引っ越しのため本を押入から引き出すと、懐かしさでぱらぱら。
昔20年ぐらい前にえらく感激した本があった。
「私、プロレスの味方です」村松友視著
ぱらぱと読んでみる。出だしはやっぱし面白い。
プロレスを映画に変えてみると−−。
40代以上になると映画に行く男はめっきり少なくなる。
映画と言えば、土日にビデオを見たことを、映画をみた、などと語る。
まあそれでも見てるだけ、許してつかわす。
しかし、本当の映画者になるにはまだそれでは許されない。修行が足らぬ。
やはり、映画館に行かねば、本来の映画を見たという資格はない。
まあ、休みに映画館に行く中年男などは滅多に居らぬが20人に5人ぐらいはおるかもしれぬ。しかし、その中でもっと過激に映画を見ているおっさんもおる。
まあ、過激に映画を見るおっさんは、映画の虫である。5人のうち二人ぐらいは居るかも知れぬ。過激とは、月に最低3本をみるおっさんである。ゴルフの話しより映画の話しを始めるおっさんである。彼らは映画知識を十分持っており、生活や仕事に関係ない、映画の話しで盛り上がる変な男達である。映画を見なくても十分生活や仕事が出来生きていけるはずであるが、酒の まみは映画というおっさんである。ここまでいくと「過激な映画者」という称号を与えられる。
しかし、過激を通り越して「単なる映画好き」や「過激な映画者」をはるかに飛び越えた映画に生きているおっさんも1人ぐらいはおるかもしれぬ。このおっさんは「本物の映画きちがい」であり、端からみれば「あきれる映画者」である。西に映画があるといえば西に行き、夜中に映画の上映があるといえば疲れても映画館の椅子に座りに行く。ここまで行くには、相当の修行がいるが、たどり着くのは難しい。暇も体力も金も、そして強烈な情熱と惚れ込みがなければ、到達できない。ヨットで太平洋横断するより難しい人生の航海を乗り切らねばな
らない。後悔しないのだろうか、と端の者は思っとる。
そして、私は−−−。
昔はだいぶ映画館に足を運んだ記憶もあるが、最近はとんといかない。
ようやく一ヶ月半ぶりに見た。この程度の映画ファンである。しかし、全く見ないという訳でもない。映画の話しを仲間とするのも好きである。酒のつまみは映画、という時もある。中途半端な映画ファンである。
まあ、そんな人間だが−−、自分を表現するとしたら「私、映画の味方です」いろんな見方で映画を見てます。映画館で。
|