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「自分の人生体験が多少とも深まり、人生観や宗教観も固まって50歳か60歳になったなら、もう一ぺん親鸞という人間像にぶちあたって書き直す」 吉川英治

 1    砺波の専念寺 (富無騒家の故郷のお寺)
 2005年2月22日 富山新聞記事より
門徒の誕生日に「現代の御文」 砺波の専念寺 法話を記して送る
蓮如上人が門徒に書き与えた「御文(おふみ)」にならい、砺波市太田、真宗大谷派専念寺の平野正樹住職(51)が、門徒や知人ら約千六百人の誕生日に合わせ、法話を記したカードを送り続けている。平野住職は生きる大切さなどを説く真宗の教えや寺院の存在を見つめ直してほしいと願いを込めている。
 
 専念寺は一五一三(永正十)年に加賀国太田(現石川県津幡町)の永照寺から分かれ、一六二一(元和七)年に現在の寺号となった。同住職によると、参拝者の大半が高齢者だったこともあり、若い人にも気軽に仏法を説く方法として、法話を記したカードを誕生日に送ることを思い付いた。
 
 一九八八(昭和六十三)年から、はがき二つ折りの紙に法話を印刷し、市外への転居者も含めた門徒全員の誕生日に郵送し始めた。門徒の子どもや孫にも送っているため、法話は分かりやすい言葉を選んで記し、書やイラストも添えている。
 
 今年のカードは「我執」や「煩悩」について記し、自己の罪深さに気付き、人間が共に助け合うことの大切さを説いている。横に添える一言メッセージの書は、小矢部市平桜の書家酒井安子さんが筆を執った。
 
 結婚する娘や孫に集めておいたカードをまとめて贈る人もおり、平野住職は「生きる喜びを説くのが、仏教の務め。御文にならい、仏法を手紙で説くことで、寺や真宗に親しみを持ってほしい」と期待している。

 2    八千代の伝説と昔話
八千代の伝説と昔話のホームページへ
親鸞と弘徳寺(新地)
 
親鸞自画像 親鸞は鎌倉時代に活躍した浄土真宗の開祖です。建仁3年(1203)法然の門下に入り修行を始めた親鸞でしたが,承元元年後鳥羽上皇の不興をかったために,師法然は土佐に,親鸞は越後に流されてしまいました。
 
 越後での5年に及ぶ苦境を終え,親鸞は東国関東に下り布教を始めました。その時親鸞は42歳,その後約20年間に渡って活動します。
 
 親鸞には数多くの弟子がいます。その中でも信楽(しんぎょう)はもともと相馬三郎義清という武士でした。下総の国の太守という役職についていましたが,たまたま下妻に親鸞が立ち寄った際に論談し,そこでその教えに深く帰依し,門弟となりました。
 
 その後信楽は新地にあった自邸を改造し,ここに弘徳寺を建てたのです。さてこれからお話しする「大蛇退治」の伝説は,親鸞とその弟子信楽に関わる言い伝えです。
 
弘徳寺山門 弘徳寺の宝物のひとつに「大蛇の頭骨」があります。これは親鸞が下野の国(現在の栃木県)花見ケ丘蓮花寺の「大蛇済度」を行った折りの,その大蛇の骨だと言われています。
 
 むかし下野の国花見ヶ丘には大蛇が住んでいました。もともとは人間の女でしたが,夫に対するあまりにはげしい嫉妬心からいつしか大蛇に姿を変えてしまいました。そして村人に様々な危害を加えるようになってしまったのです。
 村人たちは困り果て,大蛇の怒りを鎮めようとして,若い娘をいけにえに捧げることに決めました。それを聞いた娘たちは皆逃げまどいましたが,結局の所くじ引きでいけにえを決めることになりました。
 やがて運命のくじは引かれ,神主の娘がいけにえになることになりました。ふびんな娘はその日から涙に暮れる毎日を送りました。神主と村人はそのあまりに悲しい姿を哀れみ,あれこれ相談した上,常陸の国(現在の茨城県)に住む親鸞に助けを求めたのです。
 
 快く済度を引き受けた親鸞は,さっそく花見ヶ丘におもむき大蛇の住む場所へ出かけました。大きな牙をむき出しにして威嚇する大蛇に向かって親鸞は,静かに三部経というお経を唱え始めました。それまで赤い舌をチョロチョロさせて舌なめずりしていた大蛇は,やがてじっとそのお経に耳を傾け始め,そして静かに息を引き取り極楽へと旅立ちました。
 
 翌日からはもちろん大蛇の姿は消えました。若い娘も親鸞のありがたい徳に感心し,浄土新真宗に帰依したと言われています。この時親鸞とともに花見ヶ丘に出かけた信楽は,大蛇の頭骨を弘徳寺へと持ち帰りました。それが現在も寺に伝えられているということです。
 
弘徳寺のモクゲンジ 弘徳寺にはこの他にも親鸞に関わる言い伝えがたくさん残されています。
 
 境内にはひときわ大きな「木げん子」(モクゲンジ)が植えられています。これは関東での約20年に渡る布教活動を終えて,親鸞が京の都に帰る時のことです。親鸞は弟子信楽との別れを惜しみ,記念にと身につけていた数珠の玉をひとつ境内に植えました。
 
