(12月31日 受信)
ご主人様の修学旅行(での子供達)の様子、心が痛みます。 「窓辺で」で述べられておられる食品のバランス。お手紙で断言される「飢」を知らない子ども達。自然のサイクル、普通の暮らし方を忘れた結果が、未来を担う子ども達に凝縮されて現れるとしたら、何とも悲しくなります 。真夜中のファミレスに乳幼児連れの家族が多くなって来たとか。朝からファミレスで食事をする冬休みの家族とか。以前に一度書いたような気もするのですが都内の精神薄弱児施設で、業者委託給食にしたところ、子供達が 落ち着かず荒れることが多くなったとか。施設内調理にもどすと、以前のように落ち着いて荒れることが少なくなったというのです。施設内調理では、十時頃からだしをとるにおいや、炒め物の香りや湯気、ご飯の炊けるにおいetc が漂って来て、「今日はカレーだ、みそ汁だよ」「フライだね」と、子供達がニコニコするというのです。家庭でも、夕刻子供が帰宅してドアを開けた途端、ミートソースやカレーの香りが漂っていると必ず台所にやってくるといいます。食は単に、食欲を満たすだけでなく、愛情や精神的安定や、マナーや、労働や、スキンシップ等々を通し、子供の人格形成、常識形成、躾の大切な手段なのだろうと思います。少年院に送られる少年達が一番屈辱を感じたことは、運動会、修学旅行校外学習等行事で)など弁当持参の日に、ホッチキスで止められたプラスチック弁当を、パリンパリンと開けなければならない瞬間だったと述懐しているそうです。その瞬間に彼らが味わったであろうみじめさ、切なさを思うと、涙もろくなっている私はやはりうるうるしてしまうのです。私達は、便利さを手にした代償に何と多くの温もりや、うるおいや、優しさや、苦しさや、面倒を失ったことでしょう。親になる為のライセンスがあったらいいのにと、ポーンと飛躍した思考に走る原田でした。チャンチャン・・略
さあて、飯冷えの支離滅裂文も2002年の最終便となりました。この手紙、何のかのと中断して三日がかりとなりました(12/28)たつ子 様、忙しい中、本当に、お付き合い有り難うございました。強がりを申し上ても一時の勢い。ふと落ち込むたび、たつ子様との交流は、心癒やされる何よりの薬となっております。所詮、人は一人では生きていけません。でも、あまりにも身近な者達ばかりでは息がつまります。本当に身勝手な交流方法を強要いたしまして申し訳ありません。今しばらく、私が元気である証として、、郵政省にご奉仕くださいませ。・・・略・・・
(12月14日 受信)
・・・略・・・私はまた大失態をいたしました。まだ役所勤務だった頃、とてもとてもお世話になった上司(78才)が、ひょっこり見舞いと称して来て下さいました。一人息子が隣村「本埜村」の役場庁舎を10年前設計建築したので、役場見学・白鳥見物(村の田んぼに毎年 200羽飛来して村の観光名所になりました)がてら、顔を見たい
と寄って下さったのです。
七年前、私と同じ乳癌で奥様を亡くされ、独り暮らし、車を乗りこなし優雅な毎日・・・と思っておりました。「原田君、私の妻も最後まで希望を捨てずよく頑張ったよ。君も現代医学を信じ、心を清らかに少しでも良くなるよう、食事なども注意するといい。」etc.いろいろ参考になるお話をして下さいました。「ありがとうございま。
でも部長、私は尊厳死の手続を済ませていますので、苦しまず平安のうちに最後を迎えようと思っています。」しばらく沈黙あって、「そうか。君には後顧の憂いがないんだね。私はね、例え寝たきりになろうとも、生きていなければならなくてね。」???
上司の自慢の一人息子が昨年末、12月28日に肝臓癌で突然逝去され、年賀状は発送後で、喪中の知らせは出せなかったとか。建築事務所を新築し、仕事も順調だった矢先の急逝で、残されたのは高校生を頭に、小三までの4人の孫と嫁、そして多額の借財。保険金も露と消え、息子一家の経済的基盤が今や、上司の退職金と年金だというの
です。「小三の孫が成人するまでは、何としても生きていてやらなければ、だから死ぬわけにはいかんのだよ。」ガーン!!
バブル最盛期にたっぷりの退職金を手に停年し、かなりゆとりのある年金生活で、悠々自適と推察していた上司でした。人生の切なさ(うまい表現が出来ません)を痛感です。上司は、息子喪失から立ち直るきっかけにと、息子の形見として残された「本埜村役場」を、それこそ上から下まで隈無く見せてもらってきたと。女子用トイレの中に、デパート並とまではいかないが清潔な化粧コーナーが備えられ、かなりの数の小さなロッカーがあったと。案内してくれた秘書課の女性が「とても機能的で、人に見られたくない物を保管できるので、女子職員はトイレタイムが楽しみですよ。」と言ってくれたそうです。
浅慮な私は、いつも思ったことをパパァと口にすることが多く、仲間内なら、「また原田の直球がさあ・・・」で済むのですが、上司には大変申 し訳なくてなかなか言葉が出なくなってしまいました。死を望む人はいませんが、死ぬに死ねない人が目の前にいるのに、私は何と残酷な言葉を吐いたことでしょう。上司が置いていかれたアガリクス粉をおしいただいて飲んでいます。
いつも一呼吸おいてから話そうと心に誓うのですが、なにせ56年、直球語一本で生きて来てしまいましたから、
身に付かないことおびただしいです。・・略・・
12月13日(金)朝日「声」欄ごらんください。大事件が起きなければ、拙文が載る予定です。病気を武器にする訳ではないのですが、「そろそろ書いてみてはどうですか。」とお誘いを受けての投稿です。
(12月2日 受信)
・・・略・・・
たつ子様といい、この友人といい、どうも私の友人は揃いも揃って意地悪な人が多くて・・・?。みーんな、「この花は来年の夏に咲くから大切に育ててね。」とか「これは来年の物だから、今使えないわ
よ。」etc.「ふんっ」負けてたまるか。絶対、花を見るもんね。ムギセンノウ、別の友人の畑で双葉を大きくしてます。ベランダのプランターでも、枯れ葉に埋もれてスクスク。どんな花が咲くのかワクワク?。アレ、すっかり乗せられてるぞ。
「木鬼灯」もそうでした。そういう友人達の意地悪が、私の闘志をかきたてN.K.細胞を増量させ、主治医に「君の後ろにはきっと何か守ってくれるものがついているんだよ。」と言わしめるのです。脊髄にとりついている腫瘍は、確かに左足を痺れさせています。でも、痛みというほどには進行せずに止まっています。主治医は「痛まないのがふしぎだね。君は生活が充実しているから、痛みを感知しないのかも知れないよ。痛みというのは、心理的な要素も大きいらしいから。」なんて、医師らしからぬことをしゃあしゃあと言っています。これもずいぶん意地悪ですよね。「すみません。先生のご期待に添えなくて。」「アハハハ、なあに言ってんだよ、いいことじゃないか。」だってさ。モーッ。いいんだ。いいんだ。来年もこの調子で頑張るもんね。来年まで一ヶ月だい。
あっ、そうだ。木鬼灯でいいニュースです。福祉協議会の友人が、「木鬼灯のドライフラワー、あなた知ってた?」と飛び込んで来ました。福祉センターの庭の隅に枯れるがままにしておいたところ、通所しているご年配のご婦人が「まあ、ワタクシ、このドライフラワー、ずっと捜してましたのよ。」と、目を丸くして喜ばれたとか。その方は、実もののドライフラワーが趣味で、以前お知り合いのお宅で、スプレーで色付けされた木鬼灯のドライフラワーを見て以来、捜されていたそうです。「千成り鬼灯」で試してみても実が全部落ちてしまうし、鬼灯はデカすぎるし、一体、何なのだろうと、気が狂わんばかりに憧れていたそうです。(その方の表現ですよ)
たつ子様、人の交流ってホントに不思議でございます。そのご婦人が、木鬼灯にオレンジや青で色付けして福祉センターに飾ってくれたそうです。クリスマスのイルミネーションと並んで、「ポッ」と灯の点ったような温もりだとか。私は処分してしまったことがくやしい。今咲いている木鬼灯では、ドライフラワーまでいかないかもしれませんし。ようし、来年、絶対挑戦してやるぞ。たーくさん作って、あちこちに配ってやらなくちゃ。あーあ、また頑張るぞー。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
