Diary

2008年4月15日 火曜日
このダメ教師が。お前のせいで出世が台無しだ
「九瀬先生、今日の新聞を見たか」
鮎沢教育長が苦汁を舐めたように顔をゆがめ、言葉を吐いた。
「いえ、まだ」
「だったら、今すぐ読みなさい」
語気を荒げた教育長が新聞をテーブルの上に投げつけた。
「こ、これは。まさか・・」
「まさかって、君の起こした問題だ。新聞に出たら我々は負けなんだよ。教育界の脱落者、世間の敗北者なんだ」
啓太が手にした新聞には「教師の暴力で児童不登校。裁判へ」の見出しが社会面を大きく飾っていた。
顔を紙面にくっつけるようにして活字を追う九瀬啓太に教育長が言葉を叩きつけた。
「このダメ教師が。お前のせいで俺の出世が台無しだ。謝れ、俺に謝れ。そしてすぐに親の所に行って謝ってこい。その薄汚れた首を差し出してでも謝って許してもらってこい。戻ってきたら、お前は不適格教員としてセンター行きだ。そして2度と俺の前にその顔を見せるな。分かったか」
「は、はい」
啓太は上着を掴むと、教育長室を飛び出た。その時、啓太は暴力的なフラッシュに包まれた。上半身をねじり、眼を突き刺す光を避けた啓太を新聞記者とテレビのレポーターが取り囲んだ。
「九瀬さん、裁判所に訴状が提出されたのはご存じですか」
「九瀬啓太さん、傷害罪で警察も取り調べに入るそうですが・・」
「答えて下さい」
「九瀬さん」
「違います。私は暴力は振るっていません。間違いです、間違いだー」
 
 
 啓太が絶叫の中で跳ね起きた。
「夢だ、夢だったんだ」
頭の底から、ゴワーン、ゴワーンと錆び付いた釣り鐘の音が鳴り響く。啓太は頭を両腕で抱え込み、鈍い音を押さえ込む。脇の下、額にヌルリッと脂汗が浮き出ている。小さな時間が過ぎ、啓太の頭の中の鐘の音が消えていった。
「ふー、なんて夢だ。こんなに汗をかいてしまって・・。サラリーマン時代の営業でも、こんな脂汗を浮かべることは無かったのに」
啓太は両肩を思いっきり上げ、胸いっぱいに吸い込んだ息を、薄明るい部屋に吐き出した。時計を手探りで引き寄せる。
「わー、8時だ」
壁に掛けたスーツを着込み、菓子パンをポケットに詰め込むと車に飛び乗った。
「急げ、急げ。新学期早々、遅刻なんてシャレにならないからな」
 啓太のアパートから学校までは車で10分。学校の始業チャイムは8時15分に鳴る。腕時計は8時13分、駐車場に滑り込む。はるやま、のネクタイを首に巻き付け、校長机の上に広げてある出勤簿に押印した。
「ふー、滑り込みセーフってか。危ない危ない」
啓太は、鼻の上にずり落ちた眼鏡越しにのぞき込む教頭に背を向けると、小さく肩をおろした。
「ちょっと、どいてよ」
ピンクの稲妻が渦を巻く。養護教諭の加野きよみだ。40代半ばだが、いつも20歳代の教員に張り合ってピンク系の服を身につける。職場のあだ名は、Y県一の繁華街にちなんで、A市銀座ギャル。
「あー、忙しい。忙しいんだから」
カツ、カツ、カツっとハイヒールで床を蹴散らして消えて行った。啓太と林が眼で後を追うが、一瞬で消えてしまった。
「やれやれ、さあ。一日の戦闘開始だ」
職員室で机に座っているのは事務官の林だけだった。
「あれ、他の、世間知らず、じゃなかった先生達はどこに行ったんですか」
「世間知らず、とは上手いことを言うもんだ。じゃあ、私も負けないで言うぞ、そろそろ妖怪ダコのお出ましだ」
林が眼の端にシワを寄せる。
「おはようございます」
校長が職員室に現れた。
林と啓太が首を肩に埋め眼を合わせた。
「ところで先生達は教室ですか」
啓太が再び周囲を見回した。
「ああ、全員教室だよ。去年、A市であった事件を覚えているかな」
林が声を潜めた。
「いえ、何があったんですか」
「それはな・・・・」
少し、言い淀んだ林が言葉をつないだ。
「2年前になるが、朝自習の時間に、先生が1時間目の習字授業の準備の為に墨をすらせたんだ。もちろん、担任は朝の職員朝会に出ていてクラスにはいない。そのクラスには4年生で一番元気のいい子どもがいた。墨をすっているうちに、いつもの癖が出て、女の子にちょっかいを出した。ちょこっと後ろから女の子のホッペに墨を付けたんだ。そうしたらいつもはおとなしく泣く子が、反撃に出て、男の子の習字紙に墨を付けかえした。怒った男の子が墨をいっぱい付けた筆を振り回し、女の子の着ていた白いブラウスは墨だらけになった。たまらず、女の子は自分の墨液を男の子に投げつけトイレに逃げ込んだ。ブチ切れた男の子はトイレに追いかけて行った。そして個室のカギを開けないもんだから、バケツいっぱいの墨液を女の子の頭からかけたんだ」
「わあ、無茶苦茶ですね」
「そう、それで女の子は登校拒否になり親が、相手の親と担任を訴えたんだ」
「そんな事があったんですか」
「ああ。しかしその時の学校の態度が無茶苦茶だった。担任は、自分の責任では無い、の一点ばリさ。そして名誉毀損で親を逆提訴するって言い張って大変だったよ。そして、校長がヘナムニャだろう」
「えっ、そのヘニャムニャって何ですか」
「これがまた、責任を取らない。親に謝罪をするより先に、県教育委員会に顔の利く県会議員、地元の市会議員の所の行ったきり、全く連絡が取れないんだから。学校にはマスコミやらテレビカメラが入ったりで大騒ぎだった。教頭は体調不良でいなくなる。それでも校長には連絡が取れないんだ。そして、やっと姿を現すと、一切は担任の責任です。ケンカについては、子育てに原因があります、って言い張るだけなんだ。親はカンカンに怒り、話がこじれて、こじれて大騒ぎさ」
「し、知りませんでした。学校って怖いんですね」
啓太の語尾が震える
「結局、裁判は和解になった。市は責任を認め和解金を払ったんだ」
「それで朝自習時間に先生達は皆職員室にいないんですね」
「ああ」
林が周囲を気にして短く返事をした。
「そのヘニャムニャってのが、ほれ」
林が眼の端に瞳を寄せる。
瞳の先を追った啓太が眼を大きくし、口を丸く開けつぶやいた。
「妖怪ダコ・・・」
「そう嵐山軍司。そして担任が」
林がそう言いかけた時、ガラガラっと職員室の戸が音を立てて開いた。
 
 
 

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