 すると不思議なことには,またたくまにその玉から芽が出て,やがて大きなモクゲンジに育ちました。7月には白い花を咲かせ,秋にはたくさんの実をつける立派な木は,現在植えられているものが三代目だと言うことです。
 
 
 
 
 
 この他,弘徳寺には「名号貝」という不思議な貝や,「声を発した阿弥陀如来」の伝説などたくさんの言い伝えが残されています。

 3    坂東報恩寺で新春恒例の「俎(まないた)開き」
※「俎開き」の由来について
 
 親鸞上人の第一の弟子だった性信は上人の信頼が厚く、関東方面の布教をまかされていました。ある日、性信のお寺に白髪の老人がやってきて「あなたの教えで長年の迷いがとけた。ぜひとも弟子にしてもらいたい」といいました。性信は老人の願いを聞き入れて弟子にし、性海という名を贈りました。老人は大変喜び、師弟の礼は一生、忘れられないと言って北の方角へ立ち去りました。しかし、その姿は大生郷(おおのごう)の天満宮(現・茨城県水海道市の菅原天神)のある飯沼のほとりで見えなくなってしまいます。その後の夜、大生郷の天満宮の神主の夢枕に天神様が現れ、「わが師、性信上人に感謝するため毎年一度、境内の池の鯉を二匹贈りなさい。これは必ず守るように」とお告げがありました。これは天福元年(1233)の頃と伝えられています。今日まで700年以上の間、絶えることなく連綿と続いています。
 
毎年1月11日には水海道市の菅原天神から鯉二匹が同市の下総坂東報恩寺に贈られ、翌12日には東上野の本坊へと届けられて「俎開き」の儀式が行われます。
 

 4    女人の裸念仏
 むかし、稲田に親らん聖人というお坊さんが住んでいました。聖人は、念仏の教えを広めるために、時々、稲田草庵とよばれたお堂で、近くの村人たちにお説教をしていました。
 ところで、稲田村からおよそ三里ほど東に、福田村というところがありました。この村に、まずしいけれど仲の良い弥七夫婦が住んでいました。せまい田や畑を耕してくらしていましたが大変信心深い夫婦でした。夫婦は、交代で稲田草庵に出かけては、聖人のお話を聞きに行っていたのです。弥七が出かけるときは、妻は家にのこり、妻が出かけるときは、弥七が家にいるというようにしていました。それというのも、あまりまずしいので、外出する時の着物が一枚しかなかったからです。
 ところが、ある日聖人の大切な話があるというのです。二人は、
 「こんどは、おれの番だな。」
 「私もどうしてもお話を聞きたい。」
と、言い争いになってしまいました。そこで、弥七夫婦は考えたあげく女房をつづらに入れ、弥七がせおっていくことにしました。お説教のある日になりました。弥七は、下着だけしか着ていない妻を、つづらに入れてせおいました。途中、何度も何度も休みながら、三里の道を稲田の里にやってきました。
 草庵に人々が集まったころ、聖人は、
 「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
と念仏を唱えると、集まった人々も
 「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」
と声を合わせました。唱えが終わると聖人は、お話を始めました。聖人のお話が始まると、弥七は妻の入ったつづらを草庵の縁側にかつぎあげて、つづらのふたを少し開けておきました。つづらの中の妻は、一心に聞いていましたが、聖人のお話が聞きとれないところがありました。もっとよく聞こうとして、とうとうつづらからとび出してしまったのです。お堂にいた人々は、おどろいたり、笑ったりして、大さわぎになりました。聖人は、これをごらんになって、
 「みなさん、お静かになさい。お浄土まいりの道には、かしこぶったり、善人ぶったりする必要はありません。どんなに美しく着かざっても、心に、ほんとうにお阿弥陀さまを信じる心がなくては何もなりません。むしろ、なにもかざらない弥七の妻こそ、お手本になさるがよい。」
と、さとされました。集まった人々は、聖人のことばに心をうたれました。 
 弥七夫婦は、お話が終わると、うれしい気持で家に帰ってきました。夫婦は聖人にほめられたことから、ますます深く浄土の教えを信仰するようになったということです。
http://ed.city.kasama.ibaraki.jp/~kasamaj/minwa/ue/minwa21.htm

 5    「鎌倉時代というは、一人の親鸞を生んだだけでも偉大だった」(司馬遼太郎)
「ヨーロッパの宗教改革は16世紀だったが、日本は13、4世紀の鎌倉時代がそれにあたる。鎌倉仏教はその後の日本人の思想や文化に重大な影響を与えるが、その代表格はなんといっても親鸞の浄土真宗と、禅宗にちがいない」 司馬遼太郎『日本と仏教』 エッセー。

 6    彼岸 2005年3月20日
人々は多いが、彼岸に達する人は少ない。
 多くの人々は こなたの岸の上で さまよっている。  (法句経 85)
 
真理がただしく 説かれたときに、真理に従う人々は、渡りがたい。
  死の領域を超えて、彼岸の岸に 到るであろう。 (法句経 86)
 