忘れないうちに二つほど、絶対書きます。一つ・・・略・・・二つ、いつも悪友共(私もしっかり入会している訳ですが)が、たつ子様を評して「じれったい。」とか「損な方へばかり目を向けられる」と申し上げる点。奴らには(私にも)たつ子様の置かれていらっしゃる状況が、本当のところ見えておりません。今回の「窓辺で」で、少し理解するかとは思います。たつ子様のお手紙も見せてよろしいですか。
人は、それぞれの生きる場所、その位置があるのですね。つい、首都圏に住み、かなり自由な言動が許される私共の日常が一般的なのだと錯覚してしまうのです。いえ、私共の尺度に沿わない事柄に異を唱えてしまうのです。悪い癖と知りつつ繰り返す愚かさ、笑って下さいませ。本当に自己中心の私達です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何とか、おさまりました。では、ご機嫌よろしく。体調いいです。
(11月15日 受信)
・・・略・・・
たつ子様、私へのご配慮ありがとうございます。「クリちゃん」への想いとてもよく解ります。御手紙の端々に、家族、いやもしかしたら四男として存在したであろうクリの姿が偲ばれます。山茶花の幼木の下で安らかに眠ることでしょう。
私は今、自分でも信じがたいほど「死」を客観的にとらえています。丁度三年前の今頃、柏のガンセンターに運び込まれました。当時は、泣いて、騒いで、拒否をして、荒れ狂うまま日々を過ごしました。死が怖くて怖くて、現実を受け入れることが出来ませんでした。冬を越し、桜が咲けば「見納めの花」と思い、藤が咲けば「藤の花になりたい」と思い、全ての物を死と結びつけて見る毎日でした。でも、そういう極限の日々のおかげで、「死」というものがいつしか柔らかく醸成され、死を受け入れる心も育まれたように思います。格好いいことを申し上げても、その場になってどう対処するかなど自分にも解りません。なるようになる・・・です。現世と来世の境界が、他の方々よりは低いような気はいたします。不謹慎なことを発見。やっぱり脳天気な私です。
・・・略・・・
話長くなります。
「教育を受けられる幸せ、学べる喜び」日本の子ども達に、今、一番伝えたい言葉です。「勉強しては
いけない。物事を知ってはいけない。」と、一度言ってみたいものです。付け加えて、もう一言、「選挙権を無くすよ」と。確かに信じられない政治です。でも、それでも発言の自由なこの国。亡命など考えなくていいこの国。せめて、先人が生命を賭して獲得してくれたこの権利を、お金であがなえない権利をないがしろにしてほしくない・・・と思います。
南山団地の植栽の紅葉が、今年は一段と鮮やかです。急激に冷え込んだせいです。あと四.五日で落ち葉が地面をおおうでしょう。桜の枝枝には、来年のつぼみがふくらんでいます。さあ、お花見まであと五ヶ月だい。・・・ 神帰月
(11月2日 受信)
ベランダにこぼれた「木鬼灯」 が芽を出して、小さいながら花をつけています。植物の生命力に感動しています。牧野図鑑で教えていただいた「オオセンナリ」(木鬼灯の正式名称)の図は、青い花色が冴えて、「これよ、これ、これが木鬼灯よ。」と友人を感動させましたが、おのれ生えの秋の木鬼灯もいいものです。
週末の天気はいつも雨でがっかりですが、ウィークデーはぬけるような秋の空が広がります。マツバボタンが、最後の力をふりしぼって咲き競っています。千葉も、冬はかなり気温が下がりますので、ハイビスカス、アロエなどは大きな、透明なビニール袋で簡易温室を作り、その中で冬越しです。マツバボタンの鉢などもビニールで覆うと、冬中花をつけます。
病気以後、ベランダの鉢の冬越し作業は娘の担当です。本当に何もしない娘なのですが、この仕事だけは黙っていても、「お母さん、今度の休みにビニールかぶせるから、切りつめるなら早めにね。」などと、逆に尻をたたいてくれます。私が勝手に推測すれば、「母の愛している鉢花を枯らすことは断じて出来ない。」というところでしょうか。ちょっとロマンチック過ぎるかな? でも、そう思っていたい。エヘ。 だってね、たつ子様、この娘、弟に台所を任せ、食べる人に徹しているのです。「ちょっと、Y、今日はイタ飯にしようよ。」「えっ姉ちゃん作れるの?」「バカ、アンタが作るにきまってるでしょ。アタシが作ったら、時間ばっかりかかってまずい物しかできないよ。」「うん、それもそうだね、じゃ、なすのパスタでも作るとするか。」(納得するなっ) もう、バカな姉弟、でも、育てたのはこの私、仕方ないか。早く娘よ、嫁に行け。そして、目の中に入れても痛くないバカ息子、さっさと就職してくれ。トホ。
夫は、こんな週末のやりとりを一歩離れて、背を向けて聞いています。そして、私と二人きりになった頃、「俺さあ、このまま時間が止まって欲しいと思うんだよね。」と、ボソリとつぶやきます。結婚30年余、他のご家庭を体験していないので比することは出来ませんが、我ヶ家なりに様々なことがありました。そして私の闘病。でももしかしたら、今一番、我ヶ家は平穏なのかもしれません。脳天気な私は家族の優しさの中で、ふと病気を忘れたりしています。 朝、汚した食器を流しに放って置けば、いつの間にか息子が片付けてくれます。アルバイトに出かけるとき「母ちゃんメモは?」と聞いてくれます。食材や細々とした雑貨をメモして渡せば、帰宅時にドサリと届きます。私も心のどこかで「時間よ止まれ」と祈ってしまいそうです。
さて、今 私のところには、教育相談らしき要件は新しく来ていません。継続で「晴れた日も傘を持って登校するMちゃん」と「卒業後も引き込もりで一歩も地面を踏んでいない16才少女の二件だけです。」Mちゃんは先日、ターゲットにしているお友達に、「トイレに行っちゃダメ」と命じ、その子はおもらしをしてしまいました。クラス中から(親達)非難を浴びて、久振りに「おばちゃん、M子いじ悪しちゃった。ゴメンナサイ。」と親子でやって来ました。「遊びたかったの。休み時間が短いからトイレをがまんさせたの。」Mちゃんは悪い子のレッテルを貼られ、きっと「アレしちゃダメ、コレしちゃダメ」とみーーんなから言われているようです。ターゲットにしている子は成育不全症とかで、小さな弱々しい女の子です。きっと唯一、Mちゃんと遊んでくれる相手なのです。たかだか7才、小二の女の子に優しい交友関係を教えるには、周囲が優しくしてやることが一番なのですが。ママにもう一度、「Mちゃんに否定的な接し方をせず、肯定的な言葉かけをしましょう。」と、いくつか例を挙げて説明し、しばらくMちゃんと遊びました。 ・・・略・・・
さて、お手紙ですが、あまりご心配なさらないで下さいませ。私もこのところ体調・精神とも大変落ち着いておりまして、文化祭のお誘い、茶会のお誘い(略式、椅子でお茶をいただいております)音楽祭のお誘いなどなど、送迎付きであちこちうろうろしております。久し振りに多勢の方とお目にかかって口もよく動きました。アレルギーに打ち勝ったクレイグ君は、文化祭でハッピ着用し大太鼓を披露しました。イギリスからご両親が見えて、息子の体調を心配しつつも、町の人々に愛されている様子を見てご安心のようです。クレイグは、英国にしばらく帰らないと言っているので、あちらから来ちゃったのだとか。息子がふっくらとして、何でもよく食べることにびっくりしていらっしゃいました。以前は、食事になると悲しげな顔をしていたのだとか。よかった、よかった。ということで、お便りどうぞ気になさらずごゆっくり。(お便りいりませんよ、と書けないところが、ちと悲しい。どこかで待っている私ではあります。)とまれ、よい季節。そして私は思わぬ程快調、幸せ。・・・
(10月19日 受信)
たつ子様、10月15日以後、メディアは拉致、らち、ラチばかり。「拉致」などという犯罪が国家の力で実行されるおぞましさ。うすうす知りつつ、三猿よろしく放置し続けた日本という国。理想ばかり掲げて、知らぬ存ぜぬを貫き通した政党。日本人は「ワアーッ」と一方向になびく習性があります。過去、戦争にまで突き進んだ記憶はまだ新しい。メディアに流されて、拉致の真のおそろしさ、悲劇が曲がることのないよう、よく考えていかねばと思います。
・・・略・・・
