夏目漱石

20代一番読んだ作家が夏目漱石だった。全集とまではいかないが彼の著作はかなり目を通した。「それから」「道」は何度も読んだ気がする。
「坊っちゃん」「我が輩は猫である」「こころ」などはかなり有名であるが−−彼を理解するには、作品系列を読破すると、奥の深さが見えてくる−−−。
 
1    大掴漱石3
漱石は少年時代より学業には優れていたらしい。十三歳頃漢学塾二松学舎に入学。好んで漢学や小説を読んでいたらしい。後年の漱石の漢詩は、中国人も驚くほどの質の高いという。十六歳の時大学予備門受験に備えて成立学舎に入学。ここに松岡子規も入学してくる。最初は建築家を志望していた漱石でしたが、友人の忠告により「英文学」を専攻していくことになる。
二十二歳の時正岡子規と知り合う。翌年東京帝国大学英文科に入学。東大英文学の第一回生か第二回生だったと思います。明治二十二年だすからね、まだ英語なんてほとんど普及していない時代ですよ。卒業してから東京師範学校の英語の講師をしていたようだが、突然二十八歳の時松山の中学校に赴任していくことになる。
 
二十五歳の時、分家して、北海道の平民になっている。徴兵忌避のためとの説もある。当時は国民皆兵だったが、制度自体ははっきり知らないのが、分家すると忌避出来たらしい。この頃より漱石の精神不安定が始まっているらしい。
 
誰だったか、丸谷才一だったか、この徴兵拒否が漱石の精神不安定の原因だったと分析した人がいましたね。自分の同い年の若者が兵隊になり死んでいくのに自分は−−。二十七歳の時には日清戦争が勃発している。
更新日時:
2002/04/14
2    大掴漱石2
漱石は、年取った両親の末っ子と言うこともあり、生まれて直ぐに古道具屋に里子に出されたが、縁日で籠に載せられて吊されているのを姉が見て不憫に思いつれて帰った。そして1歳の時、今度は子供の居ない塩原夫婦の養子になったが、夫が浮気をして結局離婚し、塩原家に在籍のまま8歳の時実家に引き取られた。この複雑な幼少時代が漱石になんらかの影響を与えたと考える見方もある。漱石の本名は夏目金之助という。塩原家から夏目金之助に復籍したのは、なんと漱石21歳の時である。漱石の「道草」には、この育ての親が金をせびりにくる、ことが詳しく書かれている。
 
私の記憶では、塩原夫妻はよく幼い漱石に「本当のおっとさんは、おっかさんは誰かえ」と言って漱石に指を指させていたらしい。
 
漱石は8歳頃より寄席に落語を聞きによく通っていたという。「坊っちゃん」は、江戸弁ということもあるが、落語の世界ですね。文章の流れが落語です。
 
更新日時:
2002/04/13
3    大掴漱石1
漱石については、以前から何度も書いていたし、私自身も20年以上前の知識しかありません。最近は全然彼の書物は読んでいないので、的確なことは書けないのですが−−だいぶ忘れてます。以前から少しは彼のことをまとめて書いてみたいと思っていました。
人それぞれ、その人の青春の時に出会った人がいると思う。それはいろんな出逢いだったと思うが、私の場合は、その1人が夏目漱石だった。で、彼の書物を読んでみると、大変ヘビーな世界が書かれていて、人口に膾炙している「坊ちゃん」「我が輩は猫である」「こころ」以外に、なかなか意味深な作品があるのに気づきました。そして、結構世間の人は、その漱石の全体像を知らないのではと思うようになったのです。漱石の全体像というものは、結構魅力的なところがあり、国民作家としての漱石のそうゆう世界を是非知って欲しいと思って、またぞろぞろと書いてゆきたいと思っています。
 
