夏目漱石

20代一番読んだ作家が夏目漱石だった。全集とまではいかないが彼の著作はかなり目を通した。「それから」「道」は何度も読んだ気がする。
「坊っちゃん」「我が輩は猫である」「こころ」などはかなり有名であるが−−彼を理解するには、作品系列を読破すると、奥の深さが見えてくる−−−。
 
25    野分の文章
私の好きな「野分」の漱石の文章とはこんな文章です。
 
博士はえらかろう。しかし高が芸でとる称号である。富豪が製艦費を献納して十五位を頂戴するのと大した変わりはない。
 
世は名門を謳歌する。世は富豪を謳歌する。学士までを謳歌する。人格その物を尊敬することを解しておらん。人間の根本義たる人格の批判の標準を置かずして世間は必ず、この付属物を以て凡てを律しようとする。
 
社会批判、国家批判、金権批判の精神のオンパレードですたい。そして、流れるようなリズムの文章、「間」というか、文章と文章の間に空気がない、井上ひさしは、これを尻取り文章と言っていたが、これが私の体内リズムと合ってしまった。
 
しかし、この文体、社会批判は、彼の後半の作品群では少し薄くなり、別の熟練した文体が生まれることになる。
更新日時:
2001/04/08
26    漱石という人2
10年間に書いた作品傾向について。
 
初期は社会批判、権力批判を元気にやっていたのだが、三四郎頃から少しずつ、社会と個人の関わりというものに視点を置くようになる。自分はこう生きたいのに、親兄弟、社会が許さない。それとどう生きようとするか、その葛藤みたいなものを「それから」「門」くらいまで、そんな世界を描くのですが、その次は、だんだんシビアな人間心理を描き始めるのです。
 
こんなん書いてたら胃が持たないのでは、と思わせますが、まあ次から次に男女の三角関係で、腹のさぐり合い、みたいな世界を書きますね。たぶん精神衰弱のせいだろう。「こころ」は文体がまだ柔らかくて、ずきずき心理を分析するような文体でない
ので、救われてます。一人の女性を二人の男性で奪い合う、というよくある話ですが−−−。まあ、あの小説はまじめすぎますね。今後はベストワンにはならないような気もする。まじめすぎる。楽しくないのに、まあ、明治の人は、よく新聞で毎日読んだもんだわい。
 
私の好きだった「道草」全然楽しくない小説なのに何ではまっていたのか自分でもわらない。漱石唯一の自伝的小説。文章が初期の「坊っちゃん」と全く変わりましたね。漱石は、この作品で自分を精算した感じになったのか、次の作、絶筆となる「明暗」にとりかかる。未完成品です。これが最初、夫婦の腹のさぐり合いのような文章が延々とくどくどと続いたような気がする。疲れる。しかし、なんか、その前の作品に比べて、なんか、違う展開になりそうな雰囲気もしてくる。そこで死去。
 
作品の題名が「明暗」。この題名にふさわしい結末があったような気もするのだが−−残念。さぐり合いのような暗いところから、なにか光が射すような結末になっていたような気がする。
 
私が漱石にはまったのは、まずは社会批判、権力批判の漱石の姿勢が好きだった
こと。「それから」などのもがく若者の精神構造が、当時の自分もよく理解できたこと。人間の深層心理にあるものをえぐりだそうとしたこと。そして、精神衰弱、胃弱、妻、養子問題など、いろんな課題をかかえながら、シビアな世界を嫌と言うほど追求し続けたその精神的強さに惹かれたこと。など
 
更新日時:
2001/04/08
27    漱石という人
また夏目漱石。少し彼を紹介したい。
 
日本文学で一番読まれているのは、いろんなアンケートでも夏目漱石の「こころ」になっているようだ。なんでこんな暗い小説が一番になるのかはわからないが。そのほかでは「ぼっちゃん」「我が輩は猫である」「三四郎」「草枕」ぐらいですかね。「坊っちゃん」のイメージが強いせいか、人気があるが、この人の作品は結構暗い。
 
最初は確か「虞美人草」を高校生の時読んだ。この本はたぶんさっぱりわからなかったと思うが、社会批判の文章がありそれが、結構私を捉えた。そして、ぼっちゃん、二百十日、野分など初期の文学を大学生になって読んだ。これがまたまた、社会批判、権力批判のオンパレードで結構私は虜になった。文章は行間が無く私のリズムに合っていた。漱石は、この辺までが明るい。
 
漱石は38歳の時我が輩は猫であるを書き、49歳大正5年に亡くなっている。作家生活はほぼ10年。すべてを朝日新聞の連載小説として書いている。短い作家生活だった。この十年間の作品を読むと、彼の精神的変化がよくわかるので、とても面白い。私は彼に一時めり込みました。
 
東大の英文学を出た超エリート。イギリス留学2年間で「漱石発狂」の噂が出て帰国。この頃から、漱石得意の精神病とつきあうことになる。おまけに胃も悪く、胃薬を飲む話は「我が輩は猫である」に出てくる。43歳の時は吐血で危篤状態になる。小さいときは、8人兄弟の末で歓迎されず、生まれてすぐに里子に出されたが連れ戻され、1歳の時、塩原家の養子になり、9歳で塩原の姓のまま生家に連れ戻され、正式に夏目家に復縁したのは21歳の時である。この9歳までの生活は、どうも漱石になんらかの影響を与えたらしい。
 