友人の一人に、団地の管理事務を担う人がいます。その友人の窓口には、様々な人たちがフラリと立ち寄ります。(きっと私もその一人でした。)団地の高齢の人、小学生、中学生そして野良猫まで。?そういう方々は一様に友人も少なく、小中学生はどこか問題を抱えた子ども達ばかりです。いじめられている子もいれば、いじめている方の子もいるのです。猫ちゃん達も、いじけている猫もいばっている猫も両方やって来ます。友人は、その両方に耳を傾け「ふーーん、そう」と聞いています。きっと、人々(弱者、心に傷ある人)に癒しのムードを与えるのでしょう。引きつける何かがあるのでしょう。その友人も裁縫が得意で、ご自宅の押し入れは、布や古着(リフォーム用)の段ボールがいっぱいです。誰かさんによく似ています。エヘ。
白井市の「ふるさと祭り」が11/3,4 二日間開かれます。彼女はテントを一つ10年前から有していて、エプロン、バッグ、ブラウス、スカート、パンツ等々を売ります。年に一回の店開きを待っている人々も多く、手作りの品々はいつも一日目で完売します。仕事に忙しいはずなのに、彼女は、とにかく年に一度の店開きに向かって、コツコツ品物をつくります。そうそう、今年は、たつ子様のデザインを盗用して、布の帽子も幾つか用意したそうです。私も病院にいるとき、パジャマを二組縫ってもらいました。似ている人がいるものですね。あれ、また長くなりました。とても気持ちのよい日です。どうぞお元気で。
(10月7日受信)
台風21号、「やさいっこ村」の皆様に、被害大変だったのでは・・・。少しおそれつつ書いております。白井市は、梨(新高)にダメージが大きく、知り合いのMさん(団地入居当時、公園にむしろをしいて、野菜を売ってくれた近くの農家の主婦)は、「オラ、ハア、モウ、梨はやめっぺと思うんだよ。折角、半年以上苦労しても、2−3時間の台風でハア、モウ、ダメダモン。」と。このところ土地高騰で暮らしは困らないのですが、やっぱり農業はやめられないと、70近い夫婦で梨を作り続けていました。農業はある種、ギャンブルの要素を含んでいます。青森のリンゴ落果、悲しい画面に思わず、テレビを消しました。 日本人は、根本のところで食生活を見直すべきなのではないかと、このところつくづく思うのです。首都圏に済んでいるから・・・。?。いや、日本全体がゆがんでいるような気がします。加工食品のオンパレード。そして、老いも若きもダイエットに舞い踊り、健康サプリを経口する。おかしいですよね。「キッチン・・・16」で村井氏がはからずも述べておられる通りです。「日本の方々は、もっと米を食べて体を動かし、豊かな実りの秋をともに喜べるようになったらいいと思います。」その通り!!また、たつ子様が述べておられる「生命の源・食が、食の役割を果たすに到るまでは、幾つもの手間や多くの時間・エネルギーが費やされているのだ。」そういうことだ。思い知れ、ですよね。何だか威勢よくなっちゃった。少しテンション高めです。アハハ。
当団地に一つしかないスーパーの冷凍食品コーナーに、油で揚げる冷凍食品が無くなったと、友人が怒っています。全て、レンジ対応の品ばかりとか。「家庭に電子レンジのない人だっているわよねえ。それに、フライもコロッケも、油で揚げた方が、料理らしいじゃないのよねえ。」ふーーん?。「レンジを持たない人は、もともと、冷凍品なんて使わず、自分で手作りするんじゃないの。これを機会に、年配の主婦は、手作りに戻ればいいのよ。」「あっそう。言って損した。ハイハイ、手作りいたします。」もっと怒らせちゃった。ということで、料理は何でも「レンジでチン」派と、手作り派と両極になっていくのでしょうか。でも、我ヶ家の娘など絶対「レンジでチン」ですね。「お母さん、弁当を買ってコンビニでチンしてもらうと、漬け物まで温かいのよ。私、この頃、慣れている自分が怖いわ。」ナヌ。さあて今夜は、新米を炊いて、具だくさんの豚汁にでもしなくては。材料を揃えて娘に煮込ませよう。・・・でも、デモ、でも、果たして娘は、早く帰宅するかしら。10/4(金)ですからね。・・・略・・・あれ、どこから娘のグチに。とまれ、こんな娘共が家庭を持ち、ママになって、きちんとした食生活や育児が出来るのでしょうか。ああ、もう考えたくない。
気分一新。「おおせんなり」(木鬼灯ーきほおづき、ナス科、学名 Nicandra physaloides Gaertn) ありがとうございます。研究熱心な友人が大喜びです。「わかったわよ。牧野図鑑はやっぱりすごいわ。何だか、とても心がすっきりしたの、うれしいわ」
と、報告あり。彼女は図鑑大好き、何か解ることが至福なんだそうです。コピーを渡すとすぐその足で、その目で確かめに行き、晴々したようです。(でも解らないと、しつこくてね。ハハハ。)本当にありがとうございました。麦センノウの方、再びエネルギーを燃やして、ご自分の方向を歩まれますよう願っております。よろしく。・・・略・・・
(9月20日 受信)
団地に隣接して「M中学校」があります。先日、体育祭が済み、今日9/18からは早くも合唱練習が始まりました。さわやかな秋の陽を浴びたくて開け放っている窓からは、交響詩「モルダウ」のふぞろいな声が届きます・これから上手になるのは、なかなか・・・。それでも中学生の歌声はいいものです。白井市は各中学校とも(五校しかありません)、文化ホールを借り切って合唱コンクールを実施しています。器楽ですと楽器にお金がかかりますし、移動が大変ということで。人間の持つ「声」で勝負ということのようです???。でも思春期・反抗期の中学生が、よくぞまとまって合唱に打ち込むものと、毎年感心して聴いています。「モルダウ」が完成する頃は、家にいてもぞくぞくするほど見事ながっしょうになっています。人の声はいいものです。
毎回手紙が冗長になります。反省。あまり人と接しておりませんので、つい筆が滑るようです。どうしてTelが出来ないのかと、自分でも悩みます。妹と話していても、長くなると受け答えがぞんざいになって、「姉ちゃん、あきたの?」と聞かれます。トホホ。・・・略・・・
電磁波の件、おろそかに出来ませんね。未知のものでも、便利さ速さに、つい手を出しがちですが、真の姿がわかる頃には、取り返しがつかない状況になっている昨今です。消費者、いえ生活者は、身の安全のためにはそれなりの対価を負担するという認識が大切なのだとしみじみ思います。食物、電気、住居、医薬品、衣料etc.安価な物へと流れがちですが、今一度足元を見直す目を養うべきですね。ヒートアイランド現象なども、よくよく考えないと、未来に申し訳がたちません。
白井市でも、分別ゴミ収集が4月より完全実施ですが、なかなか守られず、ゴミステーションには積み残された袋に、赤い注意文が貼られています。清掃担当の方が、毎回毎回、袋を開けて分別し直しています。たかだか 167世帯の当団地ですらこの通りです。近くのマンモス団地では、カラスがゴミを散らかし放題にもて遊んでいます。ひどいのは、駅や公園のゴミ箱に、雑多な家庭のゴミを放り込む人々が多いことです。きっと、ご自分の家の中や車の中はきれいにしているのでしょうね。友人の一人は、公園の犬の糞にあきれています。「今度見つけたら、その人の家の玄関に届けてやらなくちゃ」と。一部の人たちだとは思うのですが、何だか悲しいですね。
でも、我ヶ家の娘と息子を見ていると、あまりに忙しすぎ、いい加減すぎて、多分、自立してもゴミ処理には苦労するだろうな・・・。家にいる私でさえ(いえ、私のような者だからかな)ゴミ出しには神経を使います。いくつもの色違いの袋に、一つ一つ確かめながらゴミを入れる毎日です。出すのは夫ですから、恥をかかせない為にもきちんと分別です・(透明ですからね)
たつ子様、合宿、ようございましたね。うらやましい。子どもの声、排水口のお掃除、お世話様でした。秋のコーラス発表はないのでしょうか。それでも、異年齢の方々と声を合わせてつくり上げていく過程は、充分、実(楽も苦も)のある営みと存知ます。お便りの中で楽しませていただいております。
今日9/18、快晴、三日分の洗濯物がヴェランダにビッシリ。気温24℃、気持ちいい日です。白井の秋は、人工美と自然美の合体で、何ともふしぎな光景が広がります。
(9月7日受信)
9月3日、35℃ 湿度55% 9月4日、33℃ 湿度65%。これが白井市の現況です。但し、9月5日からは、少し涼しくなるとか。