漱石は明治維新の前年1867年に5男3女の末っ子として生まれている。父50歳母42歳の時の子供である。母は後妻だつた。両親の年取った子供として歓迎されなかった。大正5年に49歳で亡くなった居る。明治の前年と言うことは、かれの人生は明治と共に生きたことになる。彼自身も明治という時代を意識していたのかも知れない。作品「こころ」の最後に突如、乃木大将の殉死の話が出てくるが、突如という感じで、私自身は、この唐突さに納得がいかないのだが、漱石自身は、明治天皇の死、乃木の殉死に感慨深いものがあったという説もあるが−−
更新日時:
2002/04/06
4    それから−−こころへの変遷
「それから」も妥協せず貫くという世界を描いてますが、だんだん漱石は社会と個人の関係から、人間と人間の関係の世界を描くようになり、「こころ」ではついに自分を見つめて自分のこころを描くということになりますね。
自分のこころをみるというのが難しいし、見たら大変なことになることもありますね。だいたいの人は自分のことは棚上げにして、他人のこころ−本当はこころはみていないんですけど外見の行動をみて−ばかりを批判してます
更新日時:
2002/03/19
5    漱石の誕生日1/5
歴史上の出来事/年中行事/お祭り
 
 
東京で京橋〜新橋の馬車道完成(1874)
女優松井須磨子、島村抱月の後を追って自殺。34歳(1919 )
ナチス結成(1919)
大型の映画シネラマ公開(1955)
東京・六本木のディスコ「トゥリア」で照明装置が落下、客3人が死亡(1988)
 
魚河岸初せり
 各地の魚河岸がこの日にせりを開始する。この時期はまだ初物はないが、新年(暦の上で)の初物としてご祝儀相場がつけられる。
 
『坊つちやん』の夏目漱石生まれる
『吾輩は猫である』『坊つちやん』『こゝろ』など、数多い名作を生んだ国民的作家・夏目漱石が1867年(慶応3)のこの日、東京で生まれた。ユーモアと皮肉に満ちた作風で、当時の文壇に衝撃を与えた。現代もなお、根強い人気を持つ。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」は、『草枕』巻頭の有名な一節。
 
本日の誕生日
宮崎駿(映画監督・1941)、渡辺えり子(女優・1955)
 
更新日時:
2002/01/05
6    草枕
ティーチャー大沼の
『英語のツボ!!』 〜英語のエッセンス〜
 
"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"'"~"
 夏目漱石の「草枕」に、英国の詩人、P.B. Shelly (1792 - 1822) の To a Skylark の名訳を載せております。「前を見ては、後(しり)えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ」の中に、漱石自身、人間の生活は現在・過去・未来にわたり、理想あり、追憶あり、現在のみをもって満足するものでない、と自分自身を投影させているのではないかと判断されます。原文と訳を紹介しておきます。
 
 We look before and after,  前を見ては、後へをみては、
  And pine for what is not  物欲しと、あこがるるかなわれ。
 Our sincerest laughter      腹から、笑ひといへど、
  With some pain is fraught;  苦しみの、そこにあるべし。
 Our sweetest songs are that tell うつくしき、極みの歌に、
  of saddest thought.        悲しさの、極みの想ひ、
                    籠もるるとぞ知れ。
 
 「草枕」の主人公の青年画家が山路を越えて温泉場に行き、そこで才知に富んではいるが、変わった振舞をする一人の女性と出会います。人情を越えて交渉を続けているうちに絵のモチーフが浮かんでくるのです。つまり、「住みにくき世から住みにくき煩ひを引き抜いて、有難い世界をまのあたり写すのが詩ある、畫である」と考えました。多分漱石自身が苦しい現実から逃れて、第二の現実を文学の世界に求めていたのでしょう。
 悩みを持つ文豪夏目漱石の人間性の一面を垣間見たような気がしま
せんか。
更新日時:
2001/12/11

PAST INDEX FUTURE

ホーム 本の紹介、感想 つれづれなる雑文 映画の話 フォトギャラリー 博多/福岡近郊の写真コーナー 言葉との出逢い 心の中に名言を
雑学シリーズ 愛媛県新居浜市の歴史と現状−別子銅山の町− 漱石と遠藤周作 コラム 黒澤明 リンク集 プロフィール 掲示板
What's New スケッチ


Last updated: 2002/4/14

メールはこちらまで