映画の話

昔書いた映画の感想や最近観た映画の話など書いていきたい。
 
最近はめっきり映画を見に行かなくなりました。また映画との出逢いを増やしたい。映画館に足を運ぼう。
 
私と今井正監督−10年ぐらい前の文章です−
私が、今井正監督を初めて知ったのは、映画サークルに入って、その例会でです。もう8年ぐらい前中央市民センターの視聴覚室でほそぼそと例会をやっている頃、私が映画サークルに入って、まもない頃でした。
「ここに泉あり」という映画を観ました。群馬交響楽団の設立の苦悩を描いた作品でした。岸恵子ね小林桂樹が出演していました。敗戦後まもない頃、楽団を作ろうとした若者たちの苦しさと情熱を、ふんだんにクラシック音楽を使って描いていました。地方では腕が鈍るという思いで何人かは辞めていき、しかし、その中で何人かは細々と地方の人に音楽を広めていくのでした。しかし、結局うまくいかず最後の演奏旅行に出かけ山の上の小さな小学校で演奏会をやった。その中で夕焼け小焼けを演奏すると、子供たちが演奏に合わせて歌い出した。これで最後の演奏会だと思いながら思い楽器を手に学校を離れ山道を歩いていると、山の上から子供たちが家路につきながら夕焼け夕焼け小焼けを歌っているのが聞こえてきた。振り向いて子供たちを見上げた楽団員の表情がいまだに忘れられない。そして、数年後、東京の楽団と合同演奏会ができるまでに成長していた。ラストは山田耕筰指揮の第九が演奏される。楽団員の歓喜の感情に乗せて画面一杯に鳴り渡る。素晴らしかった。
更新日時:
2001.08.18 Sat.
千と千尋の神隠し
今日谷川名人のスランプの脱出のきっかけの話をテレビでしてました。
羽生の破竹の勢いの時に彼に谷川氏は手が出なかったらしい。
その時子供達100人と100人指しを谷川氏がして、子供達の楽しい笑顔に教
えられたと言ってました。子供から教えられたという気持ちも凄い。原点に返る、
自分が子供の時楽しんだ事を思いだして、竜王戦で、思いも出来ぬ、想像できぬ
手を−羽生も予想だにしなかった−打ったことから、羽生に勝った。
 
羽生氏は以前この話と全く関係がないですが、将棋はいま発展途上、開発の時代
である、その中で戦えることが幸せと言ってました。江戸時代から指されていて
もう手は無いように素人の私から見ると思えるが、将棋の世界はまだ完成されて
折らず、完成された将棋に向かって、しのぎを削る時代と言ってました。
そういうものかなと奥の深さを、そういう気持ちで居る限り強いなとも思いまし
た。
 
で、話は長くなりましたが「想像できぬ手」想像できない世界。
「千と千尋の神隠し」
私は既に2回もみて仕舞ったのだが、内容的にはたいしてひかれるものは有りま
せんでした。ただ、前にも書いたかも知れませんが、監督の想像力の豊かさに感
激したのです。60歳。自分の頭の中にあんな世界を描くというか、思いもつき
ません。いろんな世界、想像力を使えさえすれば、どんな世界でも作れる、見れ
るという思いがします。そして、自分の知らない、想像できないものはいろんな
ところにあるのだと、今一度思いました。柔軟な頭、好奇心を持っていたい。
 
「千と千尋の神隠し」で忘れていたこと。
この主題歌が素晴らしいですね。
歌詞はちとわかりにくいが、歌っている人の声が素晴らしい。
こころが洗われるような澄んだ声で気持ちがよい。
木村弓という人だ。CDを買ってみる。
山の中の清澄な空気のような声。
「ららら、らららら、らららららら、ふっふっふふ、ふふふふっふ」
更新日時:
2001.08.13 Mon.
教えられなかった戦争−沖縄編−第2回
仲間と沖縄に行って来た第2回目報告
 
