思うだけでも、私は戦争反対です。豊かなアメリカが、健康な若者達(ふびんでなりません)を何故に死なせるのでしょう。彼らに自由を保障し、アメリカンドリームを可能にする夢と希望を抱かせるのがアメリカ民主主義ではなかったのでしょうか。どうも、書けば書くほど、私の思考は、バラバラに他方面に飛んでいきそう。あー、ヤダヤダ。
白井の桜八分咲きです。4/3現在、南山団地の周囲のサクラの木も25年経て、見事な大木です。友人のSさん86才と、二人、杖をついて団地の桜を見て歩きました。Sさんは、娘さん夫婦と三人暮らし。お孫さん二人は結婚して自立です。「ねえ、原田さん。私は来年、この桜を見ることが出来るのかしら。」毎年、同じセリフをつぶやきます。「やあね。Sさん、去年もその前も同じことをおっしゃいましたよ。」「あら、そうでしたの、オホホホホ。」会話はその位で、二人ともしみじみと桜の花を見て歩きました。老境のSさん。病む私。どこかで互いを結ぶ糸に二人でひっかかったのです。こういう糸は何色をしているのでしょう。私は水色かと・・・。
 水色の糸で結ばれた友人のもう一人、N嬢93才。(別名、スカーレットちゃん)デイサービスなど、死のうとも行かないと頑張っていたのですが、ヘルパーさんの名文句にコロリとなりました。「奥様、お習字の先生をなさって下さいませんか。多勢の生徒さんが奥様を希望されていますから。」と。彼女は、毎日「ちょっとお稽古してきます。」と、機嫌よおくお出かけ。何人かお弟子さんらしき(?)友人を確保して、毎日、ご満悦です。何やら、年を取るのも悪かない・・・です。たつ子様、お体の機嫌をコントロールしつつ、春を味わいましょう。
飯冷え便りがエスカレートします。(誰かストップかけてくれえ!!)・・・・・・・・・・・桜の日
 
(3月24日 受信)
3月20日(木)、イラク攻撃開始。21世紀になり、人間は何度、戦争の愚かさ、惨めさ、切なさを過去に体験しても、学ばないのですね。深い絶望を覚えます。「一人殺せば殺人で、100人殺せば英雄」とは、チャップリンの「殺人狂時代」でしたか。あの頃と全く進歩はなかったようです。誰一人として戦争を肯定する者などいないのも事実ですのに、人間はそれを回避できない動物なのだと、しみじみ悲しくなります。そして、私がいつも迷宮に陥るのは、助からない病の自分が最先端の医療に囲まれ、多くの人々の思いと祈りに守られ、大金を費やして生き長らえている現実。何の罪もないのにそこの場所にたまたま生を受けたが故、無意味な戦火にさらされなければならない人々。特に婦女子、老人、下級兵士の方々。思わず置かれた立場を考えて胸が痛みます。そして腹が立つのは、メディアのあまりのいい加減さ。口先ばかり「平和」「反戦」「不戦」などと一応唱えつつ、どこか高揚感さえ漂う今日一日のハシャギぶり。「いい加減にしろよ」と画面に独りごちている私です。有名女性キャスターの何とも生き生きとして見える番組進行と、軍事評論家と名乗る怪しげな面々。「オイオイ、お祭りじゃネエンダヨ」です。と言いつつ、パチンとテレビを消して、いつもの日常に平然ともどって、この手紙をしたためる私。やっぱり変です。世の中、何か間違った方向に進み始めているような、落ち着かない気分です。・・・略・・・・
3月14日、不適応教室ヤングハート・シロイの卒業式でした。今年は5人もの中三生(男子ばかり)が卒業です。私の担当した子も二人、無事進路が決まって、ニコニコの一日でした。その後のお別れ会で、私のためのクイズを、担当した二人が出しました。「原田さんの仕事は何でしょう。
 1 スナック「かず」のママ
 2 山口組系極東商会、原田組
 3 教育相談担当員、    さあ、どれでしょう。」                    
ヤング・ハートの面々、「原田組」と、大喜びで答えたのです。コンナロー。せめて、「スナック・かずのママ」位、言えよ。ね、写真なんか、テープなんか送らなくても、原田のイメージがつかめるでしょう。そう、どう描いても、いいところスナックのママ風、極東商会(白井に実在するヤーサン組織)の姐さん風。ショボクレた田舎のスナックママと、生活に疲れたヤーサンのおかみさんをご想像下さい。トホホのホ。かなりあっているのよね。でも、でも、私は嬉しかったのです。不登校の彼らが、私を病人と認識することを忘れ、対等にもて遊んでくれたことが。そして、私もひととき、やたら威勢のいいオバチャンすることが出来ました。やっぱり原田は、君子蘭かアマリリスってところでしょうか。そうそう、君子蘭の写真、同封いたします。今の私は、これほど元気じゃありませんが、イメージとしては、こんなところです。「やたら元気で、やたらエネルギッシュで、デリカシーに欠ける・・・」でありました。チャンチャン。
 桜の頃、もう少しです。病気以後、四度の春です。しぶとく生き延びております。「痛み止め、処方しようか」と主治医はいいます。「ノーサンキュー、だって、どれが痛みなのか解らないもーーん」「君はホント、幸せなんだネエ。」主治医に言われても、いいんだか、悪いんだか。アンタが頼りなのに、と心の中で嘆息?
 能天気一本の原田は、今年も残すところ九カ月余となりました。・・・略・・・
 
(3月8日 受信)
・・・人生50年、精神的にも肉体的にも社会的にも、そりゃいろいろあります。お疲れになって当たり前というものです。私めの元気さは、一度全てを締めて後の開き直りでございます。強い精神力など持ち合わせてはおりません。ただただ、怖いものが無くなっただけのこと。守ることも欲しいものも、飾るものも何もない。一日一日を生き長らえることだけが唯一の願いなのです。
同類と申し上げては何ですが、私も二男の就職では人知れず案じているところです。ニュータウンには大型店、福祉施設等、雇用の道はこの3月、本当に、不景気リストラが信じられない位多様にあるのです。それでも本人は「お茶の道を究めたい」と申しまして、茶道優先、気ままなアルバイトで過ごしております。
 大学を卒業いたしましたので、国民健康保険、国民年金、全て本人に任せたのですが、未納の通知が届いています。「母ちゃん、国民年金なんてあてになんないよ。 13000円余、今使わなくては意味ないぜ」などと申しまして、払う気配はありません。保険の方はどうやら払ってはいるようなのですが。夫は「お前の人生だから、お前のデザインでやるんだな。」とケロリとしたもの。「どうせ、年金制度も保険制度も破綻するよ。自己責任でやるしかないさ。」とか。ホントかなあ。ま、どうせ私めは、その頃、おりませんけれど。(ホントは心配。)(ちょっと居直り。)健康でさえあればどうにかなるだろうと、本人の意を尊重しているところです。(待つしかありませんので。)・・・・・・・・・・略・・・・・・・
お便り、いつもいつも、誠、飯冷えです。長さついでにもう少しよろしいですか。
友人52才。結婚29年娘二人。夫はダイエーを早期退職57才。夫婦揃って、夫の実家にもどりました。両親共に八十代、お元気です。ところが、一ヶ月と経たずに友人は家出。夫が、両親と同居するやものの数日のうちに、ボクチャンと化した(もどった)というのです。友人の作る料理に不満を言い、バアチャンの料理をほめまくり、夜な夜なバアチャンとイチャイチャ。結婚29年の生活が泡のように消え去り、友人だけがポツンと嫁ってものになったといいます「娘二人を育て夫婦の仲も良く、今でもお出かけチュッ位はしていたのよ。29年のT家が、たった数日で幻になったの。しんじられる?」友人は、娘の元へ数日滞在、夫が説得に来た折り、啖呵を切ったそうです。「貴男が私を一番にしないのなら、別れます。ご自分で両親の介護を全部おやりになるんですね。私には、29年の結婚生活で立派に育てた娘がいます。退職金の半分は頂きます。」と。夫は平身低頭、「俺の思い上がりだった。夫婦の仲に何の不満もなかったので、つい、生家の時間の中にどっぷりとつかってしまった。お前の心を斟酌してやれずに本当に相済まない。」と謝ったそうです。
友人は、実家の敷地内に別棟を建て、両親と日常生活をきっちり分けることで折り合いました。今後どうなるのか、案じられることではありますが、夫婦には夫婦の生活が基本なのだと友人は言います。義父母には何の不満もないと。ただただ、夫の単純なボクチャン回帰に許せない思いだったと。・・・略・・
 
