|
親鸞さんのあしあと
|

親鸞聖人像と向かい合ってかわいい石像かありました。 この像を見つめられている親鸞聖人も微笑んでおられるように見えた。
|
二十四輩 第18番 入信
●所在地/茨城県つくば市大曽根685-1
|
佛名山玉川院常福寺は宗祖親鸞聖人の上足直弟入信房の旧跡なり、入信房の俗姓は源氏新羅三郎義光の後胤、常陸国司佐竹義照の順孫八田民部卿朝範の息男八田七郎知朝と称し、当時武勇の誉れありしが宿縁あって菩提の道に志す。時に宗祖親鸞聖人稲田の禅坊に滞在し、各地に念仏の教えを広められている時に知朝の領内の太子堂に参詣の機会に専修念仏の教えを受け、知朝、随喜聞法し、御弟子となり「入信房」と授けられる。 入信房速やかに家屋を廃止て仏閣となし常陸国那珂郡八田に建保4年(1216)3月22日「常福寺」を創建する。宗祖親鸞聖人御帰洛の際、後をしたい上洛するが尾州日比野の運善寺にて嘉禎3年(1237)往生する。「常福寺」中古の武家の妨難に遭い、天分10年(1541)現在の地大曽根に移る。天明8年(1788)、明治25年(1891)の両度の火災に遭い堂字を焼失するが、伝承の法宝物は現在に伝承し7百年来、師資相承の法雨の恵みに潤う。前本堂は明治の火災後4年間を費やして仮本堂として現在に至ったものでありますがその損傷が著しくこの度本堂再建の機運が高まり、門徒一丸となり、一億円の予算をもって本堂客殿改築を決定、平成の御世に実現し後世に伝えることになりました。 ここに落成慶讃の法要を記念してこれを建立する。平成元年10月29日本堂前の碑より
|
つくば学園都市の北のはずれにあります。世界の最先端の科学技術の研究所が多数集まっている
|
二十四輩 第7番 西念房
越後の親鸞聖人を訪ね、真宗の教えに帰依した西念房は、武蔵・野田の地に道場を建立した。3代目・西祐のころ、南北朝の争乱を避けるため、二班に分かれて疎開し、一班は西念房の出身地信州へ、一班は上州へ移った。上州へ移った方が後に、古河の地に落ち着いたのが当寺である。寺宝として覚恵・覚如・西念の三師を描いた三人連座の御影を蔵する。
●所在地/茨城県古河市中央町2-8-30
|
古河市街地の歴史博物館と隣接しており、お寺の前の道路が一方通行のため、少し解りつらかった。 本堂というより普通の民家に近い作りで厨御堂作りというらしい。関東24輩のお寺ではここだけと思われる。 7番 西念房のお寺は 岩井の西念寺、野田の長命寺、そしてここ宗願寺である。もう一つ長野市にも長命寺がある。 長野の長命寺はいずれ善光寺参りの折にでも訪ねたい。
|
二十四輩 12番 善念房
善徳寺は、浄土真宗本願寺派額光山信楽院と号し、本尊は阿弥陀如来。開基は善念房である。
善念房の前身は南酒出六郎義茂といい、久慈郡内田の領主であった。
義茂が親鸞聖人の弟子となり、善念房と法名を賜って南酒出に一字を建立1213年(建保1年)したのが善徳寺のはじまりである。
その後、三世善明のとき現在の地に移ったが、移った理由については明らかでない。
現在の本堂は、寛永7年(1630)14世慶秀の再建と伝えられ、古い型式を今につたえている。 境内掲示板 写
所在地/茨城県那珂郡美和村鷲子1730
|
国道293号線から赤いトタン葺きの屋根がみえた。四方が山に囲まれ、前に小川が流れる、山里の原風景の中にたたずんでいる。
|
二十四輩 第17番 念信房
当寺の開基・念信房は、俗名を高沢氏信といい、高沢城主であった。観音の夢告と父の遺言とにより、常陸・稲田に親鸞聖人を訪ね、教化を仰いだ。念信という法名を賜った氏信は、那珂小舟の地に草庵を建て、聖人も6度その地を訪れたという。その内の安貞2年(1228)親鸞56歳のとき、一夜の内に満開になり、親鸞が草庵を立つ時振り返り、振り返り念仏しながら去られたので、『見返りの桜』というようになった。その後、100年以上もたってから、寺基は現在の鷲子の地に移した。 桜の木は元禄年間に小船の地から、この境内に移植されたと伝えている。
境内の太子堂に安置された聖徳太子木像は、県の文化財に指定されている。
●所在地/茨城県那珂郡美和村鷲子2236
|