私は幸運な?頑丈な身体の持ち主らしく、抗癌剤の副作用も、他の方々のように、三日間吐き続けるなどというようなことはなく、 4-5回で済みましたし、通院治療で過ぎました。今回の放射線照射も通院で受けております。幸運か不幸か、二男「目の中に入れても痛くないバカ息子」がいまだ定職につかずフリーターなんぞをしておりますので、(就職活動は続けていても、相手がなかなか必要としてくれません)
毎日、送迎係をしてくれています。照射1O分、往復2時間。受付や待ち時間を入れても、3時間で終了です。(AM7:00-AM10:00)その後、二男はアルバイトです。「母ちゃんががさつだから、俺、茶道をやる」と、大学でお茶を身につけ、あちこちの寺の茶会に手伝いで出没しています。願わくば、茶道関連の職がいいのだそうですが、食べて行くには至難でしょうね。
さてたつ子様、「窓辺で15」センセーショナルな内容にドキリ。先日朝日の記事で、小児白血病の確率は高圧線の周囲で多くなると。柏では小児癌は扱っておらず、中央(築地)病院が専門です。幼児の白血病が電磁波で多発しているとしたら、私達はどのようにつぐなえばいいのでしょう。
白井周辺には、茨城県や福島県からの高電圧の送電塔が林立しています。これは一般に送電するのではなく、国家中枢の重要部署へのためにのみに存在するもので、秘密の設計(計画)だとか。また、佐倉市にある「国立民俗歴史博物館」は、成田空港建設の代償施設として実現しました。この建造物は、核シェルターを兼ね、有事の際は、政府高官・皇族の方々をヘリ移送・守護する役割があるのだとか。隣接村・印旛村には、「日医大付属千葉北総病院」があります。ヘリポート付きの救命救急総合病院で、テレビの病院特集番組によく登場します。この病院も、有事の際、やんごとなき人々を移送・治療するのだとか。田舎の田舎の野山のド真ん中に、柏のがんセンターより立派な病院がドーンとあるのは、何ともふつり合いです。世の中には、一般人の考え及ばない施設や計画がとても多いようです。前述三話は全て伝聞です。確たる記述は知りません。電磁波のデメリット、原子力発電のデメリットも、私達にはなかなか正しく伝えられておりません。有用さのみ大きく宣伝され、いつのまにかその波に飲み込まれているのが現状です。とても良い勉強になりました。ベッドで聴くラジオも、電源を外して寝ることにいたします。・・略・・子ども達の行動異常も、単に親子の問題、愛情不足などという単純な構図のみでは解けない背景がほの見えて、正直「おそろしい」と思います。・・・略・・・
以前たつ子様が書いておられました無農薬有機栽培の米の価格等の件、改めて、私達消費者は、口にする食物の安全を主張するのなら、それに応じた対価を負担すべきと認識するところです。安価で安全でかつおいしい食物など、土台、ムリというもの。ムリを形の上でだけ可能にしてきたつけが、現在のひずみなのかもしれません。それでも一つだけ嬉しいことがありました。
白井市に昨年八月から、ALT (英語実習助手)としてやって来たイギリス青年「クレイグ君」22才は、牛乳・卵・チョコアレルギーで、給食がほとんどダメでした。ところが今年六月頃から、アレルギーがなくなったというのです。「日本の牛乳・卵・野菜、あんぜんでーーす。わたし、もう、なんでも食べて平気です。」これは、彼の身体から、アレルギー因子が少なくなったということらしいのです。彼が食事を楽しいと思ってくれること、日本の野菜を安全と言ってくれること、本当に嬉しくなりました。市議姉が自宅に夕食に招くたび、私もお相伴にあずかります。「お母さん、生ものダメですか。ボク牛乳・卵ダメデーース。」と言っていたのが、「お母さん、ガンバッテ、ボク、何でも食べます。」だって。「私だって何でも食べるわよ。」二人で野菜をムシャムシャ。ようし、プリンを作ってやろう。ということです。
「ホッ」では、お元気で。
(8月26日受信)
台風13号通過以後、嘘のように涼しくなりました。35℃から急に26℃では、身体がついていきません。この2年10ヶ月、私の身体を気使ってか、それとも偶然のなせる技か、風邪もインフルエンザも寄りつかなかった夫と娘と息子が、グシュングシュンと揃い踏みです。家族三人が風邪っぴきとなると、隔離されるのは当然この私。「何で。」と怒ってみたところで肺炎になるのは怖いし、おとなしくC.D.ラジカセを抱えて引き込もっております。と申しましても日中は私一人ですから、それほど苦痛ではないのですが。・・・(略)・・・
朝日「声」お目にとめていただいてありがとうございます。編集室、Fさんという方が、私のことをよく覚えていて下さって、多分、お目こぼし採用だったと思います。何故なら、阿南陸軍大臣の一件など、決して、朝日が載せるはずない話題です。現中国大使・阿南さんの父上です。脱北者取り扱いで大騒ぎした中心人物でもあり、チャイナスクールの実力者ですから。反響は一切ありません。多分、編集室で私を気使い、全て握りつぶしていると思います。戦争への思いは大変強いものがあって、その反応はすさまじいのだそうです。F編集員はその辺りも承知の上で私に取り次ぐことは一切しない方針をとって下さいました。 たつ子様が、亡き父上について触れますとき、私は言い難い畏れの念を抱きつつ、お手紙を拝読いたしました。私の父は、職業軍人でした。今でも耳をふさぎたくなる様々がございました。それでも、今私が存在できるのは、父が生きて帰れたからにほかなりません。私にとって、かけがえのない父ですが、その裏には、沢山の沢山の犠牲があることを思うと、なかなかに触れ難くて・・・。ですが、私が死を意識する今、父のこともルーツとして認めていかねばと思っております。たつ子様が今あるのは周囲の志、そして輪廻とおっしゃる。誠にそのように思います。私の輪廻は?まだよくつかんでおりませんが、父のことを考えると、おぼろげに見えて参ります。人は様々の背景を負って生きているのですね。
さて治療ですが、8/26- 9/11まで放射線(マイクロトロン)13回照射です。左足の痺れをとること。第二胸椎に照射するのは胃や食道を直撃するので、途中、様子をみながらとか。元々、治るものではなかったのですから、三年近く日常生活を許されたことが最大の幸福です。歩けることを条件に、今後の方針を立てていただくことになりました。
生命を長らえることより QOL優先で参ります。どこまで日常を通せるのか、挑戦です。と申しましても、そんなに悲壮な思いでいる訳ではございません。いたって平常ですので、どうぞご心配なく。人が老いると同じく、病気にもプロセスがあります。それは避けられません。どう、そのプロセスを受け入れていくかが大切なのだと思います。たった一度の生、私の人生、私の生活、慈しんでで受け取ります。
絵葉書ありがとうございました。「矢切りの渡し」は近くです。お正月には、初詣をかねてよく乗りました。柴又の帝釈天(寅さんの舞台)へ詣でる道すがら。今年も残り4ヶ月だい!!矢切りの渡し、乗りましょう。
明後日から治療です。では、ご無理なさいませんよう。 夏の終わり。
(8月12日受信)
秋来ぬと・・・?ウソでしょ。暑すぎるし。まだ今年になってほんの少しの気がするのに・・・。でも立秋です。そして残すところ五ヶ月弱。病気以後、時間・月日に敏感になりました。特に夜明けの白み始める頃の変化とは仲良しです。??? 夏至の頃は、AM4:00には新聞が読めました。今は AM4:45 にならないと読めません。灯りを点ければいいのでしょうが、やはり朝の自然光の元で新聞を広げるのが好きです。たつ子様には申し訳ありませんが、今のところ私には睡眠障害はないらしく、 PM10:00にはベッドに入り、 TBSラジオ「アクセス」を聴きながらグースカピースカ大イビキ。一度も目覚めずAM3:45頃にはモソモソ。空が白み始め、野鳥が鳴き出し、セミがうるさくなるAM4:00には起きてしまいます。朝が無事に来て、自分が自分の足で歩けて、今日一日が始まると思うと、たまらなく嬉しいのです。反面、いつか骨を圧迫している癌が歩行不能にするのだろうという不安が、喜びを倍加するのかもしれません。一日一日、とても輝いて見えます。・・・略・・・