沖縄旅行最後の日、宿泊地の名護市で起きてまずは、今普天間基地の代替地となろうとしている辺野古に車で行く。建設予定地であろう辺野古の海を見て、サミット会場地の横を通り抜け南下する。途中名勝地を見学し(断崖)一路さらに南下。嘉手納、普天間基地の横を一気に走り抜けて、「首里城」を見学。私は3年前に見学してましたが、今回この日本の城と全く異なる城を見て、やっぱし日本文化と違うな−−と再認識しました。全く中国です。そして、なんで沖縄が日本になったのだろう、と思いました。これだけ中国的であれば、中国に占領させていてもおかしくない、日本領土になったのはどういう訳なのだろう。琉球は、昔は独立国であった。中国と日本の中間という立場もあり、両国に朝貢していた。たぶん中国は、最初からこんな小さな島国を征服する気はなかったのだろう。朝貢さえ来ればそれで満足していたのだろう。日本は江戸時代薩摩が武力で占領して、征服した。日本は侵略者だった。そのことを今回の見学で一番思いました。侵略された沖縄人が、太平洋戦争の時、日本の犠牲になったのかと、そして、今も犠牲になっているのかと、歴史の運命というものを感じました。「沖縄そば」がうまかった。
 さらに南下。ここから沖縄戦の激戦地になる。沖縄北部の地形と様相が異なり、山もなく、丘陵が続く。中部から南部に車を走らせながら、この地形の中を戦時中、沖縄の人たちは、血まみれになり、逃げていたのかと思った。空から攻撃されたら、隠れるような岩や山がない、ような気がした。また、夏だったからハブも居たことだろう。
 沖縄の人たちが逃げに逃げ最後に到達した喜屋武岬に行く。日本各県からの慰霊碑が建ち並んでいた。私たちが行ったときは、引き潮で崖のしたまで海水が来ていなかったが、あの崖から飛び込んだという話を聞く。また、崖の上から見た海原に、戦闘当時、埋め尽くすほどの米軍の艦船が居たという。なぜ民間人をも死に追いやる愚かな決断がなされたのだろう。海を見ながら−−−。帰り沖縄戦資料館を見る。
 今回の旅行の最後に、「ひめゆりの塔祈念館」に行く。
この中では、ひめゆり部隊の生き残った人たちの、体験記が印象深い。看護婦の教育も受けていない学生が、日本を守るため、どんな体験をさせられたか。日本軍はどんなことをしたか。沖縄は「捨て石」だったことが、展示物の中でとうとうと語られている。多くの内地の日本人が見学に来るべき場所であろうと思いました。
 サークル仲間と沖縄に行けてよかった。やっぱし泡盛はうまかった。
天気のいい夏に行きたいのだが−−。
沖縄、島唄と踊りの島、日本と異なる文化、将来なにか日本と違う発信地になってくれることを願う。自然を守りながら基地を無くしながら、豊かな島になってくれることを祈る。
更新日時:
2001.08.09 Thu.
教えられなかった戦争−沖縄編−
仲間と沖縄に行って来た第一回報告
 