(2月17日 受信)
・・・・・・・略・・・・・
 人にかかわるということは、何と配慮を有するものなのでしょうか。かく言う私も入院中、友人・知人の見舞いが受け入れられず、選別した人のみとだけ面会する有様でした。それでも皆、退院後、変わらぬ態度で接してくれます。時折「私だから貴女のわがままを許容できるのよ」と、チクリと言われますが・・・。いつまでも、わがままで世話の焼ける原田でいつづけたい。たつ子様の心落ち着く対象でありつづけたい。
 さて、本日2月14日はバレンタインデーとか?あまり商業主義に踊らない我ヶ家ですが、夫と息子と、お調子の良いクレイグに(あっちこっちに、日本のお母さんを確保しやがって、コノー)と、適応指導教室で無事、卒業を迎える不登校(だった)坊主に、ちょっとプレゼントしようかな。苺をよく洗って、グラニュー糖とラム酒でマリネし、溶かしたビターチョコにドボ。よおうじに刺してハッポウスチロール板にブスブス。固まったら、アルミ箔で一個ずつ包み、各人宛5−6個、乙女ちっくにラッピングして、おしまい。坊主は3時頃、クレイグは5時頃、取りに来ます。
坊主は、鉄道員になりたかったのですが、「I高校」に不合格、自動車技術専門学校の専修学校に合格。でも、とてもうれしそうにノビノビ過ごしていると、適応教室の先生が報告してくれました。卒業の会には、私も出席の予定です。何だか、他人の子なのに、少しワクワクしている私がいます。「君にかかわれてよかったよ。」いつもそう言っています。救ってあげたのではなく、互いに丁度必要とする時期に出会ったのではないかと思っています。あの子が元気で成長してくれる姿を見る度、私は自己免疫力が高まります。人は一人では生きていけませんよね。真実そうわかってきました。・・・・・・・・・略・・・・ 市議姉が、福寿草の黄金の花が咲いたから見に来るよう、誘ってくれています。早く行かないと選挙で忙しくなるからと・・・。統一地方選、賑やかになって来ました。市議姉は、「白井の自然を守る会」というグループを主宰しています。生協仲間、 PTA仲間、児童文庫、お話朗読会etc 、支援する層が厚いので、多分当選するはず。「地方から政治を変える」と言いましても、現実はなかなか・・・。娘と息子に、「とにかく白紙投票でもいいのだから、権利をムダにしないで」と言っています。あまり長寿の望みうすい私ですら、昨今の消費税アップ論、銀行引き落とし手数料、年金削減、ベースアップ据え置き、介護保険アップ、退職金削減、診療費3割負担etc 、イライラします。必要な税は、義務ですから払います。でも、デモ、でも。税の行方がドンブリ勘定で消えていく現状を少しも改善しないで負担ばかりでは、納得いきません。春闘で大手企業がベースアップ見直し、ゼロ回答の横並びとか。日産のゴーン氏の英断を見習ってもらいたい。不況だからこそ、経営の順調な企業こそ労働者を手厚くするべきでしょうに。景気回復は大手からのはず。ボンクラトップの頭を三発位、ぶんなぐってやれないものでしょうか。やれ政治献金の、裏工作の、公団存続のと、どれ位、ヤミのお金がたれ流しで消えていくことか。潤滑油としてのムダ金はある程度仕方がないとして、あまりにも大金が右から左に動く現実には吐き気がします。責任は誰も取らないのですから。・・・・・・略・・・・・・・
 