八月九日通院、R16大渋滞。お盆のためか、白井ー柏まで通常40分のところ、二時間かかりました。事故でもなんでもなく、自然渋滞です。やっと診療室に飛び込んで「コンニチワ」と申し上げ、続いて大渋滞の顛末を告げようと思ったら、壁中、ガイコツのフィルムだらけ。いつも笑顔の先生がニコリともせず「こんにちは」ですって。「ありゃりゃりゃりゃーー」「原田さん、今日から抗癌剤止めようね。どうも効果が無くなったみたいで、データが上がってるんだよ。」ガイコツのフィルムを指して、腫瘍が大きくなっている箇所を説明。「抗癌剤が身体から抜けないと、次の治療は出来ないので、少し考えさせてくれる?」「ハイ。でも先生、スパゲッティ症候群にだけはしないで下さいね。」「わかってるよ。原田さんの QOL(Quality Of Life-生活の質)を守るために最良の方法を捜すからね。」ということで、カルシュウム点滴のみ受けて帰宅。ま、病気のスケジュール通りということで冷静に受けとめています。この二年十ヶ月(1999,10,入院)本当に夢のような生活をプレゼントしてもらいましたから、欲は申しますまい。放射線でも、新薬治療でもモルヒネでも来るなら来い・・・です。本心は、正直言ってちとヤバイかな?ですが。人間だもの・・です さあて、この二年十ヶ月、白血球減少のため口にすることのなかった漬け物、刺身、生寿司、「喰ってやる!!」もう「食べてやる」なんて品のいいこと言ってられない。「くってヤルーー。それでも、漬け物が第一に来る辺りが私の私たるところ・・・。亡き母が最後に食べたがったのは生ラッキョウに生みそをつけてかじるという物でした。うーーん、似てる。案外、人は素朴な物が恋しく懐かしかったりするのでしょう。そして意外に、それがほんとうのぜいたくだったりして。今の時期、生ラッキョウなどありませんからね。お金を出せば何でも手に入る時代といいつつ、自然界には、その旬でなければ口には入らない物はまだまだありそうです。そのことにほっと安心したりしております。特に山菜などと呼ばれる物は山の恵み、季節の恵み、人工的に栽培されることのないよう祈ってしまいます。話がふらりふらりとにかく今のうちに好きな物を「喰ってやる」。
関東は、本当に猛暑です。ベランダは PM2:00頃37℃「アチーッ」。木鬼灯は、花が小さくなり下の方の実は、茶色にカラカラです。そうだ、来年もこの花を見なくちゃ。友人の形見の八重咲きハイビスカスと、マツバボタンがベランダの住人です。あまりかまわずとも花盛り。ホントにいい子達です。そして、不思議なほど元気な私です。助けられております。・・・略・・・
(7月22日受信)
・・略・・台風6号、関東上陸の日7/16(水)、MRI検査で、病院でした。朝9:00受付。検査のみですから、私一人で出かけました。9:30-10:00 ドンカン、ドンカン、ガーガーゴンゴン、グァーングァーンと、ものすごい音の磁気の中、ほとんど気が変になる頃、やっと穴から出されました。
「原田さん、入院中はMRI検査、拒否だったよね。今日は、よく耐えましたね。」と、若い技師が、カルテを見ながらほめてくれました。「ハイ、生かされましたから。」などと少しズレた返事で着替えていると、「原田さん、台風上陸だって。通過するまで、帰らない方がいいよ。」ということで、病院で台風通過を待つことになりました。
九階レストランは、大混雑です。多分皆さん、台風をやり過ごすつもりのようです。私は単独なので、レストランをやめて、反対側の喫茶室に向かいました。すると、入り口に屈強な黒服の男性二人、ジロジロ、私を上から下まで見ています。「アレ?」私はわざと杖をオーバーについてみせました。喫茶室の窓側の一角に男性の一団。その真ん中に、ヒゲの殿下、三笠宮様の姿。月に一度、院長海老原先生の診察を受けにおいでとは、常々承知しており、ロビーですれ違うことはありましたが、同じ患者同士、ごくごくさりげなくやり過ごすだけでした。その日は、殿下も台風通過をお待ちになるため、喫茶室をご利用になられたようです。ご診察も無事終わり、格段の変化もなかったのでしょう。笑い声も上げて、お付きの方とジュースを召し上がっておいでです。「お互い元気で何よりです。」本当は、お近くで声をかけたいところですが、心の中で申し上げて当方も紅茶をオーダーしました。
一時間近くそこで過ごし、宮様の一団が席を立たれたのを見届けて、私も帰路につきました。白井の駅に着く頃には、すっかり晴れていました。駅前は、水でいっぱいで、川のような流れが出来ていました。
・・・略・・・今、中国野菜の安全性が問われ、ダイエット食品の薬害が世間を騒がせています。私達は今一度、食を考え直す時に来ているようです。子供時代、我が家の食は、多分、塩以外ほとんど自家製でまかなっていたように思います。しょうゆもみそも、家で仕込んで作りました。魚屋がたまに行商に来てくれましたが、買ったのは、ニシンの干物、カズノコ(安かったですよ)位です。近くの川で鮭がとれましたし、ウナギ(私は大の苦手。)コイ、ナマズ、フナ、シジミ、カラスガイ、ドジョウ等々、ちょっと川をせき止めればオケ一杯とれました。山の田んぼでは、沢ガニが大きくなってゴソゴソしていました。ウナギは、蛇が川を泳いでいる様子を何度も見ているうちに、どうしても食べられなくなりました。ハハハ。今も、土用の丑の日、私だけ天丼です。(明日、その日です。)
昔の生活にもどる訳には参りませんが、考えてみれば、何と豊かな日々だったのでしょう。今、自家製の食品など、青ジソの葉だけです。トホホ。口に入れる物全て、お金でまかなう生活は、やはりおかしいのでしょう。といいつつも。・・略・・世の中、あまりにも多方面の拡がりを呈し、何をどう優先順位とすればいいのか、正直わかりません。それでも、米の研ぎ汁はベランダにまき、油もみそ汁も紙くずに吸わせて、水の汚れを気持ち分、減らしたつもりでいます。確かに、私の生きている間に、何かが変化するということはないのかも・・・イヤ、すでに変化しました。狂牛病しかり、ダイエット禍しかり、香料騒ぎしかり、中国野菜農薬しかりetc.ゴマメの歯ぎしりであろうとも、やはり、少しずつ生活を元にもどす努力が大事のようです。・・略・・
(7月4日 受信)
今日、すでに7月2日。今年も残り六ヶ月だい。(私の好きなフレーズ?)関東の冷たい梅雨(連日17-18℃)もそろそろ終わりそう。今年が冷夏か否かは、今のところ定かではありませんが、低温被害は夏野菜に出ています。
農水省が減反政策を中止するのだとか。日本で唯一、自給可能な米を制限するとは、愚作もいいところ。倉庫にうなるほど米が積まれていても、誰も文句など言いますまい。税の無駄使いに比べれば、倉庫にうなる米など、精神的安定の基というものです。数年前の米不足で私共は、日本の米の有り難さを再・再・再?確認したはず。減反なんぞクソクラエ!!気骨ある農家の根性に拍手。一度、稲作をやめた水田を元にもどすのには、とんでもない時間と労力を要する現実を、お役人のボンクラどもにわかる訳ない・・・。輸入食品の昨今の不安を考えれば、自国でまかなえる食材くらいたっぷり作らせ、保障するのが、国家たる所以なのでは。
話はポーンとぶっとびます。
私の料理のルーツは中学一年の頃(S33.4入学)に逆上ります。家庭科担当の女性教諭は、授業の度、調理実習でした。勿論、教科書など無視。プディング(プリンとは言いませんでした)に始まり、パン、クッキー、カステラ、ケーキ。中華いろいろ。漬け物いろいろ。洋風いろいろ。和風料理いろいろ。調理室は土間で、炭火の七輪と大きな竈が、 両壁際に四つずつ計八個。勿論、薪を燃やす原始的なもの。
栃木県南東部のど田舎の中学校で、毎週、バニラエッセンスの香りが校舎に漂っていました。材料はほとんどヤギ乳と卵中心でした。(どの家庭にも、ヤギとニワトリが飼われていました。)バニラエッセンスやバターやオイスターソース、イーストなどという食材(調味料)は、宇都宮のデパートでさえ、なかなか入手困難な貴重品でした。女性教諭がどこから調達してきたものか、材料費を払った覚えがないのです。ほとんどの材料は、各家庭からの持ち寄りでした。プディング作りでは、流し入れる器は、各自の弁当箱でした。(アルマイト製) 「料理はね、工夫次第でどうにでもなるのよ。覚えておいてね。」これが先生の口癖でした。カステラは新聞紙を折って箱を作って流し入れました。オーブンなどありませんから、大ナベに金網を入れて段を作り、金属製のお盆に材料を乗せて焼きました。お菓子の入っていた金属製の箱は、パン箱、ケーキ箱でした。中学一年でお菓子作りは、すっかりマスターさせられました。泡立て器などありませんから、菜バシを十本位束にして、グループ全員で必死にグルグルグルグル、泡立てたものです。