太陽が真東から上がり真西に沈む、 どちらにも傾かない、中道の日が彼岸の中日。
極端をさけ、かたよらない心、中道の教えもまた難しい。
 

 7    親鸞謝恩の阿弥陀像 (真岡の民話)
国土交通省 下館河川事務所
 
旅僧は困ってしまった。 鬼怒川の川止めである。轟々と流れる川面を眺めて立ちつくしていた。 「坊さんや、お気の毒に、今日はとても駄目だ、何のようで、 そんなに急ぎなさるんだね」心配顔に聞く渡し守に「栃木の花見ヶ岡」で、 嫉妬深い女人の霊が大蛇となって世の女人を呪い、取り喰おうとするそうな。
 
今年、人身御供に当てられた娘の親御から、是非その悪霊を済度し、 多くの人の難儀を救っていただきたいとの願いにより、早く行き、 悪霊を退散させ、村人救済、悪霊を済度しようと思っての途中じゃ。」 旅僧は、「舟止めが解けるまで、どうぞわが家に」という渡し守の好意を受けた。 数日後、風は凪ぎ、水かさも減った。旅侶はこの間からの礼を述べて立ち去った。 その時、何日か厄介になったお礼にと、心魂込めて書き上げた阿弥陀如来の尊像を置いていかれた。 それから間もないころ、花見ヶ岡蓮華寺の大蛇退治、悪霊済度のありがたい話が伝わり、 村人の口にのぼり始めた。 渡し守は、旅僧の話を思い合わせ、あの時の阿弥陀如来像を床に飾りつけ、 村人にそのいわれを話すのであった>。
 
旅僧、実は常陸国小島の範宴、 後の親鸞聖人がお礼に画いた阿弥陀如来の尊像は、その後、幾多のエピソードを交わえながら、 後の世に伝えられ、今も人びとの心に潤いを与えている。
 

 8    誕生日 2006/8/17 58歳、まだ何も見えていない
誕生日に故郷のお寺  富山県砺波市の専念寺の住職より誕生日のカードが届いた。 
 
父母のいない人はいません。その両親にも親があって、さらにその親にも親があって・・・と考えると、一体どのくらいさかのぼることができるのでしょうか。
太陽系に地球が誕生して三十六億年と言われています。その最初に生まれた原始の命が、私たちの命に直接つながっているかどうかは定かではないにしても、それに匹敵する時間をさかのぼることができるのではないでしょうか。私たちの命の背景には、おおよそ私たちの想像をはるかに超えた永い永い命の歴史が、私たち一人1人リの命をはぐくんできたのです。
 さらに、驚くべきことにはその命の歴史が一度でも途切れることなく、今につづいてきたことです。
もしその歴史がどこかで途切れていたとしたらどうでしょうか。私たちひとりひとりはここにはそんざいしていないはずです。
 命とは、私たちの思いも及ばないほどに深く永く不思議なご縁によって賜った授かりものなのでず。何物にも替えがたい宝物なのです。そのかけがえのない命を賜ったことを慶びとする人生を送らなければならないとおもうのです。そうして、そういう生き方を求めるひとのためにこそ親鸞聖人があかされた仏法(阿弥陀仏の本願念仏の教え)があるのです。
 
親鸞聖人のおことば
 大悲の願船に乗じて光明に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆渦の波転ず。すなわち無明の闇を破し、速やかに無量光明土に至りて大涅槃を証す、普賢の徳に遇うなり、知るべし、と。(教行信証 行巻)
 
阿弥陀如来の本願の船にのせていただき、光明の広海に浮かべば、すばらしい功徳の風が静かに吹いて、すべての渦の波は転ぜられるのです。迷いの闇を破って、すみやかにはかり知れない光明の浄土に至って、仏と等しい悟りを開いて衆生利益の徳をいただくのです。このことを信知すべきです。(現代語訳)
 
(このおことばは、親鸞聖人が、信心をいただかれた後に開かれた、自らの心境を語られたものです。私たちも供に教えを聞いてこの境地を目指したいとおもうのです)
 
 
書 酒井安子さん
               南無阿弥陀仏


 9    ウオーキング 
2008年6月7日 地域のウオーキングクラブのメンバーと高田山専修寺まで歩いた。 往復 約12km 専修寺で手弁当の昼食を取った後、鼎照生輪番さんから親鸞と浄土真宗、専修寺の話などいろいろお聞きした。 その中で輪番さんの姓である鼎(カナエ)についても話されたけど初めて知った漢字である。 法話の後 高田派第二世真佛上人・第三世顕智上人の坐像に拝んだ、今年の3月末の大恩会の時も両上人の遺徳を偲んだから今回は2度目、大恩会は参列者が多くてゆっくり手を合わせることも出来なかったけど今回は法話も聞くことが出来たし、梅雨の合間の晴れ日、田植えの終わった水田を見て、新緑の木々の中のウオーキング、早苗を揺らすさわやかな風の中に親鸞さんがいて、喜びの田植え歌が聞こえた。
 
  それにしても 徒歩 12kmは少々 きつかった。  



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