つれづれなる雑文
日々思ったこと、気づいたことを雑然と書きます。

今日こんな発見があった。こんなことを考えた。
 

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H14年8月30日(金)
温暖化と生活
最近地球温暖化のテレビをよく見る。
先日は温暖化によって雪が降らなくなり、雪解け水がなくなった悲惨な村の映像があった。アフガニスタン。ネパールでは逆に氷河が溶け出して、山の上の湖が決壊寸前だという。方や太平洋の島々、国では、温暖化で水位があがり移住しなければ行けない危機になっているという。
先日ダイエーに行きました。24時間営業。確かに夜中の1時頃の客は多いらしいが、24時間営業しないといけないのだろうか。儲ける為には店を開ける、のも分かる気もするが、冷房をいれ照明をいれ、エネルギーを使いだけ使い、地球環境にはいいわけがない。ほどほどの仕事ではいけないのだろうか、と思いますね。もうかる事、生活するすること、環境。そんな時代になって来ましたね。24時間働く、店を開ける。小規模のコンビニならまでしも、巨大なスーパーが率先してするのは、もう時代に遅れている気がする。逆に21時に閉めるとか、せめて夜中の2時に閉めるとか、宣言した方が企業イメージがいいと思うのですが。環境にいい企業の方がいい気がする
H14年8月29日(木)
ボールペンとタバコと女性
私は女性にタイして古風なイメージを持っていると思います。以前にも何度も書
いたのですが。先日朝飯代わりにミスタードーナツに入って、パンとミルクを頼んでテーブルに座った。私の斜め前に25歳ぐらいのノースリーブの清楚な女性が居た。なにげなく目が行く。で、彼女がボールペンを出してなにやら書き出した。で、何気なく目が行く。で、私は驚いた。そのボールペンの持ち方である。男性が見ると驚く。「やめてよね、その持ち方」。持つと言うより、握るという方が適切。「やめてよね」。思わず指を一本一本広げたくなってしまった。関係ない他人ですけど、言いたくなりましたね。「その持ち方やめたら」。かわいい姿が3段階は落ちましたね。関係ないけどね。「こう持ちたまえ」そしたら、もう少し知的にみえまっせ。とおじさんは思いました。どうでもいいいけどね。
通勤の春日駅。小さな駅ですけど、その入り口でこれまた23−30歳ぐらいの女性が3人立ってスパスパ吸っている。男性は誰も吸っていない。みんなその横を歩いている、みんな見ている。この時間にすわなくても、こんな所ですわなくても、家で吸ってきたら。綺麗な顔が台無しですよ。今は男女関係ないですからね。そんなこと思うのお節介ですね。自由ですから、どこでもいつでもお吸い下さい。とは思わない。
というお節介なおじさんの歳になりました。
H14年8月25日(日)
たいあたり
夏休みも少なくなりました。
絵日記の最後の項目に、「今年の夏休みでたいあたりで、がんばったことを書い
て下さい」って書いてあったんだって。
子供は「私のお父さんは、リストラで失業になり、家族旅行は出来なくなりました。国内旅行でさえ出来てません。ましてタイあたりまで行けません」っ書いたそうな。そんな罰当たりな質問は、今じぶん−自分/時分−いけません。タイまではで行けません。そうたい。あたりまえたい。
H14年8月22日(木)
高校野球
今日の高校野球の結果を聞いていないのですが−−四国四県の高校が準決勝に進出したのは初めてらしいが−−四国野球の黄金時代到来か−−−とか新聞に出ていましたが。私が18歳の時九州に来て驚いたのは、柔道や剣道が異常にに盛んということでした。九州は他にラク゜ビーやバレーボールも盛んですね。九州はいろんな運動が盛んでしたがサッカーも。愛媛県は運動と言えば、高校と言えば野球しかない県です。柔道や剣道、ラグビーなんで全然盛んでありませんでした。少なくとも20数年前は。夏は高校野球が青春の全てという雰囲気ですね。いろんな運動や文化があるはずにのに。朝日新聞もやりすぎでは−−。
H14年8月21日(水)
教科書
中高生の教科書から漱石、鴎外の作品が消えるという。芥川龍之介はのこるらしいが−−それにとって替わって現代の作家が採用されるという。馬鹿たれ−−漱石の文章を載せずに国語の教科書と言えるか−−と憤りを感じる。きちっと昔の名文と言われる先人の文章はきちっと載せるべきですね。と私は思うのですが。私が教科書で覚えているのは「城崎にて」と「夜明け前」ですね。全文ではなかったですが、あれを高校の授業で読んでいてよかった。結局「夜明け前」はそれきりになってしまったから。「夜明け前」の出だしは、名文中名文と言われるし、「城崎にて」は文学史上の名文と言われていますね、確か。私の世代の人がだいたい決定権があるはずだが、なんでそういう決定をするのだろうと思う。この間だの愛媛の教科書問題のように。先週の週刊朝日に司馬遼太郎が書いてます。
私ども日本人が外国語がへたなのは、ひとつには、明治末年に日本語が文章とし
て確立されたからです。旧文明を捨て、欧米の文化を受容しましたが、中学校の教科書は、ほんの明治初期をのぞいて、すべて日本語で表現されました。物理も化学も数学もすべてそうで、後進国としては世界史にこういう例はありません。「英語は、英語の時間だけ」というのが、英語が苦手になった主たる理由です。そのかわり、文章日本語は発達しました。なにしろ明治以前の文章日本語をすてて、新言語が興ったのです。巨大な営みでした。明治時代に、縄をなうようにして自分の文書をそれぞれ作りましたが、それらを大完成したのが「夏目漱石」でした。文章というものは、多目的でなければなりません。政治や哲学を論じられると共に恋愛描写もできなければならないのです。漱石。それを可能にしたのです。
 
