♪物心つき始めた頃から、ブラシをマイクがわりに歌っていました。
が、小学生時代、遠足のバス移動中、ハンカチ回しでしくじり、
バツゲームで「とんびの歌」を歌った後の
「朋ちゃんの声ってお婆ちゃんみたい、ヘンな声。」という友達の一言で、
人前で歌が歌えない子になってしまってネ、
大好きだった歌からすっかり遠ざかっていたそんな時に、
合唱団への参加を勧めて下さり、熱心に指導して下さった音楽の先生のお蔭で、
歌の楽しさを思い出し、自分の声を好きになる事ができたの。
「音楽家・池田朋子の生みの親」は飯田道子先生という素晴らしい方です。
♪高校時代、足首骨折の治療で器械体操部を休部中に
「足が治る迄でいいから手伝って」と友達のバンドに誘われてからというもの、
毎日が楽しくて楽しくて、足が治っても益々バンド活動に熱中し、
結局、器械体操部は退部する流れに。。。
高校3年の夏までに決意は固まり、
勉学を究める事を私に望んでいた(?)両親に頭を下げて、
音楽の道を選んだのでした。
私の想いを尊重してくれる親に恵まれて良かったワ。本当に。
♪音楽学校は勉強の場である以上に(!)出会いの場でしたネ。
仲間達と刺激し合えたし、その頃の友達は今も大切な友達ばかり。
音楽を続けている人もそうでない人も。
そして卒業後も私の面倒をみ続けて下さった先生が
「音楽家・池田朋子の育ての親」というべき存在の平野融さん。
コンポーザーとしてもプレイヤーとしても活躍されており、
私をその世界へ迎え入れて下さり、
音楽家として生きていく為の足がかりを作って下さいました。
私は先生運がいいんです。
今は逆に一生懸命な愛しい生徒達に囲まれて、これまた幸せ。
♪様々な歌の仕事をしつつ、途中ユニットでの活動などもありましたが、
若さゆえの気負いや自分に課していた過剰なプロ意識などで空回り、
パートナーや協力して下さった方々に御迷惑をおかけし、解散する結果に。。。
この場を借りてお詫び申し上げます。本当に貴重な経験をさせて頂きました。
そして、ふと気付くと、コーラスやサイドヴォーカルばかりで忙しい日々で、
メインヴォーカルでのオリジナル活動を殆どしていなかったんですネ。。。
これではイカン!と、1998年からアーティスト活動を再開!
1999年からピアノ弾き語りを開始!2000年末からギター弾き語りに挑戦!
依頼仕事の合間を縫って池田朋子名義のLIVEを開催するようになりました。
ソロ活動再開後から「私らしい音楽って?私らしいLIVEって?」と
試行錯誤を繰り返してきましたが、
21世紀に入って、ようやく、長年望んできたものが指先に触れたような、
もう少しでこの手にぎゅっとつかめそうな。。。♪♪♪
迷いは殆ど消え、あとは楽器演奏の技術を磨く事、そしていい歌を生み出す事。
音楽を通して、いい出会いが沢山あって幸せ!ありがとう!
そして皆さんにいい時間をプレゼントできる音楽家を目指して活動を続けるワ♪
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