私は台所に、タオル(真白)を20枚位常備しています。当時、先生が「布巾はね、人数×7枚は必要よ。」と言ったことが、頭から離れないのです。イカの松カサ焼きの切り込みも、当時覚えたものです。 K先生(下の名が?)というその人は、村の助役さんの家の嫁でした。そして、私達が中三の夏、先生は、宇都宮の「直井さん」に入ったというウワサが流れて、新しい家庭科の先生が来ました。「直井さん」というのは、栃木県では有名な精神科病院の総称です。K先生は、幼い娘が二人おられましたが、その後、離縁になりました。先生は、どうして必死の様子で中学生に、ありとあらゆる料理のレパートリーを教えて下さったのか、当時の12才--15才の私達には、知る由もありません。今でも、煙の立ち込める調理室で、バターロールの焼けた光景や、新聞紙五枚を折って作った箱に、カステラがふんわり焼き上がった光景が目に浮かびます。クリスマスには、四角に焼けたスポンジケーキを切り分けて、各児、デコレーションをしました。当時は、バタークリームに「イロッコ」と呼ぶ染料を入れて、バラの花や葉っぱを飾ったものです。
話が長くなりました。たつ子様の想いに、ふと、遠い記憶がよみがえりました。K先生のその後は、不明です。ただ、今の私の日常に、先生の教えは、確実に根付いています。「プリンを教えて」と言われて、私は焼くも蒸すもO.K.です。用具など何でもいいのです。牛乳、卵、さとう、バニラエッセンスがあれば、どこでもいつでもO.K. ま、ナベ、湯のみ茶わんの無い家では作れませんが、アハハハハ。ふしぎな家庭科でした。裁縫は、今もダメです。(まてよ、元々不器用でした。トホホ。)・・・略・・・
娘がもうします。「お母さんて、今時、一番ぜいたくでわがままな時間の使い方してるのよ。」と。パソコンを使えば、通信などパパパのパなのだとか。確かにそうです。でも、でも、でも、パソコンが普及した頃、「今までの労力が夢のように手早く正確に処理できます。」と。ゆとりだと。果たしてそうなったのでしょうか。処理能力がスピードアップされ、人々はより速く結果を知り、より速く次の仕事へと追い立てられます。パソコン導入でゆとりが出来たという話が聞こえてこないのです・・・。(手前勝手に、斜交いに眺めれば)福祉協議会の友人は、「電気の無い世界に行きたーーい」と時折、わめきます。「電気があるせいで休息出来ない」と。何もかもエレキに支配されて、夜もないと。「ネエ、お日様が出たら起きて、お日様が沈んだら寝る生活が一番理想よね。」と。「子どもを見てると、本当にそう思うのよ。夜半まで起きていて朝寝坊して、朝食抜きで生活サイクルがメチャクチャでしょ。ガキなんて、遊び疲れてコトンと眠るように出来てるはずよ。そして、ハラ減っておしっこしたくて、朝早く起きるのが正常よ」と。何か、腹にすえかねることがあったようです。でも、おおせのとおり!!・・・略・・・
やさいっこ村の皆さん、作物、順調でありますように。ふうちゃん、安定されますように、たつ子様、よく眠れますように、では、ごきげんよう。
(6月15日受信)
・・・略・・・ 我ヶ家の鉢植え「木鬼灯」は、順調に成長し、文枝する場所に実がついています。おてがみの指示に従い、今後は、種用の実を十個位確認後、花柄をつみ取ります。とにかく涼し気な花が日々数をふやすのはとても幸せな気分です。液肥は、十日に一度くらい与えております。(残念ながら、今のところ、点滴残液は、手元不如意です。アハハハハ)・・略・・
口の悪い友人(でも、とても大切な人)が、「ねえ、一度死を覚悟した貴女が、今こうして生きていると、死はどう感じるの?」と聞きます。難問です。私は答えます。「目の中に入れても痛くないバカ息子が『ゴホンゴホン』とすると、『アッチ行って。お母さんのそばに来ないで』って怒鳴ってるわ。」6/7、白血球1400でした。感染症予防は継続中です。6/9,ワールドカップ「日本対ロシア」。夫・娘・息子は、寿司を囲みビール飲んでテレビ観戦。食い意地の汚いこの私が、寿司を見ても、指一本触れません。生物を食べることが、怖いのです。生きていたいのです。一度覚悟した死でも、悟ることは出来ません。なぜなら、今の私は、現に生きているのですから・・・。愛憎半ばしつつ結婚三十余年を共にした夫。厚木市で自立している長男。「早く嫁げと言いつつ内心ずっとそばに置いておきたい一人娘(?長女)。「目の中に入れても痛くない」枕詞付きの二男バカ息子。そして、何よりもかによりも、好きで好きでたまらないこの自分。口は悪いけれど、かなりの部分理解し合える友人ども。そして、お目もじしない故に、言いたいことを書かせて頂くたつ子様。三階のこの自宅。ベランダで私を癒してくれる花々、etc.何もかも、愛しく、失いたくない。だから生きていたい。これが今の私の本音です。白血球数の減るごとに、その想いが強くなります。
只今、柏がんセンター九階レストランで、この手紙完成させようと致しております。6/13(木)、骨シンチ(骨レントゲン)です。AM9:00造影剤投与。PM1:20骨レントゲン。造影剤が体中に行きわたるまで、時間はたっぷり。梅雨で、柏のデパート巡りも気が進みません。第一、物を買うのは勿論、ウィンドウショッピングの興味もすっかり失せております。病でやせた為、着る物には全く困りません。(ケチのため捨てられず、タンスの肥やしと化していたスーツが、23年経て、陽の目を見ております。)齢「56」流行など、あろうとなかろうと知ったこっちゃない・・・。私は私。以前知り合った70代のご姉妹も「この年になりますと、着る物には困りませんのよ。むしろ、着ることに苦労いたします。」と、お会いする度、とっかえひっかえ、地味ながら仕立ての良さそうな衣服です。「今着なけば。あちらに行ったとき、後悔いたしますもの」?。そのお二人には及びませんが、私も通院位がよそゆきの機会。診察や治療がなければ、亡き母の形見の和服も利用したいくらいです。但し、自分で着られない。トホホホホ。話がアチコチ、論理性に欠けます。お許しあれ。(時間ありすぎ!!) たつ子様、がんセンターは正直言って過ごし難い場所です。今も後ろの席で、中年のご夫婦がポツリポツリと今後のことを話し合っておられるのが聞こえてしまいます。ご主人が「肝臓癌」と宣告されて、一週間後、入院らしい。奥様が泣くのを、精一杯、トツトツとなだめながら、ご自分もこらえている息使いが、私も切なくて。「ガンバッテ」言ってはいけない言葉を心の中でかけたくなりました。 そろそろ12:00.軽症の入院患者の方々が、昼食に入って来ました。出来るだけ暗くならないために、レストランで優雅にランチタイムのよう。私は経験出来ませんでした・・・。女性の方が多く、賑やかなこと。ま、お元気はいいことです。そろそろ私は、図書室の方へ・・略
(6月3日受信)
たつ子様、木鬼灯の花、咲きました。うす紫の朝顔型の楚々とした花が、AM10:00頃花開いてPM3:00頃には閉じてしまいます。まだ1−2個ですが、枝が張るごとに花数が増すでしょう。初めて目にする花です。市議姉のべランダでも咲いたらしく、Telして来ました。いわく、「ネエ、花咲いたのよ。でも・・・。年とったわよねえ。花一輪、咲いたことで、こんなに嬉しかったり、人の輪が出来たり。若い頃にはなかったことじゃない。人生熟年なんだと、しみじみ思っちゃった」と。「美しい熟年でお互い幸せよ」私、アハハハ。福祉センターからも週末頃、Telくるはずです。多分、きっと、必ず。・・・略・・・
5月29日、無事抗癌剤投与。(これって喜ぶことだったのかしら?)でも白血球は、多分、また急降下する予定らしく、クラビットとうがい薬を持たされました。そして例のごとく「発熱したら即入院ですよ」と。また、「骨が痛み出したら、病変ですから、すぐ連絡するように」と。点滴室で一緒になったのは、若い若い女性でした。当日は娘の付き添いでした。多分、娘と同じか、それより若い方と見えました。点滴担当の医師が、ベッドを仕切るカーテンを開けると、「ダメーッ、カーテン閉めて」と叫んだのです。