H14年8月20日(火)
歴史教科書
わが故郷の愛媛県の教育委員会が公立中学校で問題の歴史教科書を採用した。許せん、馬鹿たれ、と言いたい。この教科書の普及を狙っている団体は、平成5年だか一斉切り替えに愛媛県をターゲットに戦略を練っているという。馬鹿たれ。愛媛県は恥を知れ。この間野坂昭如が戦争終結を遅らせた大人たちは考えなければならない、と言っていたが、愛媛の大人は子供にあんな教科書を教えていいと思っていのか、馬鹿たれ。読みましたが神話のページがめちゃ詳しく数ページ載っている。愛媛県は超保守でいかん。昔の元服の日、確か江戸時代は男は16歳で元服で、そのため愛媛では16歳のある日を少年の日と制定した。どうも愛媛だけだと思う。今もやっているのだろうか。私は18歳の時博多に来たが、その時卒業式に君が代を歌う歌わない、国旗を掲揚するしないで、もめているという報道に私は驚きましたね。愛媛では考えもしないというか、国旗掲揚君が代は当然でしたからね。なんでもめているのだろうと、無知な私は不思議に思いました。いかんな−−−あんな本が採用されたら。
H14年8月19日(月)
出会い
たまには近くのスナックに。最近また1軒開拓したのだ。おばあちゃんの店だけじゃな−−と思って、電車をおりて以前から目をつけていた店に前回飛び込みで入った。45歳ぐらいのママさんが1人でやっていて、チャージ2500円で焼酎キープが2500円だったのでキープした。昨日ちょっと入ったら、となりの客とママさんと私でいろんな会話になり、ママさんは美容師さんで、病院相手の訪問美容師−散髪屋さん−をしたいらしい。以前も病院や痴呆症の老人の髪を散髪していたらしいが、大野城近くにそんな仕事がないかな−−と言ってました。ボランティアでなくお金をもらってする仕事として。誰か博多市内でもいいですから、そんなツテのある人よろしく。病院ではなるべく髪は女性でも短くしてほしいらしいが−短髪−どんなに歳をとり痴呆でも女性は似合った髪型にすべきですよね、失礼です、といわっしゃった。病院側は清潔や手間の問題もあるのだろうが−−。また、ある病院では少しは歩けるのに、無理に車いすにして、簡単に移動できるようにするところもあるらしい。で段々歩けなくなる。ゆっくり歩かれたら世話が面倒という感覚らしいです。そんな病院は少ないだろうが−−
で、どういう訳か、そのママさんが山好きということがわかり、山の話は得意なので盛り上がれた。久住の中岳に登って8時間歩いたと言うからかなり歩いている。福岡の山はだいたい登ったという。とても山登りするような体と雰囲気がなかったので、人は聞いてみるものだ、とつくづく思いました。
 
H14年8月13日(火)
甲子園−留学生
宮崎の日章学園のブラジルの留学生が甲子園に出た。え、高校野球って外国人が出ていいの−−。彼らの国籍は日本なのかな−−。今は朝鮮学校も大会にでられるようになったんですかね。日本に留学した外国人が甲子園に出られて、日本で生まれ育った朝鮮学校の高校球児が試合に出られないのなら−−おかしいと思うが、今は朝鮮学校も高野連に加盟して出られるのだろう。甲子園も国際化していけばいいのだ。
 