(2月3日 受信)
早や如月。南面の居間にはp.m.4:00になっても、陽が入っています。外は8℃ですが、太陽さえ出れば室内は温かく、マイデスクの上ではハイビスカスが咲いています。気象予報士が「暖冬」と長期予報したのを、いつ謝るか楽しみにしているのですが、季節は春へと確実に移行中です。きっと謝罪しないでしょうね。(戦争中、気象情報は軍事機密中の秘だったとか。)ま、謝罪はどうでもいいとして、コンピューター頼りのデータに味気なさを感じてしまうのは、私のへそ曲がりのせいでしょうか。とにかくすでに一カ月終了。残すは十一カ月だい。今年もこのフレーズが言えました。(アレ、書けました、ですね。)・・・
知り合いの農家の主婦Mさんが、蕗の薹をドッサリ持って遊びに来ました。「ホレ、初物だっぺ。これを食べりゃ、三年寿命が延びっからな。初物三年て言うべ。オラもよ、梨作りやめたらハア、ひまんなってよ、オメでも生きててくんねえとハア、お茶のみ相手に不自由でたまんネエ。」「ハア」と言うのが彼女の口癖。その素朴で飾らない言葉が何とも心地よく癒されます。思いがけずニュータウンが進出して、今では大地主の奥様ですが、「オラ、ハア、気取ったことはヤンダ。今まで通りでいい。暇もて余してんだ。オメとこさ、たまに寄せてもらってもいいかな?」大、大、大歓迎です。
 Mさんは、店で売っていない品々を無造作にポンとくれるのです。冬陽を最大限浴びようとロゼット型に葉を地面に這わせた野芹、ナズナ、クレソン。休耕田に自生する野草摘みが、冬の楽しみのようです。野芹もナズナも根がおいしいのだと言って、根の泥をきれいに落として持って来て、天ぷらに揚げてくれます。ほんの少しの塩をつけて食する、その天ぷらのおいしさ。えぐみの懐かしさ。歯ざわりの良さ。えもいわれぬ味といったらありません。「オメはハア、こういう物を食ってれば癌になんか負けねえぞ。今度は、独活を持って来てやっからな。山独活は、売ってる物なんか比べもんになんねえうまさだぞ。」何だか胸がきゅん。あったかくて嬉しくて。姉がいたらこんな風なのかと、つい甘えてしまいます。
Mさんは乗り物アレルギーです。車も電車も。飛行機なんかもってのほか。ですから地区の方々と温泉などに行くことが出来ません。きっとそういう日に、やはり外出不可の我が家にやって来るようです。娘の喘息がきっかけで、団地公園で完熟トマトを売ってもらう間柄から付き合うようになりました。とにかく働き者です。義父母を看取り、生涯独身だった叔父も看取り、米作り、梨作り、野菜作りを七十まで続けました。夏は、遊び半分おしゃべり半分で、今でも公園で野菜を売っています。「オメのおかげで、団地の人らと知り合いになれたんだっぺよ。遠慮することはねえ。」いつもそう言ってくれるのです。こういう方々に支えられて、私はあと少し、きっと生きていられるはず。・・・略・・・
1月22日、定期検診。肝臓の腫瘍が大きくなり出したとか。「先生、切ったりしますか?」「そんな心配してんの。抗癌剤を換えるだけだよ。切って治る段階じゃないから。」「・・・」「あっ、ごめんごめん。まずかったかなあ。」「ムカッ」気を取り直して「肝臓って痛むんでしょう?「今は、いい薬があるから心配しなくていいよ。」「ふうん。じゃ安楽死も頼めないかしら。」「そりゃダメだよ。俺が殺人者になっちゃう。」「やっぱり。とにかく痛いのはヤーーーダ」と強く主張して来ました。・・・略・・・ さて「窓辺で」。水は本当に、ただでは飲めない代物になりました。当地では、ご飯もみそ汁もカルキ味。水道水では、お茶も紅茶も妙な味になります。団地内に非常用井戸があります。炊飯やお茶に利用していたのですが、三年前から「飲用を禁ず」と保健所のお達し。もっぱら洗車用です。スーパーは水の売場が広がりました。
「やさいっこ村」の皆さん、それぞれに通信文、楽しいです。村井氏は「徒然草」風文体、感性。酒匂氏の自信に満ちた実用的通信文兼CM(コピーかな)河内山家のユーモラスな日常生活描写の山羊ちゃん達。遠く遠く暮らす私にも、三家三様の日々が垣間見えて、ほのぼのします。「スローフード」が叫ばれ出した今日、「やさいっこ村」の活動、認知度が広がりますよう。まてよ広がりすぎても対応パンクでは困りますね。・・・食糧自給率40lの日本。ひとたび有事となれば、輸入食材は露の如く消えるでしょう。生産者と絆のある方々だけが生き残れるのかもしれません。いや有事が無くとも、農業が消えつつある日本、花でも食べなくては。「生命を支える食」を生み出す農業が見直されることを、祈ってしまいます。Mさんは「オラの食う物位は作ってんだよ。オメにも分けてやっから心配すんでネエ」と言ってくれます。でも・・・私が生き残ってもねえ、トホ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
(1月16日 受信)
・・・略・・・
暮れに大掃除をしなかった我ヶ家は、この連休が大掃除です。二男が和室でお茶を点てたいということで、部屋を大移動することになりました。「和」の風趣にしつらえるので、小一から使って来た机を捨てると言い出しました。ならば私がもらうことにし、結婚以来初めて専用の机と椅子をゲットです。残念ながら部屋の確保には至らず、リビングの窓際に構えました。小一からの息子の歴史というか汚れを拭き取り、付属の棚を外して平机にし、ジュリアンの花鉢を置くとそれらしい一角が出現しました。早速、今この手紙を書いています。
たつ子様、私にとって書くということは、ある種、現実からの逃避という部分が否めません。お正月以来、集中して書くことが出来ずに、多少、欲求不満が高じておりました。炬燵で談笑する家族を背後に、机に向かっておりますと、テレビの音も家族の声も、ふうっと遠くなります。昔、母が「和子は本を読み始めると何も聴こえなくなる」と、半ばあきれ、半ば誇りに他人様に語っていたことがあります。丁度今、その境地です。声は聴こえるのですが、何を言っているのかが解りません。多分、私の背中は、「ほっておいてね。じゃましないでね。」と言っているはず。リビングの机は、正に私一人だけの小さな空間となりました。
入院経験も、集中できるクセ(?)を培ってくれたようです。重症用の個室から4人部屋に移ると、4人4様の日々が繰り広げられます。ベッドとその周囲だけが専有空間ですから、他のベッドの方々の訪問者や日常にこだわっていては身が持ちません。見ない、聞こえない、立ち入らないが原則でした。私は割合スムーズにマイペースを保てました。(元来、自分が一番好き人間ですから・・・?人様のことにあまり興味を持ちませんのでね。)ガンセンターの病室で他人様のことを知るのは、あまり心地いいものではありませんし、ハッピーな話題が行き交うことも期待薄でしたしね。・・・という訳で、今、私は、透明バリアー内の住人です。・・・略・・・
南山団地に入居して(S.55)間もなくバブルになりました。陸の孤島の当地では、ほとんどが専業主婦の家庭で、一時、みな余暇に熱を上げて趣味だ、テニスだ、お芝居だと消費行動に走りました。ところが今はどうでしょう。ほとんどが50代になって、みな、仕事を持っています。当地に郊外型大店舗がいくつも出現し、老人施設や介護ケア付きマンションなども進出し、雇用がふんだんにあることも一因ですが、皆、自己確立のため働くことに意欲的です。働きながら何がしかの報酬を手にし、同年齢の仲間と交流し、子育て後の充実した時を刻んでいます。
乳癌後、職を離れうつになられた方も、お元気になられたら少し仕事をなさると良いかもしれません。私の周囲でも、乳癌でホルモン療法を受けながら、ホームヘルパーとして意欲的に活動している方がおられます。「だって、病気を仕事にして生きられないって、原田さんも言ってたじゃない」と。そうなのです。病気は仕事ではないのです。病気だからこそ、何か打ち込めるものを持たなければやっていけないのです。・・・略・・・
初詣、「成田山新勝寺」へ。2日に出かけたのですが、例年より人出が少なく不景気をまざまざと感じました。勿論、「今年一年、無事過ぎますように。祈りました。」でも果たして、今年はどんな年になるのでしょう。きなくさい年明けで、明るいことが書けません。せめて、一般市民、特に幼い子供らが犠牲になりませんよう、大人は智恵を働かさなくては。
机を得たことを喜びつつ、今日はすでに1月13日。手紙も3日目です。・・・・・・・略・・・・・・
update:
2008/03/24

 [3]   2002年1月から----------------------------12月まで
 
(12月31日 受信)
ご主人様の修学旅行(での子供達)の様子、心が痛みます。 「窓辺で」で述べられておられる食品のバランス。お手紙で断言される「飢」を知らない子ども達。自然のサイクル、普通の暮らし方を忘れた結果が、未来を担う子ども達に凝縮されて現れるとしたら、何とも悲しくなります 。真夜中のファミレスに乳幼児連れの家族が多くなって来たとか。朝からファミレスで食事をする冬休みの家族とか。以前に一度書いたような気もするのですが都内の精神薄弱児施設で、業者委託給食にしたところ、子供達が 落ち着かず荒れることが多くなったとか。施設内調理にもどすと、以前のように落ち着いて荒れることが少なくなったというのです。施設内調理では、十時頃からだしをとるにおいや、炒め物の香りや湯気、ご飯の炊けるにおいetc が漂って来て、「今日はカレーだ、みそ汁だよ」「フライだね」と、子供達がニコニコするというのです。家庭でも、夕刻子供が帰宅してドアを開けた途端、ミートソースやカレーの香りが漂っていると必ず台所にやってくるといいます。食は単に、食欲を満たすだけでなく、愛情や精神的安定や、マナーや、労働や、スキンシップ等々を通し、子供の人格形成、常識形成、躾の大切な手段なのだろうと思います。少年院に送られる少年達が一番屈辱を感じたことは、運動会、修学旅行校外学習等行事で)など弁当持参の日に、ホッチキスで止められたプラスチック弁当を、パリンパリンと開けなければならない瞬間だったと述懐しているそうです。その瞬間に彼らが味わったであろうみじめさ、切なさを思うと、涙もろくなっている私はやはりうるうるしてしまうのです。私達は、便利さを手にした代償に何と多くの温もりや、うるおいや、優しさや、苦しさや、面倒を失ったことでしょう。親になる為のライセンスがあったらいいのにと、ポーンと飛躍した思考に走る原田でした。チャンチャン・・略
さあて、飯冷えの支離滅裂文も2002年の最終便となりました。この手紙、何のかのと中断して三日がかりとなりました(12/28)たつ子 様、忙しい中、本当に、お付き合い有り難うございました。強がりを申し上ても一時の勢い。ふと落ち込むたび、たつ子様との交流は、心癒やされる何よりの薬となっております。所詮、人は一人では生きていけません。でも、あまりにも身近な者達ばかりでは息がつまります。本当に身勝手な交流方法を強要いたしまして申し訳ありません。今しばらく、私が元気である証として、、郵政省にご奉仕くださいませ。・・・略・・・
 