医師と看護婦があわててカーテンを閉めました。狭いのでカーテンがあると、点滴の針がさしにくいのですが。チラッと見えた枕元には、無毛の丸い頭と、顔を左手でかくした姿がありました。私は娘に、「待合室かロビーで待っていてね」と小声で告げました。告げる前に娘は、すでに部屋を出る用意をしていました。医師と看護婦は、私に目礼して、私の右腕に針をさしました。点滴の間、カーテンの向こうは、物音一つせず静かでした。時折、ナースが「〇〇ちゃん、次は吐き気止めよ。次は**よ。長くなってゴメンネ」などとやって来ますが、ほとんど会話はありませんでした。なんだか、切ない一日でした。後から入った私の方が先に終わり、「お先に、どうぞお大切に」と言って出ましたが、声はありませんでした。ロビーにいた娘が、「私、行かなければよかったね」と申し訳なさそうに言うのに、少しホットいたしました。若い人の姿は、心痛みます。また、お子さんの小さな人も、お気の毒です。脳天気な私ですが、ちょっとセンチ。今年4月から、若い人が目についてなりません。築地の中央病院から柏の東病院に転院される方々が多くなっているそうです。ニュートロンとかいう超精密なポイント攻撃可能な治療棟があるからです。すでに私など、全身に転移ある患者には、不向きというか、役に立たない夢の治療ではありますが。少しでも、治る人が多くなることを願っています。
(5月20日受信)
たつ子様、ニュース、ニュース。木鬼灯の小さな苗の先っちょに、蕾発見。本当に鬼灯の形をしてツンと尖って。思わず老眼鏡を取りにもどってもう一度、しげしげと眺めました。胸の奥からうれしさが湧きます。この感覚、初めてのものを育てるとき、いつも味わう、何とも言えないワクワク感と幸せです。「よく発芽してくれて、よく育ってくれてありがとう」と声に出して言いました。我が家のヴェランダの植木鉢では思うように大きくなることは無理ですが、他家(?)へ嫁いだ苗たちは直接土に根を張って大きく成長してくれるものと思います。但し、ただし、ただし・・・。「どうかしら、大きくなったかしら、蕾ついたかしら」などと聞いて回ることは、厳に慎もうと、己れを戒めております。差し上げたものは、他家のもの。いつまでもこだわり続けることは、かえってご迷惑というもの・・・。と思いつつ、気になって気になって、アハハハハハ。市議姉を笑いつつ、似た者同士と改めて思うのです。いや、欲張りなのでしょう。カメラでも持って、そっと写真ぐらいは撮らせてもらいます。お楽しみに。 それにつけても、私の生活は、何とまあ、半径1.5km以内なことか。その中で生きられる自分に、あきれたり感心したり・・・。
癌の治療に、五つの方法があります。1手術、2抗癌剤、3放射線、4免疫遺伝子、5何もしない。5の「何もしない」を選んだ患者の中で、驚くほど長命を保つ人が、わずかですが出現するようです。N.K (ナチュラルキラー)細胞の多さによるとか。大阪大学の調査では、吉本の演芸場に患者を連れて行き、演目の前後に血液を測ると、N.K 細胞の変化がよく解ると。よく笑うこと、生きることを楽しむこと、病気を受け入れてくよくよしないことetc. 独りよがりですが脳天気な私は、N.K 細胞が多いのかも知れません。自分の置かれた状況に、あまり不平不満を抱かず、どうしたら快適に過ごせるかと、まず考えています。深く思い巡 らすことが苦手な性格です。ハハハ。言い訳すれば、思い巡らしたところで、結果がそう変わらないのなら、思い悩むのはヤァーーメタ。なのです。思い悩む前にギャイーーンと大声で泣いてしまいます。周囲をオロオロさせておいて自分はさっぱり、つきものおとしです。・・略・・ 5月15日、A.N7:00 自宅スタート。ルート16大渋滞。大型トラック同士の衝突事故。病院着A.M 9:30、診察11:30。白血球 2200、低すぎて抗癌剤中止。抗菌力も低下、カルシュウム投与だけで帰宅。それでもP.M4:00 でした。自覚症状は快調、それだけで満足。次回。5月29日まで、しばし快適な日々を送れそう。抗癌剤は両刃の刃ですから、打てば、四・五日ゆううつです。いいのか悪いのか フクザツ。・・略・・
(5月4日受信)
・・前略・・ 4月24日、検診。白血球数1200。「ドヒャー!!」即、白血球上昇のため、皮下注射連続三日間投与の指令。「出来れば入院しなさい。Dr. 「通院でお願いします。」私。「風邪ひいたらアウトだよ。外出、風呂禁止でいいの?」Dr.「がまんします。」私。「じゃ、抗菌剤クラビットを二週間飲んでね」Dr. 「ハーイ」私。ということで、折角の墓参中止。24.25.26と三日間ゼリー状の痛くて有名な皮下注射を受けるために通院です。そりゃ痛いのなんの。ナースにギューとその部分をつまんでもらうのがコツです。つねられる痛さで、注射の痛さがまぎれるという寸法です。ホントかな。副作用で頭痛、目まい。Dr.は 「白血球が減少しているせいだよ」と、こともなげ。「とにかく発熱したら即入院ね。」と、念を押します。ああ、やっぱり、病状はスケジュールどおりに進行しているとぺしょんとすると、何、落ち込んでるの。腫瘍マーカーは順調に下がっているんだよ。抗癌剤が効いている証拠なんだよ。」と、変になぐさめてくださる、???。(いいん
だ、いいんだ、どうせ、私しゃ、病人だもん。)柄になくうーーんとすねて連休突入でした。楽しみは、交通渋滞ニュースを横目で「フン!!」と見ることでした。あんちゃんが「俺が行ぐがら」と言ってくれたのですが、田植えや何やらでまだ来てくれません。「うど、フキ、筍、持って来て」と頼んでいます。残り四連休、家族には「どこかに出かけていいのよ。」と告げています。(出かけて欲しい。毎日が日曜日の私には、静かな日中の一人での時間が落ち着きます。ああ、やっぱり、
罰当たりそう。)・・・略・・・
来春のコンサート用「月の角笛」中、新美南吉 の名、心にとまりました。新美南吉の童話、大好 きです。問題児「Mちゃん」と、読み返してみようかしら。むずかしいかしら。「Mゃん」には、優しさがとても必要な気がして、遊びに来るたび、ちょっと無理して10分位抱っこしています。そのうち「オバちゃん、どこが痛いの?」と聞いてくれるまで。・・・略・・・ そうそう、少し希望のもてる話。中三の引きこもり少女、一応卒業して、サポート校秋(後期)募集に向けて、興味を示したようです。私の病状を案じる余裕が出来て、あくまでも、母親の伝聞ですが、「今度原田さんからTel が来たら出るからね」と言っているそうです。病院の通院に付き添ってもらうことも考え中です。自分から地面を踏めれば、それにこしたことはないのですが・・・。きっと、時間が解決するでしょう。「原田さんは、そういつまでも貴女に付き合ってはいられないの。」と今度、言ってみようかしら。とにかく連休明けに、コンタクトをとる約束です。たつ子様、何やらかんやら言いつつ、生かされております。そして、生かされていると気付いたこの2年7ヶ月(1999.10-2002.4) 私は、充分幸せです。自己存在を、多くの人
々に認識させて頂きました。引きこもりの子も、私と出会うことで、人の何たるかを、ほんの少し知ってくれたのではないかと、自己満足しています。「生きているから、出会えるん・・・。」これに尽きます。
では、お元気で、また。
(4月20日 受信)
