Diary

2008年3月30日 日曜日
ようこそ教員の墓場小学校へ
4月1日、A市役所で教育長から辞令を受けた九瀬啓太は赴任校の、朝の内小学校に着いた。
「やっと、教師になれたなあ。今日からは子ども達といっぱい遊んで、勉強する教師になるんだ」
啓太は数十年乗って、ところどころ、ひっかき傷やへこみのある愛車を降りた。
 九瀬啓太(ここのせ けいた)、170センチ、80キロ。丸い身体に丸い顔。丸い鼻の上に丸縁眼鏡。眼鏡の下には人なつっこい細い眼がある。口の悪い仲間達は彼の事を、左門豊作と呼んだ。そう巨人の星に出てくる、あの左門のことだ。それほどそっくりなのだ。本人自身はこのあだ名を気に入っていた。啓太は30歳。一度、社会に出て、生命保険会社の営業をしていたが、亡き母親の遺言で、社会で働いた後、教員を目指し、今年、無事合格し朝の内小学校に赴任したのだ。
 
 「わー、でかい。こんなでかい金魚、見たことがない」
玄関に入った啓太は玄関脇に置いてある巨大な水槽の中を悠々と泳いでいる金魚の大きさに圧倒された。一匹の大きさは40〜50センチはある。
「へー、この金魚を刺身にしたら何人分取れるんだろう。忘年会には先生達の腹の中におさまるんだろうな」
どれがうまそうかなあ、眼鏡を水槽に、こすりつけるように近づけて見ていると
「あら、朝の内小学校に赴任された先生ですか」
背中から厚い化粧の匂いと一緒に声をかけられた。
「は、はい」
慌てて返事をして、声が裏返る。
「まあ、少し老けていらっしゃるようですが、おいくつかしら」
女性があごをそらせる。
「はい、えー、あの」
突然、突っかかるような口調の女性になんと答えていいか分からず、啓太が瞳を左右に泳がしていると、玄関には紅いルージュに着飾った中年の女性達が集まってきた。
「あら、今年来た先生。どこの小学校から転任なの」
「それより何年生を担任希望してるの。まさか、うちの、まさるちゃんの4年生じゃないでしょう」
女性が眼を大きくし、とんでもない、と頭を横に振る。眼を合わせた女性達数人が揃って頭を、とんでもないわ、と振る。 
餌を求めるアヒルの群れの中に太ったカラスが一匹迷い込んだような賑やかさになった。
「あ、その、私は、その」
と言い淀んでいるとl玄関の奥から上半身を折り曲げるように女性達一人一人に丁寧に挨拶をしながら男が現れた。
 
 
 「まあ、まあ皆さん。こんな所で立ち話をされなくても、どうぞ応接室へ。おや、今日はPTA会長をはじめ、役員の皆さんがお揃いで」
「校長先生、今日は朝の内小学校に新しい先生が来るというので、私たちPTAも知っておきたいと思って学校に来ました。応接室で待たせてもらいます。あ、それと昨日の先生方の勤務はどうなっているのかしら」
「といいますと」
PTA会長があごを反らせる。
「山野田さん、校長先生に教えてあげて」
「はい。私の携帯にメールが届いていたんですが、昨日の午前中に宇賀先生、ヤマダ電機のパソコンショップで買い物をしてたそうですよ。それもジャージの上下にサンダルですよ。校長先生、この学校の職員の意識はどうなっているのかしら」
「そ、それは知りませんでした。昨日は3月31日で月曜日ですが、春休みですので買い物にでも行ったのでしょうか。まあ、本人に確かめてみますので」
校長が眉根にしわを深くした。
「大体、学校の先生って、自己危機意識が甘いんじゃないのかしら。自分たちの動向が全部、親に筒抜けだって事を気がついてないのかしら」
ソバージュにメッシュを入れた女性が唇の端を上げる。
「鈍感なんじゃない」
「違うわよ、世間知らずなだけよ」
後ろから声が飛び交う。
クククッと忍び笑いがこぼれ女性達の背中が揺れる。
「では、今日の職員の離任式、着任式をしっかりと見させていただきます」
「それは、もちろんですよ。学校は開かれた場所です。皆さんにしっかり見ていただいて今後の学校運営に反映させて下さい」
女性達は校長の返事を聞く間もなく、きびすを返すと奥の応接室に向かった。
男性は、上半身を前に傾けたまま、せわしく揉み手をして見送った。
 
 
 九瀬啓太は、母親達から、校長と呼ばれた男を見た。中肉中背で後頭部が薄いのが目立つ。顔が浅黒く、厚めの唇に鼻こうの張った鼻の上に黒縁眼鏡がのっている。眼鏡の奥からは一見、柔和そうな瞳の奥に冷たい光りが留まっている。
「彼が校長か、まるで元の会社の窓際に座っている定年前の万年係長じゃないか」
啓太は一人つぶやいた。
男性が中腰のまま振り向いた。
「ところで、どちら様でしょうか」
校長が探るように瞳を動かした。
「はい、本日から朝の内小学校でお世話になります九瀬啓太です。」
「おお、君が九瀬君か」
校長が大仰に、彼の頭からつま先まで、瞳を上下させた。
「じゃあ。ついて来なさい」
先ほどまでは膝をおり中腰だった校長があごの先を天井に向け、背中を後ろに反っくり返るぐらいに伸ばし、校長室へ向かった。
 校長室は厚い濃紺色のカーペットが敷か、壁には歴代校長の写真が飾られていた。一番奥に鎮座するように黒く磨きがかかった机、そして大きめの両肘当てがついた豪華椅子が置かれている。部屋の中央には接客用に杉の木の年輪が浮き出たテーブルと革張りの椅子があった。
「まあ。どうぞ」
校長が応接用椅子に座ると、右手を軽く伸ばした。
「あ、はい。失礼します」
九瀬啓太が座るのを見届けるようにして、校長が口を開いた。
「私が、本校の校長である、嵐山軍司です。まあ、名前はこんな、いかめしいものですが、性格はいたって謙虚なものですよ、あははは」
顔は笑っているが、眼鏡の奥の薄い瞳に九瀬啓太は気がついていた。
 