(12月14日 受信)
 ・・・略・・・私はまた大失態をいたしました。まだ役所勤務だった頃、とてもとてもお世話になった上司(78才)が、ひょっこり見舞いと称して来て下さいました。一人息子が隣村「本埜村」の役場庁舎を10年前設計建築したので、役場見学・白鳥見物(村の田んぼに毎年 200羽飛来して村の観光名所になりました)がてら、顔を見たい
と寄って下さったのです。
七年前、私と同じ乳癌で奥様を亡くされ、独り暮らし、車を乗りこなし優雅な毎日・・・と思っておりました。「原田君、私の妻も最後まで希望を捨てずよく頑張ったよ。君も現代医学を信じ、心を清らかに少しでも良くなるよう、食事なども注意するといい。」etc.いろいろ参考になるお話をして下さいました。「ありがとうございま。
でも部長、私は尊厳死の手続を済ませていますので、苦しまず平安のうちに最後を迎えようと思っています。」しばらく沈黙あって、「そうか。君には後顧の憂いがないんだね。私はね、例え寝たきりになろうとも、生きていなければならなくてね。」???
上司の自慢の一人息子が昨年末、12月28日に肝臓癌で突然逝去され、年賀状は発送後で、喪中の知らせは出せなかったとか。建築事務所を新築し、仕事も順調だった矢先の急逝で、残されたのは高校生を頭に、小三までの4人の孫と嫁、そして多額の借財。保険金も露と消え、息子一家の経済的基盤が今や、上司の退職金と年金だというの
です。「小三の孫が成人するまでは、何としても生きていてやらなければ、だから死ぬわけにはいかんのだよ。」ガーン!!
バブル最盛期にたっぷりの退職金を手に停年し、かなりゆとりのある年金生活で、悠々自適と推察していた上司でした。人生の切なさ(うまい表現が出来ません)を痛感です。上司は、息子喪失から立ち直るきっかけにと、息子の形見として残された「本埜村役場」を、それこそ上から下まで隈無く見せてもらってきたと。女子用トイレの中に、デパート並とまではいかないが清潔な化粧コーナーが備えられ、かなりの数の小さなロッカーがあったと。案内してくれた秘書課の女性が「とても機能的で、人に見られたくない物を保管できるので、女子職員はトイレタイムが楽しみですよ。」と言ってくれたそうです。
浅慮な私は、いつも思ったことをパパァと口にすることが多く、仲間内なら、「また原田の直球がさあ・・・」で済むのですが、上司には大変申 し訳なくてなかなか言葉が出なくなってしまいました。死を望む人はいませんが、死ぬに死ねない人が目の前にいるのに、私は何と残酷な言葉を吐いたことでしょう。上司が置いていかれたアガリクス粉をおしいただいて飲んでいます。
 いつも一呼吸おいてから話そうと心に誓うのですが、なにせ56年、直球語一本で生きて来てしまいましたから、
身に付かないことおびただしいです。・・略・・
12月13日(金)朝日「声」欄ごらんください。大事件が起きなければ、拙文が載る予定です。病気を武器にする訳ではないのですが、「そろそろ書いてみてはどうですか。」とお誘いを受けての投稿です。
 
(12月2日 受信)
・・・略・・・
 たつ子様といい、この友人といい、どうも私の友人は揃いも揃って意地悪な人が多くて・・・?。みーんな、「この花は来年の夏に咲くから大切に育ててね。」とか「これは来年の物だから、今使えないわ
よ。」etc.「ふんっ」負けてたまるか。絶対、花を見るもんね。ムギセンノウ、別の友人の畑で双葉を大きくしてます。ベランダのプランターでも、枯れ葉に埋もれてスクスク。どんな花が咲くのかワクワク?。アレ、すっかり乗せられてるぞ。
 「木鬼灯」もそうでした。そういう友人達の意地悪が、私の闘志をかきたてN.K.細胞を増量させ、主治医に「君の後ろにはきっと何か守ってくれるものがついているんだよ。」と言わしめるのです。脊髄にとりついている腫瘍は、確かに左足を痺れさせています。でも、痛みというほどには進行せずに止まっています。主治医は「痛まないのがふしぎだね。君は生活が充実しているから、痛みを感知しないのかも知れないよ。痛みというのは、心理的な要素も大きいらしいから。」なんて、医師らしからぬことをしゃあしゃあと言っています。これもずいぶん意地悪ですよね。「すみません。先生のご期待に添えなくて。」「アハハハ、なあに言ってんだよ、いいことじゃないか。」だってさ。モーッ。いいんだ。いいんだ。来年もこの調子で頑張るもんね。来年まで一ヶ月だい。
 あっ、そうだ。木鬼灯でいいニュースです。福祉協議会の友人が、「木鬼灯のドライフラワー、あなた知ってた?」と飛び込んで来ました。福祉センターの庭の隅に枯れるがままにしておいたところ、通所しているご年配のご婦人が「まあ、ワタクシ、このドライフラワー、ずっと捜してましたのよ。」と、目を丸くして喜ばれたとか。その方は、実もののドライフラワーが趣味で、以前お知り合いのお宅で、スプレーで色付けされた木鬼灯のドライフラワーを見て以来、捜されていたそうです。「千成り鬼灯」で試してみても実が全部落ちてしまうし、鬼灯はデカすぎるし、一体、何なのだろうと、気が狂わんばかりに憧れていたそうです。(その方の表現ですよ)
たつ子様、人の交流ってホントに不思議でございます。そのご婦人が、木鬼灯にオレンジや青で色付けして福祉センターに飾ってくれたそうです。クリスマスのイルミネーションと並んで、「ポッ」と灯の点ったような温もりだとか。私は処分してしまったことがくやしい。今咲いている木鬼灯では、ドライフラワーまでいかないかもしれませんし。ようし、来年、絶対挑戦してやるぞ。たーくさん作って、あちこちに配ってやらなくちゃ。あーあ、また頑張るぞー。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 忘れないうちに二つほど、絶対書きます。一つ・・・略・・・二つ、いつも悪友共(私もしっかり入会している訳ですが)が、たつ子様を評して「じれったい。」とか「損な方へばかり目を向けられる」と申し上げる点。奴らには(私にも)たつ子様の置かれていらっしゃる状況が、本当のところ見えておりません。今回の「窓辺で」で、少し理解するかとは思います。たつ子様のお手紙も見せてよろしいですか。
人は、それぞれの生きる場所、その位置があるのですね。つい、首都圏に住み、かなり自由な言動が許される私共の日常が一般的なのだと錯覚してしまうのです。いえ、私共の尺度に沿わない事柄に異を唱えてしまうのです。悪い癖と知りつつ繰り返す愚かさ、笑って下さいませ。本当に自己中心の私達です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何とか、おさまりました。では、ご機嫌よろしく。体調いいです。
 
