今井沢元彦著「歴史再発見物語」というのを読んでいます。
目から鱗−というような歴史の流れが書かれてました。
なぜ豊臣秀吉は朝鮮征伐に行ったのか。彼の説。
昔の戦国大名の軍団の兵士は、9割近くが農家との兼業兵士だった。普通は農業
をしていて、戦争の度に百姓が足軽として動員されて戦争に向かう。なぜこんな
ことをしたかというと、これしか方法がなかった。専業兵士にした場合の最大の
問題は、彼らの食料を誰が生産するか、だった。だから兼業兵士だった。しかし、
ここに逆転の発想をした大名が唯1人いた。その男はこう考えた。「兼業兵士は
農業もやらなければならなから、1年中フル稼働できない。もし専業兵士の軍団
を作ることが出来たら、いかに敵が強かろうと必ず勝てる」この発想をしたのが
信長である。
では、その食い扶持は−−。当時日本に専業兵士が居た。僧兵である。僧兵とい
うのは寺社が抱える専業兵士。寺社はありあまる経済力を持っていた。信長は敵
に学んだ。この寺社勢力から経済利権を奪えば、専業兵士を養成できる。楽市楽
座の背景にはそういう事情もあった。
信玄は、信長にも秀吉にも勝てない。信玄の兵士の大半は農家だから、農繁期に
は田畑に返さなければならない。
さらに秀吉は刀狩りをして、武士以外の武装解除をして、武士軍団を作った。そ
して、天下をとり平和な時代になったら、戦争しかすることができない専業兵士
が大量に余ってきた。
「七人の侍」の農民はまさに刀狩り以降の農民ですね。
で朝鮮出兵の話、彼はこの計画を「唐入り」と言っていて「中国進出計画」を練
っていた、書状に載っているらしいが、最終的には天皇を北京に移し、各大名に
中国の各州を与えるというとんでもない壮大な計画だったが、入り口の朝鮮で敗
退してしまった。
それと、秀吉は統一政権を作り、国内交易だけでなく貿易立国にも進出したかっ
たのに立ちはだかったのが、明の貿易禁止令だった。この時代16世紀の福建省
の人たちは、生きる為に海賊になった。14世紀の倭寇は日本人だが、この時代
の8割以上は中国人だった。明はこの方策を決して方向転換しなかった。
ならば軍事力で屈服させるしかない。日本には屈強な専業兵士がいる。これを使
って明を征服したれ、と出かけたのが朝鮮出兵だった。
というのが彼の説です。流れるように時代は次々と動いていく。明治時代から日本が戦争の道を歩み始めたように。
|