 
 校長が膝を乗り出した。
「九瀬君、当校は昨年創立100周年を迎えたA市、いやY県でも名門と言われる学校だ。現在は児童数400名を超えている。学級数は各学年2クラス。1クラスの児童数は約35人だ。校長が一息に説明をした。そして小さく間を置くと顔を啓太に近づけた。昨夜、校長は深酒をしたのだろう、安い焼酎の臭いが啓太の鼻をついた。
「教員、25名の内、役立たずが8名。内訳は日教組の組合員が3名、不適格教員が3名、そして病気持ちが2名」
校長が焼酎の臭いと一緒に言葉を小さく吐いた。
校長は何を言いたいのだろう、啓太は学校内の実情を新任教師に簡単に漏らす校長の真意を測ろうと、校長の眼鏡の奥の瞳をジッと見た。
啓太の視線に気がついた校長が
「おっと、なにやら独り言をつぶやいたみたいだが、君には聞こえなかっただろう」
校長の視線が啓太に突き刺さる。
「あ、いえ。私は何も聞こえませんでした。校長先生が何か言われたようでしたが、さて、私には聞こえませんでした」
啓太は脇の下を冷たいものが流れ落ちるのを感じた。
(ふふふッ、これでこの新任も組合などには近寄らないだろう。表だって新任教員に組合批判をしたなら、イエロードッグ協定違反で私は首だよ。新任には、組合など危ない橋には近寄らないようにこうやって臭わすだけでいいんだから。
そして一年が終わった時にこの八名の役立たず教員を退職に追い込めば、この新任にも私の力の偉大さが分かるってもんだ。ふふふ、校長仲間の酒席では、我が校が、「教師の墓場小学校」って言われているそうだが、まさしくその通りさ。今年は八名を墓場にご案内だ。私が墓守ってか。
クククッ)
校長が胸の中でつぶやき一人ほくそ笑んだ。
校長が啓太の気配を感じ、窓の外に視線を泳がせた。
「ところで君は社会人として働いていたんだな」
「はい。8年間、日本安心生命保険で働きました」
「そうか。まあ、そのあたりの話はこれからボチボチ聞かせてもらうとして、実は今日、君に他の職員より早く来てもらったのは、君のこの学校での職務について前もって知っておいてほしかったからなんだ」
 校長が声を落とした。
「君には今年から新しく設置された、モンスターペアレント対策教員をやってもらうことにした」
「え、その、モンスターペアレント対策教員ってのは何ですか」
啓太は聞き慣れない言葉に首を傾け、言葉を続ける。
「あの。私は学級担任をするものとばかり思っていましたが、違うのでしょうか」
「はっきり言っておく。学級担任ではない。もちろんモンスターペアレント対策教員というのは学校内での呼び方だ。公称は、地域ふれあい教員だ。学校全体の子ども達に関わる大切な仕事だ。まあ、職務内容については、これから日々作り上げていくことになるから、自分の職務の名称を知っておいてくれたらいいんだ」
校長が啓太に有無を言わせないと、ねじり込むように視線を送った。
「は、はい」
その時、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
校長の声色が変わった。人を下から睨め上げる時とちがって人の良い教育者の声に変わっていた。
「9時になりました。本校を出て行く先生方の職員挨拶が始まります」
「おお、そうですか。もうそんな時間ですか。では九瀬君は新規赴任教員だから、これが終わって、他の赴任教員が揃って紹介ということだから、ここで待っていてくださいね」
校長が少し前屈みに腰を折り出て行った。
 啓太は、初めて校長を見た時に思った、定年間際の万年係長、の印象が間違いであった事を知った。そして教育の世界が世間一般に知られない摩訶不思議な世界なのだと、感じ始めていた。 
 
 その日の学校行事、新規赴任教員の着任式、そして転出職員の離任式の場にも部外者であるPTA役員は職員室に居座っていた。そして九瀬啓太が驚いたのは彼女達が新規赴任教員を携帯カメラで撮影をしていることだった。写真はメールで他の保護者に送られていた。離任式ではPTA役員の気に入らない教員は嘲笑とあざけりの中で去り、新規赴任教員は写メールの餌食だった。
 本来は職員だけの式や行事が、開かれた学校、の名の下にルールの無い学校になりさがっていた。

| Prev | Index | Next |

ホーム よこがお 日記 がん闘病記 ● モンスターペアレント対策教員記 子どもに話す、がんのお話し 子どもに話す、がんのお話しU 日記
フォトギャラリー 学校の売店 掲示板


メールはこちらまで。