(11月15日 受信)
・・・略・・・
たつ子様、私へのご配慮ありがとうございます。「クリちゃん」への想いとてもよく解ります。御手紙の端々に、家族、いやもしかしたら四男として存在したであろうクリの姿が偲ばれます。山茶花の幼木の下で安らかに眠ることでしょう。
私は今、自分でも信じがたいほど「死」を客観的にとらえています。丁度三年前の今頃、柏のガンセンターに運び込まれました。当時は、泣いて、騒いで、拒否をして、荒れ狂うまま日々を過ごしました。死が怖くて怖くて、現実を受け入れることが出来ませんでした。冬を越し、桜が咲けば「見納めの花」と思い、藤が咲けば「藤の花になりたい」と思い、全ての物を死と結びつけて見る毎日でした。でも、そういう極限の日々のおかげで、「死」というものがいつしか柔らかく醸成され、死を受け入れる心も育まれたように思います。格好いいことを申し上げても、その場になってどう対処するかなど自分にも解りません。なるようになる・・・です。現世と来世の境界が、他の方々よりは低いような気はいたします。不謹慎なことを発見。やっぱり脳天気な私です。
                  ・・・略・・・
話長くなります。
「教育を受けられる幸せ、学べる喜び」日本の子ども達に、今、一番伝えたい言葉です。「勉強しては
いけない。物事を知ってはいけない。」と、一度言ってみたいものです。付け加えて、もう一言、「選挙権を無くすよ」と。確かに信じられない政治です。でも、それでも発言の自由なこの国。亡命など考えなくていいこの国。せめて、先人が生命を賭して獲得してくれたこの権利を、お金であがなえない権利をないがしろにしてほしくない・・・と思います。
南山団地の植栽の紅葉が、今年は一段と鮮やかです。急激に冷え込んだせいです。あと四.五日で落ち葉が地面をおおうでしょう。桜の枝枝には、来年のつぼみがふくらんでいます。さあ、お花見まであと五ヶ月だい。・・・      神帰月
 
(11月2日 受信)
 ベランダにこぼれた「木鬼灯」 が芽を出して、小さいながら花をつけています。植物の生命力に感動しています。牧野図鑑で教えていただいた「オオセンナリ」(木鬼灯の正式名称)の図は、青い花色が冴えて、「これよ、これ、これが木鬼灯よ。」と友人を感動させましたが、おのれ生えの秋の木鬼灯もいいものです。
週末の天気はいつも雨でがっかりですが、ウィークデーはぬけるような秋の空が広がります。マツバボタンが、最後の力をふりしぼって咲き競っています。千葉も、冬はかなり気温が下がりますので、ハイビスカス、アロエなどは大きな、透明なビニール袋で簡易温室を作り、その中で冬越しです。マツバボタンの鉢などもビニールで覆うと、冬中花をつけます。
病気以後、ベランダの鉢の冬越し作業は娘の担当です。本当に何もしない娘なのですが、この仕事だけは黙っていても、「お母さん、今度の休みにビニールかぶせるから、切りつめるなら早めにね。」などと、逆に尻をたたいてくれます。私が勝手に推測すれば、「母の愛している鉢花を枯らすことは断じて出来ない。」というところでしょうか。ちょっとロマンチック過ぎるかな? でも、そう思っていたい。エヘ。 だってね、たつ子様、この娘、弟に台所を任せ、食べる人に徹しているのです。「ちょっと、Y、今日はイタ飯にしようよ。」「えっ姉ちゃん作れるの?」「バカ、アンタが作るにきまってるでしょ。アタシが作ったら、時間ばっかりかかってまずい物しかできないよ。」「うん、それもそうだね、じゃ、なすのパスタでも作るとするか。」(納得するなっ) もう、バカな姉弟、でも、育てたのはこの私、仕方ないか。早く娘よ、嫁に行け。そして、目の中に入れても痛くないバカ息子、さっさと就職してくれ。トホ。
夫は、こんな週末のやりとりを一歩離れて、背を向けて聞いています。そして、私と二人きりになった頃、「俺さあ、このまま時間が止まって欲しいと思うんだよね。」と、ボソリとつぶやきます。結婚30年余、他のご家庭を体験していないので比することは出来ませんが、我ヶ家なりに様々なことがありました。そして私の闘病。でももしかしたら、今一番、我ヶ家は平穏なのかもしれません。脳天気な私は家族の優しさの中で、ふと病気を忘れたりしています。 朝、汚した食器を流しに放って置けば、いつの間にか息子が片付けてくれます。アルバイトに出かけるとき「母ちゃんメモは?」と聞いてくれます。食材や細々とした雑貨をメモして渡せば、帰宅時にドサリと届きます。私も心のどこかで「時間よ止まれ」と祈ってしまいそうです。
さて、今 私のところには、教育相談らしき要件は新しく来ていません。継続で「晴れた日も傘を持って登校するMちゃん」と「卒業後も引き込もりで一歩も地面を踏んでいない16才少女の二件だけです。」Mちゃんは先日、ターゲットにしているお友達に、「トイレに行っちゃダメ」と命じ、その子はおもらしをしてしまいました。クラス中から(親達)非難を浴びて、久振りに「おばちゃん、M子いじ悪しちゃった。ゴメンナサイ。」と親子でやって来ました。「遊びたかったの。休み時間が短いからトイレをがまんさせたの。」Mちゃんは悪い子のレッテルを貼られ、きっと「アレしちゃダメ、コレしちゃダメ」とみーーんなから言われているようです。ターゲットにしている子は成育不全症とかで、小さな弱々しい女の子です。きっと唯一、Mちゃんと遊んでくれる相手なのです。たかだか7才、小二の女の子に優しい交友関係を教えるには、周囲が優しくしてやることが一番なのですが。ママにもう一度、「Mちゃんに否定的な接し方をせず、肯定的な言葉かけをしましょう。」と、いくつか例を挙げて説明し、しばらくMちゃんと遊びました。                  ・・・略・・・
さて、お手紙ですが、あまりご心配なさらないで下さいませ。私もこのところ体調・精神とも大変落ち着いておりまして、文化祭のお誘い、茶会のお誘い(略式、椅子でお茶をいただいております)音楽祭のお誘いなどなど、送迎付きであちこちうろうろしております。久し振りに多勢の方とお目にかかって口もよく動きました。アレルギーに打ち勝ったクレイグ君は、文化祭でハッピ着用し大太鼓を披露しました。イギリスからご両親が見えて、息子の体調を心配しつつも、町の人々に愛されている様子を見てご安心のようです。クレイグは、英国にしばらく帰らないと言っているので、あちらから来ちゃったのだとか。息子がふっくらとして、何でもよく食べることにびっくりしていらっしゃいました。以前は、食事になると悲しげな顔をしていたのだとか。よかった、よかった。ということで、お便りどうぞ気になさらずごゆっくり。(お便りいりませんよ、と書けないところが、ちと悲しい。どこかで待っている私ではあります。)とまれ、よい季節。そして私は思わぬ程快調、幸せ。・・・
 