今週になって3日連続強風です。4月15日、通院治療、点滴六時間。A:M 七時家を出て、帰宅はP:M 四時です。通院治療センターは一室2名で点滴を受けます。今回の相ベッドは、胃癌と大腸癌転移のため、一週間毎に通院しているという同年代の婦人。2キロを越す重さの栄養点滴バッグを背負い、胸から24時間注入しているというのです。腸閉塞気味で絶えずオナラを「ブーブー」と鳴らしていました。それでも、ご自分で車を走らせて茨城県水戸市から一人で通院中。他の病院なら、多分、入院のままでの点滴生活だったことでしょう。すでに手遅れということで、手術不可とのこと。「手術しないから、こうして、水戸から来られるのとにかく、国立がんセンターは頼もしくも恐ろしい(?)ところです。末期手遅れの患者を引き取っては、「まだ、まだ、これくらいでは死ねませんよ。ハイ、通院治療です。」と、こともなげに振り分けます。私もここでは、そう重症の部に入らないと錯覚します。いいのだか、悪いのだか??? ま、いいか。その相方が楽しい人で、「栄養点滴の残り液をシンビジウムにあげたら、ものすごく見事に咲くのよ。きっと肥料にもいいのね。」看護婦さんが「ダメよ。一時は、植物も元気になるけれど、きっとあとで疲れ切って枯れるわよ。」「だって人間にいいのなら、花にもいいんじゃないの」「ダーーメ、残った液ごと、空きバッグは、全部病院に持ってきて下さい。医療ゴミとして特別に処理しなくてはいけません。」「あーーあ、もったいない」とね。みんな頑張っています。ホント。
・・・・・中略・・・・・ 木鬼灯、発芽しました。もううれしいのなんの。順調に三鉢とも、大成功です。友人・知人に分けて育ててもらう予定です。我が家はベランダしかありませんので。団地ちかくの市の公園にもこっそり植えておこうかしら。定年退職の方が、ボランティアで管理している一画に、お願いして何本か育ててもらいます。福祉協議会の友人にも分けて上げて、市の公共施設の庭に植えてもらいます。考えただけでワクワクです。
・・・・・後略・・・・・
(3月25日 受信)
・・・・・略・・・・・
3月19日、白井市フリースクールの小さな小さな卒業式。4名の中3生が、それぞれの進路に向かって前進です。私立高2名、定時制1名、印旛高園芸科1名。私は、中3生とは関わりなかったのですが、ちょっとのぞいてみたくて参加しました。ウィッグ、大型マスク姿で。私が担当した中2坊主は、はつらつと司会なんかやっちゃってました。私を見つけると少し照れたように苦笑しつつ、「マズ」と口がつぶやいていました。まあまあ、合格です。成長といっていいでしょう。来年の今頃、彼はどこで卒業を迎えるのか。私は、やはり見届けられるのか。しみじみ式を味わって帰りました。
3月18日、新しい相談が入りました。小1の女児です。嘘をつく。友達宅に入って、キャラクターグッヅ持ち出し、友達に配る。問いつめられると「〇〇ちゃん家にドロボウが入って、そのおじさんがくれたの」と。毎日、必ず雨傘持参で登校する。何故なら、登下校時にその傘で、お友達をぶっとばしたりつっついたりする為・・・。思わず「アハハハハ」でした。1月7日生まれ、ちょっと小さめ。くったくなくよくしゃべり、愛らしい姿形。とても相談事などあるようには見えないのです。涙、涙のママ、相当悩んで、娘の首をしめたくなると。「M子ちゃん」というその子にぶたれ、物を盗られて、級友が不登校気味。クラス中から「Mちゃんは悪い子」とレッテルを貼られ。ママ達から抗議が届き、思い余って相談に。6−7才の子が、そこまで出来るのだろうか。どうして、そうしなくてはいけなかったのか、徐々に謎解きしていかなくては。
「Mちゃん」と名前を呼んで抱っこすると、「オバちゃん、もいっかい『Mちゃん』て、やさしく呼んで」と甘えます。ふふーん、この辺りかな?風船をいくつかふくらましてあそばせると、ミッキーの形より、耳がチョコチョコと付いているピンクの風船が気に入って「これ、子ブタちゃん。M子子ブタちゃんかわいい。」ママは「ミッキーの方がいいでしょ」と横やり、ははーん、この辺りかな。小さなMちゃんは、誰にも守られず、6才の智恵をフル回転させて、自分を守っていたのかも・・・。30才という若くて美しいママを泣かせないために必死で嘘をついていたのかも・・・。56才の私には、ただただ、いじらしいだけが胸に迫りました。ママに、「Mちゃん」と呼んで抱いてあげること、嘘とわかっても、はげしく叱らないこと。雨が降ったら、お傘を届けてあげるからと、傘を置いて登校させること、ママが優しくニコニコ笑ってあげることetc.をアドヴァイスして、その日はおしまい。春休み、何日か、Mちゃんと遊ぶ約束をしています。
・・・・・後略・・・・・
(3月14日受信)
日本の食糧自給率は四%(?)。ブランド食材が、日本全国にあふれることなどあり得ないはず。それがまかり通っていた不思議。世の中は五、七%の失業率。地方の田畑は休耕地、荒地が目立ち、農業従事者は高齢者が多い現実。季節感を無視したハウス栽培ものが年中出回り、価格を無駄につり上げ、野菜本来の味まで狂わせているような昨今。大人も子供も、アレルギー、花粉症に苦しんでいます。「やさいっこ村」の活動、地道に、かつ確実に、生産者と消費者を結んで続くことを切に願っております。そして、供給と需給のバランスがほど良く保たれますように。通信を拝見して、「玉ネギは出荷できません。」とか、「品切れ野菜」をにすると、残念という思いより、安心という思いが脳裡をよぎり
ます。消費者の要求どおりに、野菜があふれかえることなど、本来不可能なことだったはずですから。かといって、私も、私の周囲も、資本主義、自由主義を否定する訳ではありません。季節を無視した要求、ブランド食材を求める欲が、自然の流通、生産をゆがめている現実だけは、何とか是正したいと思うのです。私達日本人は、「烏合の衆」になり易いのでしょうか。遠くをいえば、第二次大戦へ一丸となって突入今で言えば、猫も杓子もブランド志向。昨日今日なら、一億総宗男喚問気分。何か怖ろしく思います。冷静に、流されない目をくもらせないことが大事です。 今日3月12日(火)19℃、団地周辺のソメイヨシノの蕾が緑から薄く白みがかって、開花の近さを知らせています。今日は市内の中学校が一斉に卒業式です。知人の校長が昨日 Telで「俺今夜は夜勤だよ。」と。卒業式前夜に必ず暴れる生徒がいて、窓ガラスが割られたり、放火があったり、トラブルが発生するので市内の中学校と隣接する小学員が交替で見回るのだとか。知人は、「卒業式という大切な日を汚されたくねえ*がらよ。 俺も泊まり込みだ」と。今日は、無事卒業式の運びのようです。私の担当する中3女子は、後日、卒業証書を受け取りに行くと約束しているのですが、どうなりますか。
このところ夜半に、やっと靴をはいて地面を踏むようにはなりました。犬の散歩をするといって。引きこもりも、中学という拘束が無くなれば、案外、意味をなさなくなって、外に出られるような気もするのです。抗う何かがあってこその引きこもりだった訳ですから。
・・・・・中略・・・・・
水沢にも春遠からじですね、雑感! *余談ですが、当地ではカ行とタ行が濁音になります。
(2月22日受信)
白血球数2100、ちょっとだるさ厳しいです。心は元気です。但し、生物、発酵食品禁止。細々と漬けていた白菜の漬け物容器を片付けることにしました。食にいやしい私は、目の前で家族が、漬け物や塩辛などで、おいしそうにご飯を食べていると、ついつい我慢出来なくなって食べてしまいます。医師は「感染症になったらたいへんだから、我慢してね」と。今はインフルエンザも最盛期、危ないことは避けよという指導です。いつも、1/4 を小さなプラ容器にギューギューと押し込めて、重しを乗せた白菜漬けですが、意を決して断念(オーバーかな?)娘に「ベランダの物置に、説明書付きでしまってあるので、来年は、貴女が漬けてね」と。少しだけ感傷的になって目が潤んでしまいました。こんな時、時空を意識するのです。果たして、私はどこまで生を可能にすることが出来るのだろうかと。季節が一つすぎる毎に、無事通過できたことを、心から感謝し、迎える季節に出逢うことを心から嬉しく思うのです。しかし、次の同じ季節を想像することは、この頃少し苦痛というか、不安というか、心がドギマギ致します。漬け物の手順と塩梅を出来るだけ解り易く書き記しながら、そこに存在しなくなっている自分をつい思ってしまうから・・・。
同封、山内隆久氏コラム、もう二度と読めません。少し心乱れるのは、このせいかも。彼が「がん患者は、がんを病むことだけを仕事にしている訳じゃない」と、主張してくれて、私達も医師も、病気との付き合い方を見直したものです。最先端の治療を受けて、ご自分の仕事を完結させたいと、国立がんセンター中央病院(俗に築地本院)に転院なさりつつ、帰らぬひととなりました。さぞやさぞや無念だったことでしょう。
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