夏目漱石

20代一番読んだ作家が夏目漱石だった。全集とまではいかないが彼の著作はかなり目を通した。「それから」「道」は何度も読んだ気がする。
「坊っちゃん」「我が輩は猫である」「こころ」などはかなり有名であるが−−彼を理解するには、作品系列を読破すると、奥の深さが見えてくる−−−。
 
19    漱石の手紙−こころ−
漱石の「こころ」日本の文学史上一番読まれている作品であろう。漱石は小学生からのファンレターにこう返事を書いている。
 
あの「こころ」という小説の中にある先生という人はもう死んでしまいました。名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です、あなたは小学の6年生でよくあんなものをよみますね、あれは小供がよんでためになるものぢやありませんからおよしなさい。あなたは私の住所をたぜれに聞きましたか
 
大人になって読んだ方がいい作品かもしれない。小学生や中学生の読書感想文の宿題には選ばない方がよいかもしれない。
更新日時:
2001/04/14
20    坊ちゃんの文章
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。と言う書き出しで始まる「坊ちゃん」落語のような流れる文体ですね。−漱石は落語が好きだったと思う−この小説の最後の所を、作家井上ひさしが確か「新・文章読本」で絶賛していた。手元に本がないので−−確認が出来ないが。その最後の文章とは、こんな文章です。
 
その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は25円で、家賃は6円だ。清は玄関つきのいえでなくってもしごく満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎にかかって死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
 
この「だから」をえらい絶賛しているのである。日本文学史上にのこる接続詞とか書いていたような気がするが、この「だから」は祈りに似た気持ちが込められている、と書いていた。
確かにこの「だから」は気持ちが入ってますね。だからどうなんだといわれても、いいな−−と思うだけです。
更新日時:
2001/04/11
21    漱石の俳句
漱石は、若い頃正岡子規と知り会い、彼の影響で俳句を作り出した。生涯作り続けている。特に子規が死ぬまで、彼に彼の生き甲斐をつくるが如く、彼に添削を依頼している。漱石の文章には、子規の提唱する写生的文章が確かにあるような気がする。
 
「秋の江に杭の打ち込む響きかな」
「秋風やひびの入りたる胃の袋」
「肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」
漱石の俳句。
43歳のとき30分は死んでいた、あの世に行っていたという、経験をした。
その後の俳句。
 
「秋の江に杭の打ち込む響きかな」
好きな俳句です。死んでた人間が、浅瀬の海に打ち付ける杭の響きを聞いている。
心に染み渡る、しみこむ響き。
更新日時:
2001/04/13
22    漱石の健康
漱石というと「坊ちゃん」のあの江戸っ子の元気溌剌青年から元気がよさそうな感じも受けるのだが−−。漱石は前に書いたように明治維新の1年前に生まれて、大正五年49歳で亡くなっている。明治と共に生きた人間である。ひょんなことから38歳の時「我が輩は猫である」を書いて、作家活動を始める。約10年が彼の作家生活である。イギリス留学が33−35歳まで。
 イギリス留学の後半頃から精神衰弱の傾向をみせ、帰国してからは胃弱の病気持ちだった。しょっちゅう胃潰瘍の治療を受けている。精神過敏なところもあったようで、おまけに胃で入院はするは、そんな病人から生まれたのが、彼の作品だった。
 どんな作品か。まあ精神的に悪い、胃も痛くなるような作品が多い。「我が輩は猫である」や「坊ちゃん」は例外の、異常に明るい作品である。
 
更新日時:
2001/04/11
23    漱石の文章−それから−
漱石の同時代に森鴎外がいた。文章においては鴎外の文章のほうが名文だという人もいるが、私は漱石が好きです。三島由紀夫の「文章読本」ではえらく鴎外を誉めていたが、頭に来る。この前にも書いたが、漱石は、前半の坊っちゃんなどのころより、中期、後期と文体がえらく変わってくる。「それから」はかなり洗練された文体になっている、と私は思う。
「それから」の文章で芥川龍之介が誉めている文章がある。
 
代助は茶の間から、座敷を通って書斎へ帰った。見ると、きれいに掃除が出来ている。落ち椿もどこかに掃き出されてしまった。代助は、花瓶の右手にある組み重ねの書棚の前へ行って、上に載せた重たい写真帳を取り上げて、立ちながら、金の留め金をはずして、一枚二枚と繰り始めたが、中ごろまできてぴたりと手をとめた。そこには二〇歳ぐらいの女の半身がある。代助は目をふせてじっと女の顔を見つめていた。
 
俳句から学んだのか写生的文章、代助の動きが的確に捉えられていますね。「ぴたりと」という言葉がいいですね。「じっと」もいいですね。
更新日時:
2001/04/10
24    漱石の本名
漱石の本名は、夏目金之助という、金太郎みたいな名前である。漱石は、明治維新の1年前慶応3年1867年に5男末っ子として生まれている。姉も3人居た。父親が54歳母親が41歳の子で歓迎されずすぐに里子に出され、夜店かなんかで籠に入れられていたのを姉が不憫と思い、つれもどし、1歳になって塩原家に養子に出される。養父母が9歳の時離婚したため。塩原の名前のまま生家にった。−前に書いとるばい−戸籍上夏目家に復籍するのは21歳の時である。生家は、漱石が生まれた頃は名家だったが。明治維新と共に没落していった。今でも東京に夏目坂というのがある。漱石の生家のあったとこらしい。
 
漱石という号は、初め正岡子規が使っていたが彼から貰った物である。中国の故事からっている。ちょっと資料がないので確認が出来ないが「枕石漱流」だったという気がするが、本来は「石に枕し流れに漱ぐ−すすぐ、口を近づけるという意味だったけ」というのを間違って「流れに枕し石にくちすすぐ」と言ったのに訂正しない、偏屈者という故事から採っている。
更新日時:
2001/04/18

PAST INDEX FUTURE

ホーム 本の紹介、感想 つれづれなる雑文 映画の話 フォトギャラリー 博多/福岡近郊の写真コーナー 言葉との出逢い 心の中に名言を
雑学シリーズ 愛媛県新居浜市の歴史と現状−別子銅山の町− 漱石と遠藤周作 コラム 黒澤明 リンク集 プロフィール 掲示板
What's New スケッチ


Last updated: 2002/4/14

メールはこちらまで