「本当のおっとさん、おっかさんは、誰だえ−−」てな質問をいつもされていたらしい。そして、養父、養母の顔を指さしていたらしい。
 
また、奥さんもヒステリー持ちという話もあり、これは疑わしい、新婚当時確か奥さんが自殺未遂を起こしている。続く。。
 
更新日時:
2001/04/05
28    虞美人草
また、漱石。
漱石は20代お世話になりました。
それ以来、漱石関係の本が出れば、本屋でめくってみる。どんな人だったかも知りたくなりますね。知って人生どうなるというものでもないのですが、まあ20年以上つき合っていると、少しは身近な人になりました。
 
最近「漱石の美術愛」推理ノートという本を紹介してもらったので読んでいる。漱石が絵画愛好家で、結構美術の絵画から着想を得て自分の作品にとりいれているという内容の本だが−−、新しい見方で面白。
 
画家という言葉が定着するのも明治時代らしい。その前は、絵師、画師、画人と
言っていた。また、「美術」「絵画」「彫刻」「工芸」などという言葉も、幕末から明治時代に定着したらしい。
 
「虞美人草」漱石が朝日新聞社に、大学教授の身分を捨てて、就職してから初めて書いた小説である。「虞美人草」とは、和名ひなげし」のことだという。アグネス・チャンですね。この本の著者は、「ひなげし」より麻薬のとれる「ケシ」のほうがぴったりと言っている。この本の中に出てくる藤尾という女性の性格を見て。この虞美人とは中国のあの三国志に出てくる、楚の武将項羽の愛妾。項羽が劉邦の軍に囲まれて敗戦濃い時、項羽の足手まといになるまいと自殺した。その流した血から出た花が虞美人草。激しい花ですね。どんな色のどんな花なのだろう。
アグネスチャンの歌はどんな内容でしたかね。とてもそんな激しい感じの内容で
はなかったような気がするが。
更新日時:
2001/04/05
29    漱石の博士号事件
漱石の博士号事件は、このメールでもなんども載せました。
明治44年2月、文部省が佐々木信綱、幸田露伴らといっしょに文学博士の学位を贈ったとき、漱石は「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もただの夏目なにがしで暮らしたい希望をもっております。」とこれを辞退した。当時の誰彼に博士号を贈る風潮に漱石は批判的であったらしい。博士制度の効少なくして弊害多し、の考えだった。歳とると勲章が心地よいのに、この漱石のへそまがり、強情には感心する。
 
「文部大臣が文部大臣の意見として、小生を学位あるとお認めになるのはやむを得ぬ事とするも、小生は学位令の解釈上、小生の意志に逆らって、お受けする義務を有せざる事とここに言明致します」なかなか頑固者というか、反権力のおっさんである。明治の話である、それも東大の英文科の二回生の卒業で、国家の期待を担ったエリートだった。なかなかこんな博士号を拒否するという発想のわかない時代の話である。お上のお金で英国留学までしてて−−−。
 
「右大臣にお伝え願います。学位記は再応お手元までご返付致します」
と送り返すところが凄い。
更新日時:
2001/04/03
30    漱石の文章
4月になって、NHKで二つの漱石の講座が始まった。
一つは、テレビで人間講座「漱石先生の手紙」もう一つはラジオ明治文学をよむ
「夏目漱石」。なんで漱石が二講座も増えたのか。今年は漱石生誕何年なのかな
と調べてみても、そうではない。2000年という節目だからだろう。明治維新の1年前に生まれ、日本の近代化と共に育ち、ついには英語を勉強し、西洋近代的世界を目の当たりにする。100年前漱石はなにをしていたかというと、34歳、9月にロンドンに出発し、英語研究のため、イギリス留学となる。そんな前でもない。
 
先週の週刊朝日に司馬遼太郎が書いてます。
 
私ども日本人が外国語がへたなのは、ひとつには、明治末年に日本語が文章として確立されたからです。旧文明を捨て、欧米の文化を受容しましたが、中学校の教科書は、ほんの明治初期をのぞいて、すべて日本語で表現されました。物理も化学も数学もすべてそうで、後進国としては世界史にこういう例はありません。
「英語は、英語の時間だけ」というのが、英語が苦手になった主たる理由です。
そのかわり、文章日本語は発達しました。なにしろ明治以前の文章日本語をすて
て、新言語が興ったのです。巨大な営みでした。明治時代に、ここに皆さん手ないで縄をなうようにして自分の文書をそれぞれ作りましたが、それらを大完成したのが「夏目漱石」でした。文章というものは、多目的でなければなりません。政治や哲学を論じられると共に恋愛描写もできなければならないのです。漱石が。それを可能にしたのです。
 
私は漱石の行間のない文章がとても好きです。
更新日時:
2001/04/03

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Last updated: 2002/4/14

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