返事が遅くなりました。
昨日書いて送信手前でパソコンがフリーズしてしまい疲れてました。
遠藤周作はだいぶ前にかなり読みましたが、この作品と言うより、彼の考えたか
に共感したのです。好きな作品としては、最初の頃読んだ「黒ん坊」とか、「彼
の生き方」とか印象に残っている気がします。「結婚」も印象に残ってます。
彼の考え、人生観で衝撃的出逢いは「踏み絵」の問題でした。
江戸時代のキリスト教徒かどうかを試す「踏み絵」です。
若いときは、誰もが潔癖主義です。
私も、もし自分がキリスト教徒なら「踏み絵」など踏む人間になりたくない。そ
んな弱い信念のない人間にはなりたくない。拷問を受けても自分の信仰を貫き通
す人間でありたいと思っていました。映画でも信仰を貫く人間がよく描かれ、た
たえられますね。信仰を守る人間こそ立派な人間なのです。
しかし、遠藤周作は逆だったのです。驚きました。
「踏み絵」を踏む人間の足の裏の痛みは、踏まないで信仰を貫く人間より何倍も
痛かっただろう。踏まない人間は、強い人間なのです。踏みたくないのに、自分
の弱さから踏んでしまう。お前は駄目な人間だと、自分に問われながら踏んでし
まう人間。その痛みを彼は理解したいと考えたそうです。それが「沈黙」という
作品になっています。その弱い人間の痛みをわかる−想像力で理解する−ことを
教えて貰いました。
西洋の考えでは「マリアの顔」を踏むキリスト教徒を許さないのでは。
棄教する信者を許さない。
でも遠藤周作はイエスはきっとこういったというのです。
「踏みなさい、お前の痛みのために私はいるのだから」
ここに西洋的考えと東洋的キリスト教な遠藤周作の少し差があるような気がしま
す。五木寛之の「人生のなんとか」とか「他力」とか読むと遠藤周作の考えと大
変よく似ていますし、引用している文章が殆ど同じなのにもびっくりします。
長くなりました。
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