「教えられなかった戦争・沖縄編」という映画の舞台の沖縄北部に行こうという企画が、機関誌に載った。私は、この映画を見ていないのでどうしようかと思ったが、仕事以外の人と沖縄まで旅行にいくなんて今後一生無いだろうと思い、まあ、沖縄の夜みんなと楽しく飲めればいいや、という気分で気軽に参加しました。映画を見ていないので、どこに行くのかさっぱりわからず、ひたすら夜の泡盛のことばかり楽しみにしていたのです。3年前に友人と行き泡盛を楽しんだのであります。その時の思い出がありました。
 ということで、2/18(金)仕事を終わって、19時半の沖縄行きの飛行機に乗ったのです。野田、中尾、田島、高橋の男4人の旅に。約1時間半で那覇空港に着きました。前来たときより立派な空港になっていました。
タクシーに乗り国際通りのホテルに行く。途中タクシーの運転手さんに沖縄の話を聞き、映画「ナビィの恋」や北部の方言の話で、北部の方言はさっぱりわからない、ということでした。で、早速期待の夜の泡盛。国際通りを歩いていたら、前に友人と行った居酒屋を発見、そこで沖縄音楽を聞きつつ泡盛を飲み晩飯を食べ、私と中尾さんはそれからスナックに行き、野田さんと田島さんはホテルに帰られました。
 沖縄のママさんのスナックで客も女の人一人だったので、少しママさんとお話が出来ました。話は映画の話からしましたが「ナビィの恋」は沖縄で大評判で、このママさんが見に行ったときは映画館に入れず、3月再上映があるので、その時に行かれるということでした。そのママさんの話では、沖縄の映画となるといつも戦争の話で、この「ナビィの恋」は、今までの沖縄映画と違うところがいいのでは、というお話だったような気がする。おいしい泡盛を頂き、情熱的な真っ赤な服の沖縄的顔立ちの沖縄的アクセントのママさんの雰囲気を堪能して、ホテルに帰り寝たのです。
 次の日はレンタカーを借りて、いよいよ映画の舞台へ。私はさっぱりどこに行くのかわからなかったが、中尾さんの運転で町中の那覇から高速道路を北に。途中から山岳地帯を抜けて名護市で降りて、伊江島のフェリー乗り場に行く。途中土砂降りに会う。前回来たときも雨。今回は土砂降り。どうも今回の他の人の目的は、この伊江島に行くことらしい。
なんか映画の舞台らしいが、私はどんな舞台なのかもさっぱりわからず、外は雨、波に激しく揺れるフェリーに乗り、目の前の島に到着したのです。ここから資料館を目指しレンタカーで島の中を走る。サトウキビ畑の横を走り到着したのだが、でっかい資料館を予期していた私は、小さな公民館ぐらいの資料館に驚いてしまった。中を見学しながら、弾薬や薬莢(やっきょう)があり、戦争反対の資料館だろうと思っていたが、なんとなく違うような気もして、見ながら段々、米軍に土地を取り上げられた人の戦いの資料館だということが、ようやくわかってきたのです。米軍の弾薬で脚が吹っ飛んでいる写真や土地返還闘争の写真を見せられました。自分たちの命や体がが犠牲になりながらの戦い。日本の犠牲になりながら戦っている人たちの歴史を見せられました。
 資料館の来館記帳簿を見てみると、こんな遠くの小さな資料館に全国から特に関東から来ているのには驚きました。いやいや、平和について勉強している人はいるもんだ、と驚かされました。私など泡盛しか頭になかったのですから。
 