(10月19日 受信)
たつ子様、10月15日以後、メディアは拉致、らち、ラチばかり。「拉致」などという犯罪が国家の力で実行されるおぞましさ。うすうす知りつつ、三猿よろしく放置し続けた日本という国。理想ばかり掲げて、知らぬ存ぜぬを貫き通した政党。日本人は「ワアーッ」と一方向になびく習性があります。過去、戦争にまで突き進んだ記憶はまだ新しい。メディアに流されて、拉致の真のおそろしさ、悲劇が曲がることのないよう、よく考えていかねばと思います。
                    ・・・略・・・
友人の一人に、団地の管理事務を担う人がいます。その友人の窓口には、様々な人たちがフラリと立ち寄ります。(きっと私もその一人でした。)団地の高齢の人、小学生、中学生そして野良猫まで。?そういう方々は一様に友人も少なく、小中学生はどこか問題を抱えた子ども達ばかりです。いじめられている子もいれば、いじめている方の子もいるのです。猫ちゃん達も、いじけている猫もいばっている猫も両方やって来ます。友人は、その両方に耳を傾け「ふーーん、そう」と聞いています。きっと、人々(弱者、心に傷ある人)に癒しのムードを与えるのでしょう。引きつける何かがあるのでしょう。その友人も裁縫が得意で、ご自宅の押し入れは、布や古着(リフォーム用)の段ボールがいっぱいです。誰かさんによく似ています。エヘ。
 白井市の「ふるさと祭り」が11/3,4 二日間開かれます。彼女はテントを一つ10年前から有していて、エプロン、バッグ、ブラウス、スカート、パンツ等々を売ります。年に一回の店開きを待っている人々も多く、手作りの品々はいつも一日目で完売します。仕事に忙しいはずなのに、彼女は、とにかく年に一度の店開きに向かって、コツコツ品物をつくります。そうそう、今年は、たつ子様のデザインを盗用して、布の帽子も幾つか用意したそうです。私も病院にいるとき、パジャマを二組縫ってもらいました。似ている人がいるものですね。あれ、また長くなりました。とても気持ちのよい日です。どうぞお元気で。
 
(10月7日受信)
台風21号、「やさいっこ村」の皆様に、被害大変だったのでは・・・。少しおそれつつ書いております。白井市は、梨(新高)にダメージが大きく、知り合いのMさん(団地入居当時、公園にむしろをしいて、野菜を売ってくれた近くの農家の主婦)は、「オラ、ハア、モウ、梨はやめっぺと思うんだよ。折角、半年以上苦労しても、2−3時間の台風でハア、モウ、ダメダモン。」と。このところ土地高騰で暮らしは困らないのですが、やっぱり農業はやめられないと、70近い夫婦で梨を作り続けていました。農業はある種、ギャンブルの要素を含んでいます。青森のリンゴ落果、悲しい画面に思わず、テレビを消しました。 日本人は、根本のところで食生活を見直すべきなのではないかと、このところつくづく思うのです。首都圏に済んでいるから・・・。?。いや、日本全体がゆがんでいるような気がします。加工食品のオンパレード。そして、老いも若きもダイエットに舞い踊り、健康サプリを経口する。おかしいですよね。「キッチン・・・16」で村井氏がはからずも述べておられる通りです。「日本の方々は、もっと米を食べて体を動かし、豊かな実りの秋をともに喜べるようになったらいいと思います。」その通り!!また、たつ子様が述べておられる「生命の源・食が、食の役割を果たすに到るまでは、幾つもの手間や多くの時間・エネルギーが費やされているのだ。」そういうことだ。思い知れ、ですよね。何だか威勢よくなっちゃった。少しテンション高めです。アハハ。
当団地に一つしかないスーパーの冷凍食品コーナーに、油で揚げる冷凍食品が無くなったと、友人が怒っています。全て、レンジ対応の品ばかりとか。「家庭に電子レンジのない人だっているわよねえ。それに、フライもコロッケも、油で揚げた方が、料理らしいじゃないのよねえ。」ふーーん?。「レンジを持たない人は、もともと、冷凍品なんて使わず、自分で手作りするんじゃないの。これを機会に、年配の主婦は、手作りに戻ればいいのよ。」「あっそう。言って損した。ハイハイ、手作りいたします。」もっと怒らせちゃった。ということで、料理は何でも「レンジでチン」派と、手作り派と両極になっていくのでしょうか。でも、我ヶ家の娘など絶対「レンジでチン」ですね。「お母さん、弁当を買ってコンビニでチンしてもらうと、漬け物まで温かいのよ。私、この頃、慣れている自分が怖いわ。」ナヌ。さあて今夜は、新米を炊いて、具だくさんの豚汁にでもしなくては。材料を揃えて娘に煮込ませよう。・・・でも、デモ、でも、果たして娘は、早く帰宅するかしら。10/4(金)ですからね。・・・略・・・あれ、どこから娘のグチに。とまれ、こんな娘共が家庭を持ち、ママになって、きちんとした食生活や育児が出来るのでしょうか。ああ、もう考えたくない。
気分一新。「おおせんなり」(木鬼灯ーきほおづき、ナス科、学名 Nicandra physaloides Gaertn) ありがとうございます。研究熱心な友人が大喜びです。「わかったわよ。牧野図鑑はやっぱりすごいわ。何だか、とても心がすっきりしたの、うれしいわ」
と、報告あり。彼女は図鑑大好き、何か解ることが至福なんだそうです。コピーを渡すとすぐその足で、その目で確かめに行き、晴々したようです。(でも解らないと、しつこくてね。ハハハ。)本当にありがとうございました。麦センノウの方、再びエネルギーを燃やして、ご自分の方向を歩まれますよう願っております。よろしく。・・・略・・・
 
