しつこく「アメイジング・グレース」
インターネットで検索。
ポピュラーソングあるいはゴスペルと思われていますが、元々はイギリスの賛美歌
でした。この歌が生まれた経緯はなかなかにドラマチックです。
作詞のジョン・ニュートン(John Newton 1725〜1807)は元・奴隷船の船長で、後
に牧師になった波乱万丈の人です。
1725年7月24日、ジョンは地中海航路の商船の船長の一人息子としてロンドンで生
まれました。熱心なクリスチャンであった母親の影響で、彼は3歳から聖書を学びま
す。しかし7歳の誕生日の13日前にその母を亡くし、神の無情を感じた彼は放蕩を尽
し、ついには奴隷売買に手を染めます。
有名な逸話は、23歳の時のこと。1748年5月10日、アフリカからイギリスへの航路
で大嵐に遭い、船が難破寸前に陥ります。その時、彼の口から飛び出したのは神の名
でした。
"Load, have mercy upon us." 「主よ、どうか我らをお助け下さい」
帰国後、奴隷船の船長に昇格し、なおもアフリカから男女を買い、船底に押し込め
るような生活を続けます。
しかしやがて良心に目覚め、7年越しの恋が実ったこともあり、1755年下船。リバ
プールで潮流観測員を勤めた後、39歳で英国国教会の牧師になりました。
幼い頃に聖書に親しみ、またラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、シリア語、フラ
ンス語などを修得した彼は、なかなかの秀才であったといえるでしょう。1764年、
オックスブリッジ(オックスフォードとケンブリッジ)の大学出身者でなければ得ら
れなかった聖職者の資格を取得します。
牧師としての第一歩はオルニーという小さな町の教会。16年の勤めの間、詩人ウィ
リアム・クーパーと二人で書いた賛美歌は『オルニー賛美歌集』として1779年に出版
されました。また知人の勧めで匿名で自伝を発表。大変な反響を呼びました。
オルニーからロンドンのセントメリー・ウールノース教会へ移り、26年を過ごしま
す。彼の説教には多くの会衆が集い、その中にはやがて奴隷制度廃止運動の指導者と
なったウィリアム・ウィルバーホースもいました。
1807年12月21日、死去。
晩年の彼の言葉です。
"My memory is nearly gone, but I remember two things,
that I am a great sinner,
and that Christ is a great Saviour"
「私の記憶はほとんど薄れてしまった。しかし2つのことだけは覚えている。
ひとつは私がとんでもない罪人であったこと。
もうひとつは、キリストはまこと偉大な救い主であること」
『オルニー賛美歌集』には280もの彼の詞が収録されています。「アメイジング・
グレース」は1760年から1770年の間に曲がつけられ、オルニーの教会の礼拝で歌われ
ていたようです。
第1節にあるwrechとは「ならず者、卑劣漢」という意味で、自身の過去の痛烈な反
省です。彼の詞は6節まであり、現在は第1〜3あるいは4節のあと、ジョン・P・
リース(1828〜1900)によって書かれた節が歌われています。
|