更新日時:
2001.08.05 Sun.
ルイーズその旅立ち
映画「ルイーズその旅立ち」で調べたことです。
 
 「ルイーズその旅立ち」の大きな背景となっている、伊藤ルイの両親、大杉栄、伊藤野枝の虐殺事件を、私のわかる範囲で書いてみます。参考図書は、松下竜一著「ルイズ・父に貰いし名は」講談社文庫,鎌田慧著「大杉栄・自由への逃走」です。誤りがあればご指摘くだされば幸いです。
 高校時代、確か甘粕事件として事件の名前だけは受験勉強で覚えた記憶があります。私は、この映画を一度見ましたが、見た後も、この事件は昭和の太平洋戦争の時にあったものとばかり思っていました。上記本を読んでみて、改めて大正12年9月16日の事件だったことを知る。5・15事件が昭和七年で、大正時代の末期から軍部がこんなことをしていたのかと、日本の軍部は昔から思想の統制や虐殺をやっていたのだな。
 事件の概要を説明する前に、大杉栄と伊藤野枝の出会いを少し書いておきたい。詳しくは瀬戸内寂聴「美は乱調にあり」を読んでください。大杉栄は、21歳の時堀保子と結婚したが、結婚していながら30歳の時、神近市子と同棲を始める。その一年後、市子との関係を清算しないまま、野枝と同棲を始めた。当時野枝は、辻潤と結婚していたが、野枝も大杉栄も,今で言う不倫、当時であれば姦通のような形で同棲を始めたのである。この辺の男女の仲は凄い感がする。野枝は今宿で育ち、上野女学校在学中の16歳の時に仮祝言をあげ、翌年卒業して一時帰郷し、夫と生活したが、わずか9日で上京した。家は貧乏であったため金持ちの息子と無理矢理結婚させられたのである。上京後上野女学校の辻潤と同棲し、18歳で早くも雑誌「青鞜」に文章を発表。辻との間に二人の子を産む。しかし、やがて「青鞜」の関係から大杉栄と出会うことになる。21歳の時である。つ
まり、野枝は、虐殺された時は28歳だったが、その生涯で三度結婚し、七人の子供を産んだ。大杉栄は「無政府主義者」の思想であり、それ故、二人は正式には入籍していないし、夫婦別姓であった。
 ソビエト連邦成立が大正11年ですから、日本にもマルクスの思想、民衆という立場での労働運動、人間の平等思想などが強く入ってきていた。まさに、大杉栄もその運動の主要メンバーであった。その思想は、当然天皇主義を標榜する我が国の国体とは、違ったものであった。邪魔な思想であった。
大正12年9月1日に関東大震災が起こる。圧死者、焼死者などおよそ14万人者もの犠牲者を出したが、その死者の中に大量の殺人が含まれていた。朝鮮人が、井戸に毒を投げ込み、放火し、暴動を始めたという噂が飛び交い始めたのは9月2日からである。軍隊ばかりか、市民に殺害された朝鮮人、中国人は3千人に達する。朝鮮人の暴動の背後に社会主義者がいるとの噂が流れた。震災の見舞いに大杉と野枝は、大杉の妹を訪問したが、妹の子供橘宗一7歳の家が震災で崩壊したので、東京につれて帰る途中を、甘粕大尉に拉致されることとなる。二人の子供と間違えられた。
9/16日三人は東京憲兵隊本部に拉致され、3日後同所の古井戸から惨殺死体となって発見された。しかし、判明した事実はそれだけで、誰が命令し、誰がどのようにして殺害したのか、真実は今に至るまでわからない。死体は本人かどうか判断しにくいくらいひどかったらしい。虐殺という言葉、その通りだった。甘粕大尉は軍法会議にかけられ懲役10年の刑を受けたが、2年半で釈
放されている。
 
 
更新日時:
2001.08.05 Sun.
学校W−以前に書いた感想−
学校Wを先週見ました。
まじめすぎる映画でどうも「若さ」に少し欠ける感じがしました。
15歳の少年が主人公です。確かに悩みがあるのだろうが、もっと若い映画が出来ないのだろうか。まあ、山田監督も歳だからね−−−。もう70歳近いのでは。
 
なんとなく不自然なシーンが幾度もあり、不幸な人間がたくさん出てきて、変な詩があったり−実際に若い人の詩らしいがなんとなく場違いな詩です−、気持ちは分かるのだが−−。それとなんとなくワンパターンの設定が多いのがしんどい。
「しんどい」世界を避けずに正面から捉えているのはわかるのですが、この映画は、若者は付いていけないのでは。親たちには良いのかも知れないが−−。
 
私の椅子の前のおばさんは、映画を見ながら、声を出しながら泣いてましたが、私は映画より、このおばさんにびっくりしました。このおばさんにとっては、この映画がとても素晴らしい映画になったことだろう。このおばさんの人生はどんなものだったのだろうと、そちらに想像力がいってしまった。
 
更新日時:
2001.07.16 Mon.
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Last updated: 2002/11/4

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