(9月20日 受信)
団地に隣接して「M中学校」があります。先日、体育祭が済み、今日9/18からは早くも合唱練習が始まりました。さわやかな秋の陽を浴びたくて開け放っている窓からは、交響詩「モルダウ」のふぞろいな声が届きます・これから上手になるのは、なかなか・・・。それでも中学生の歌声はいいものです。白井市は各中学校とも(五校しかありません)、文化ホールを借り切って合唱コンクールを実施しています。器楽ですと楽器にお金がかかりますし、移動が大変ということで。人間の持つ「声」で勝負ということのようです???。でも思春期・反抗期の中学生が、よくぞまとまって合唱に打ち込むものと、毎年感心して聴いています。「モルダウ」が完成する頃は、家にいてもぞくぞくするほど見事ながっしょうになっています。人の声はいいものです。
毎回手紙が冗長になります。反省。あまり人と接しておりませんので、つい筆が滑るようです。どうしてTelが出来ないのかと、自分でも悩みます。妹と話していても、長くなると受け答えがぞんざいになって、「姉ちゃん、あきたの?」と聞かれます。トホホ。・・・略・・・
電磁波の件、おろそかに出来ませんね。未知のものでも、便利さ速さに、つい手を出しがちですが、真の姿がわかる頃には、取り返しがつかない状況になっている昨今です。消費者、いえ生活者は、身の安全のためにはそれなりの対価を負担するという認識が大切なのだとしみじみ思います。食物、電気、住居、医薬品、衣料etc.安価な物へと流れがちですが、今一度足元を見直す目を養うべきですね。ヒートアイランド現象なども、よくよく考えないと、未来に申し訳がたちません。
白井市でも、分別ゴミ収集が4月より完全実施ですが、なかなか守られず、ゴミステーションには積み残された袋に、赤い注意文が貼られています。清掃担当の方が、毎回毎回、袋を開けて分別し直しています。たかだか 167世帯の当団地ですらこの通りです。近くのマンモス団地では、カラスがゴミを散らかし放題にもて遊んでいます。ひどいのは、駅や公園のゴミ箱に、雑多な家庭のゴミを放り込む人々が多いことです。きっと、ご自分の家の中や車の中はきれいにしているのでしょうね。友人の一人は、公園の犬の糞にあきれています。「今度見つけたら、その人の家の玄関に届けてやらなくちゃ」と。一部の人たちだとは思うのですが、何だか悲しいですね。
でも、我ヶ家の娘と息子を見ていると、あまりに忙しすぎ、いい加減すぎて、多分、自立してもゴミ処理には苦労するだろうな・・・。家にいる私でさえ(いえ、私のような者だからかな)ゴミ出しには神経を使います。いくつもの色違いの袋に、一つ一つ確かめながらゴミを入れる毎日です。出すのは夫ですから、恥をかかせない為にもきちんと分別です・(透明ですからね)
たつ子様、合宿、ようございましたね。うらやましい。子どもの声、排水口のお掃除、お世話様でした。秋のコーラス発表はないのでしょうか。それでも、異年齢の方々と声を合わせてつくり上げていく過程は、充分、実(楽も苦も)のある営みと存知ます。お便りの中で楽しませていただいております。
今日9/18、快晴、三日分の洗濯物がヴェランダにビッシリ。気温24℃、気持ちいい日です。白井の秋は、人工美と自然美の合体で、何ともふしぎな光景が広がります。
 
(9月7日受信)
9月3日、35℃ 湿度55% 9月4日、33℃ 湿度65%。これが白井市の現況です。但し、9月5日からは、少し涼しくなるとか。
私は幸運な?頑丈な身体の持ち主らしく、抗癌剤の副作用も、他の方々のように、三日間吐き続けるなどというようなことはなく、 4-5回で済みましたし、通院治療で過ぎました。今回の放射線照射も通院で受けております。幸運か不幸か、二男「目の中に入れても痛くないバカ息子」がいまだ定職につかずフリーターなんぞをしておりますので、(就職活動は続けていても、相手がなかなか必要としてくれません)
毎日、送迎係をしてくれています。照射1O分、往復2時間。受付や待ち時間を入れても、3時間で終了です。(AM7:00-AM10:00)その後、二男はアルバイトです。「母ちゃんががさつだから、俺、茶道をやる」と、大学でお茶を身につけ、あちこちの寺の茶会に手伝いで出没しています。願わくば、茶道関連の職がいいのだそうですが、食べて行くには至難でしょうね。
さてたつ子様、「窓辺で15」センセーショナルな内容にドキリ。先日朝日の記事で、小児白血病の確率は高圧線の周囲で多くなると。柏では小児癌は扱っておらず、中央(築地)病院が専門です。幼児の白血病が電磁波で多発しているとしたら、私達はどのようにつぐなえばいいのでしょう。
白井周辺には、茨城県や福島県からの高電圧の送電塔が林立しています。これは一般に送電するのではなく、国家中枢の重要部署へのためにのみに存在するもので、秘密の設計(計画)だとか。また、佐倉市にある「国立民俗歴史博物館」は、成田空港建設の代償施設として実現しました。この建造物は、核シェルターを兼ね、有事の際は、政府高官・皇族の方々をヘリ移送・守護する役割があるのだとか。隣接村・印旛村には、「日医大付属千葉北総病院」があります。ヘリポート付きの救命救急総合病院で、テレビの病院特集番組によく登場します。この病院も、有事の際、やんごとなき人々を移送・治療するのだとか。田舎の田舎の野山のド真ん中に、柏のがんセンターより立派な病院がドーンとあるのは、何ともふつり合いです。世の中には、一般人の考え及ばない施設や計画がとても多いようです。前述三話は全て伝聞です。確たる記述は知りません。電磁波のデメリット、原子力発電のデメリットも、私達にはなかなか正しく伝えられておりません。有用さのみ大きく宣伝され、いつのまにかその波に飲み込まれているのが現状です。とても良い勉強になりました。ベッドで聴くラジオも、電源を外して寝ることにいたします。・・略・・子ども達の行動異常も、単に親子の問題、愛情不足などという単純な構図のみでは解けない背景がほの見えて、正直「おそろしい」と思います。・・・略・・・
以前たつ子様が書いておられました無農薬有機栽培の米の価格等の件、改めて、私達消費者は、口にする食物の安全を主張するのなら、それに応じた対価を負担すべきと認識するところです。安価で安全でかつおいしい食物など、土台、ムリというもの。ムリを形の上でだけ可能にしてきたつけが、現在のひずみなのかもしれません。それでも一つだけ嬉しいことがありました。
白井市に昨年八月から、ALT (英語実習助手)としてやって来たイギリス青年「クレイグ君」22才は、牛乳・卵・チョコアレルギーで、給食がほとんどダメでした。ところが今年六月頃から、アレルギーがなくなったというのです。「日本の牛乳・卵・野菜、あんぜんでーーす。わたし、もう、なんでも食べて平気です。」これは、彼の身体から、アレルギー因子が少なくなったということらしいのです。彼が食事を楽しいと思ってくれること、日本の野菜を安全と言ってくれること、本当に嬉しくなりました。市議姉が自宅に夕食に招くたび、私もお相伴にあずかります。「お母さん、生ものダメですか。ボク牛乳・卵ダメデーース。」と言っていたのが、「お母さん、ガンバッテ、ボク、何でも食べます。」だって。「私だって何でも食べるわよ。」二人で野菜をムシャムシャ。ようし、プリンを作ってやろう。ということです。
「ホッ」では、お元気で。
 
(8月26日受信)
台風13号通過以後、嘘のように涼しくなりました。35℃から急に26℃では、身体がついていきません。この2年10ヶ月、私の身体を気使ってか、それとも偶然のなせる技か、風邪もインフルエンザも寄りつかなかった夫と娘と息子が、グシュングシュンと揃い踏みです。家族三人が風邪っぴきとなると、隔離されるのは当然この私。「何で。」と怒ってみたところで肺炎になるのは怖いし、おとなしくC.D.ラジカセを抱えて引き込もっております。と申しましても日中は私一人ですから、それほど苦痛ではないのですが。・・・(略)・・・
朝日「声」お目にとめていただいてありがとうございます。編集室、Fさんという方が、私のことをよく覚えていて下さって、多分、お目こぼし採用だったと思います。何故なら、阿南陸軍大臣の一件など、決して、朝日が載せるはずない話題です。現中国大使・阿南さんの父上です。脱北者取り扱いで大騒ぎした中心人物でもあり、チャイナスクールの実力者ですから。反響は一切ありません。多分、編集室で私を気使い、全て握りつぶしていると思います。戦争への思いは大変強いものがあって、その反応はすさまじいのだそうです。F編集員はその辺りも承知の上で私に取り次ぐことは一切しない方針をとって下さいました。 たつ子様が、亡き父上について触れますとき、私は言い難い畏れの念を抱きつつ、お手紙を拝読いたしました。私の父は、職業軍人でした。今でも耳をふさぎたくなる様々がございました。それでも、今私が存在できるのは、父が生きて帰れたからにほかなりません。私にとって、かけがえのない父ですが、その裏には、沢山の沢山の犠牲があることを思うと、なかなかに触れ難くて・・・。ですが、私が死を意識する今、父のこともルーツとして認めていかねばと思っております。たつ子様が今あるのは周囲の志、そして輪廻とおっしゃる。誠にそのように思います。私の輪廻は?まだよくつかんでおりませんが、父のことを考えると、おぼろげに見えて参ります。人は様々の背景を負って生きているのですね。
さて治療ですが、8/26- 9/11まで放射線(マイクロトロン)13回照射です。左足の痺れをとること。第二胸椎に照射するのは胃や食道を直撃するので、途中、様子をみながらとか。元々、治るものではなかったのですから、三年近く日常生活を許されたことが最大の幸福です。歩けることを条件に、今後の方針を立てていただくことになりました。
生命を長らえることより QOL優先で参ります。どこまで日常を通せるのか、挑戦です。と申しましても、そんなに悲壮な思いでいる訳ではございません。いたって平常ですので、どうぞご心配なく。人が老いると同じく、病気にもプロセスがあります。それは避けられません。どう、そのプロセスを受け入れていくかが大切なのだと思います。たった一度の生、私の人生、私の生活、慈しんでで受け取ります。 
絵葉書ありがとうございました。「矢切りの渡し」は近くです。お正月には、初詣をかねてよく乗りました。柴又の帝釈天(寅さんの舞台)へ詣でる道すがら。今年も残り4ヶ月だい!!矢切りの渡し、乗りましょう。
明後日から治療です。では、ご無理なさいませんよう。           夏の終わり。
 
(8月12日受信)
秋来ぬと・・・?ウソでしょ。暑すぎるし。まだ今年になってほんの少しの気がするのに・・・。でも立秋です。そして残すところ五ヶ月弱。病気以後、時間・月日に敏感になりました。特に夜明けの白み始める頃の変化とは仲良しです。??? 夏至の頃は、AM4:00には新聞が読めました。今は AM4:45 にならないと読めません。灯りを点ければいいのでしょうが、やはり朝の自然光の元で新聞を広げるのが好きです。たつ子様には申し訳ありませんが、今のところ私には睡眠障害はないらしく、 PM10:00にはベッドに入り、 TBSラジオ「アクセス」を聴きながらグースカピースカ大イビキ。一度も目覚めずAM3:45頃にはモソモソ。空が白み始め、野鳥が鳴き出し、セミがうるさくなるAM4:00には起きてしまいます。朝が無事に来て、自分が自分の足で歩けて、今日一日が始まると思うと、たまらなく嬉しいのです。反面、いつか骨を圧迫している癌が歩行不能にするのだろうという不安が、喜びを倍加するのかもしれません。一日一日、とても輝いて見えます。・・・略・・・
八月九日通院、R16大渋滞。お盆のためか、白井ー柏まで通常40分のところ、二時間かかりました。事故でもなんでもなく、自然渋滞です。やっと診療室に飛び込んで「コンニチワ」と申し上げ、続いて大渋滞の顛末を告げようと思ったら、壁中、ガイコツのフィルムだらけ。いつも笑顔の先生がニコリともせず「こんにちは」ですって。「ありゃりゃりゃりゃーー」「原田さん、今日から抗癌剤止めようね。どうも効果が無くなったみたいで、データが上がってるんだよ。」ガイコツのフィルムを指して、腫瘍が大きくなっている箇所を説明。「抗癌剤が身体から抜けないと、次の治療は出来ないので、少し考えさせてくれる?」「ハイ。でも先生、スパゲッティ症候群にだけはしないで下さいね。」「わかってるよ。原田さんの QOL(Quality Of Life-生活の質)を守るために最良の方法を捜すからね。」ということで、カルシュウム点滴のみ受けて帰宅。ま、病気のスケジュール通りということで冷静に受けとめています。この二年十ヶ月(1999,10,入院)本当に夢のような生活をプレゼントしてもらいましたから、欲は申しますまい。放射線でも、新薬治療でもモルヒネでも来るなら来い・・・です。本心は、正直言ってちとヤバイかな?ですが。人間だもの・・です さあて、この二年十ヶ月、白血球減少のため口にすることのなかった漬け物、刺身、生寿司、「喰ってやる!!」もう「食べてやる」なんて品のいいこと言ってられない。「くってヤルーー。それでも、漬け物が第一に来る辺りが私の私たるところ・・・。亡き母が最後に食べたがったのは生ラッキョウに生みそをつけてかじるという物でした。うーーん、似てる。案外、人は素朴な物が恋しく懐かしかったりするのでしょう。そして意外に、それがほんとうのぜいたくだったりして。今の時期、生ラッキョウなどありませんからね。お金を出せば何でも手に入る時代といいつつ、自然界には、その旬でなければ口には入らない物はまだまだありそうです。そのことにほっと安心したりしております。特に山菜などと呼ばれる物は山の恵み、季節の恵み、人工的に栽培されることのないよう祈ってしまいます。話がふらりふらりとにかく今のうちに好きな物を「喰ってやる」。
関東は、本当に猛暑です。ベランダは PM2:00頃37℃「アチーッ」。木鬼灯は、花が小さくなり下の方の実は、茶色にカラカラです。そうだ、来年もこの花を見なくちゃ。友人の形見の八重咲きハイビスカスと、マツバボタンがベランダの住人です。あまりかまわずとも花盛り。ホントにいい子達です。そして、不思議なほど元気な私です。助けられております。・・・略・・・
 
(7月22日受信)
・・略・・台風6号、関東上陸の日7/16(水)、MRI検査で、病院でした。朝9:00受付。検査のみですから、私一人で出かけました。9:30-10:00 ドンカン、ドンカン、ガーガーゴンゴン、グァーングァーンと、ものすごい音の磁気の中、ほとんど気が変になる頃、やっと穴から出されました。
「原田さん、入院中はMRI検査、拒否だったよね。今日は、よく耐えましたね。」と、若い技師が、カルテを見ながらほめてくれました。「ハイ、生かされましたから。」などと少しズレた返事で着替えていると、「原田さん、台風上陸だって。通過するまで、帰らない方がいいよ。」ということで、病院で台風通過を待つことになりました。
九階レストランは、大混雑です。多分皆さん、台風をやり過ごすつもりのようです。私は単独なので、レストランをやめて、反対側の喫茶室に向かいました。すると、入り口に屈強な黒服の男性二人、ジロジロ、私を上から下まで見ています。「アレ?」私はわざと杖をオーバーについてみせました。喫茶室の窓側の一角に男性の一団。その真ん中に、ヒゲの殿下、三笠宮様の姿。月に一度、院長海老原先生の診察を受けにおいでとは、常々承知しており、ロビーですれ違うことはありましたが、同じ患者同士、ごくごくさりげなくやり過ごすだけでした。その日は、殿下も台風通過をお待ちになるため、喫茶室をご利用になられたようです。ご診察も無事終わり、格段の変化もなかったのでしょう。笑い声も上げて、お付きの方とジュースを召し上がっておいでです。「お互い元気で何よりです。」本当は、お近くで声をかけたいところですが、心の中で申し上げて当方も紅茶をオーダーしました。
一時間近くそこで過ごし、宮様の一団が席を立たれたのを見届けて、私も帰路につきました。白井の駅に着く頃には、すっかり晴れていました。駅前は、水でいっぱいで、川のような流れが出来ていました。
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