H14年8月11日(日)
河瀬直美
「萌の朱雀」の監督。
小学生時代に名乗った姓が4つある。
父親の姓、母親の姓、母親の再婚相手の姓、そして、養父の姓。河瀬という姓は養父のもの。養父と血のつながりはない。生まれる前に両親が別居し生後離婚。母の再婚もあり、奈良市内に住む母親の叔母夫婦のもとで幼児から育てられる。この養父母をずっと、おじいちゃん、おばあちゃんと呼んできた。養父を14歳の時なくして、養母と二人暮らし。学校から帰るたびに恐怖感に襲われた。「もしおばあちゃんが死んでいたらどうしよう。天涯孤独になってしまう」
映画「火蛍」のあと離婚。
H14年8月10日(土)
左書き
関係ない日にちですが10/19に、駅名が左書きになる。戦争展を見に行ったら当時の新聞があり、戦争中は、横書きは、右から左に書いていた。今のように左から右になったのは、戦争に負けたからですか。英語をまねて左から右になったのでしょうか。最近中国も左から右になってるときもありますね。あれは英語の影響ですか。確かに右利きの人は、左から右に書いた方が書きやすいです。
10/19は何の日
駅名表示が左書きに統一(1945)
日ソ国交回復に関する共同宣言(1956)
フィリピンに元日本兵(1972)
福井謙一、ノーベル化学賞受賞(1981)
ブラック・マンデー
1987年のこの日、ニューヨーク株式相場が大暴落した。ダウ30種平均の終値は、前週末より508 ドル下がって1738.74 ドルの急激な下落となった。このときの下落率22.6パーセントは、世界恐慌の引き金となった1929年を上回った。この日が月曜日のため、“ブラックマンデー”と呼ばれる。
島崎藤村と『荒城の月』
「春高楼の花の宴、めぐる盃かげさして」といえば、誰もが知ってる『荒城の月』
の一節。作詞・土井晩翠、作曲・滝廉太郎によるこの名曲は、島崎藤村が2人の
仲をとりもって誕生した。藤村は仙台での教師時代に晩翠と知り合った。その後、
音楽学校に通っていた藤村は、滝と出会い、晩翠を紹介した。“城”のモデルは
晩翠の生まれ故郷、仙台の青葉城といわれるが、滝は自分の郷里・大分の竹田城
に想いを馳せて作ったとか。 1952年の今日は、土井晩翠が81歳の大往生を遂げ
た日である。
H14年8月9日(金)
戦略
先日テレビを見ていたら結婚式のキャンドルサービスは日本人が考えたんだって。カメヤマとかいうろうそく会社がお盆の時にしかろうそくが売れないので年中売れるようにって。凄い発想ですね。あのキャンドルサービスのろうそくは、少ししか燃えないのに後は破棄するらしい。まさに会社の思惑が当たったのだけれど、それではもったいないということである結婚式の担当者が、箱に入れて東南アジアの貧しい人に送っているという話をテレビで見ました。電気がこない所ってまだまだあるらしい。大変な作業らしい。
前にも書きましたが、指輪の値段、給料の3ヶ月分なんてダイヤモンドのデビアスが勝手に考えた戦略らしい。2ヶ月じゃ高いのが売れないし−4ヶ月じゃちとサラリーマンにはきついし、愛する彼女のためには男は3ヶ月分の見栄を張らさせるよう、デビアスから刷り込まれた。凄い戦略ですね。
H14年8月6日(火)
パートとアルバイト
今日はて−−って思ったのですが、「パートとアルバイト」ってどう違うの。
アルバイトはドイツ語で、パートはパート 《部分・役割》 (a) part; 《パートタイム》 part time. ソプラノ〜 a soprano part. 〜で働く work part-time. 
アルバイトはどうも学生に使って、パートは主婦に使うって感じですが、どうして二つの言葉が生まれたのだろう。アルバイトは時間制限がないのかな−−−。
蝉の鳴き声に勢いがなくなってきましたね。トンボがちらほら飛び始めた。
H14年8月4日(日)
看護師
久留米で看護婦たちが殺人をするという事件がありましたが、新聞では「看護師」という言葉を使っていました。「看護婦」と「看護師」はどう違うのか、以前から思っていました。
先日の新聞によると
この春から看護婦という呼び方が新聞紙上で消えつつあるのにお気づきでしょう
か。かわって登場したのが「看護師」仕事は同じなのに女性は「看護婦」男性は
「看護士」と区別されていた呼び名を統一するため法律が改正されて「看護師」
になった。
これからは「看護師」さんと呼ばないといけないのだろうか。何か「祈祷師」みたいで、医学的に馴染めないが−−。男性と女性、呼び方が違っていても問題ない気がする。同じ親だから「お父さん」「お母さん」を一緒にして「親さん」と呼ぶようなものだ、違うか−−。日本語が政府の規制によって消えていく。
H14年8月3日(土)
鹿児島川内高城温泉
鹿児島に出張。いつも泊まる宿と別な所に泊まろうと、インターネットで検索し
て、仕事に都合の良い川内温泉にする。インターネットで見て電話したら、おばあさんの声で「始めての人には私の宿はお奨めできません、常連だといいのですが。昔の宿でトイレも水洗でない、もっと良いところに泊まられたほうがいいです」と言われてしまったが、インターネットに出ているくらいだから、よかろうとお願いした。「本当にいいんですか」「山登りも好きでテントにも泊まっていますから、全然気にしません」と言ったが、どんな旅館かと楽しみになってきた。
途中で宿に電話したら、川内について、旅館の名前を言えば直ぐに分かります、というから安心して、観光案内のタクシー会社の人に聞いたら、知らないと言う。民宿の人に聞いたら、川内から30分くらいの山の中という。で田んぼの中を走りに走ったら、それはそれは情緒豊かな寂れた温泉街に着いた。「寅さん」の映画に出てきそうなうらぶれた小さい町で−−。車一台通れるような道の両脇に数軒宿があり、明かりが漏れている。運転しながら看板を見ると破れた看板があり、その裏をみてようやくたどり着く。普通の民家みたいな玄関だ
ったが、案内されてついて行くと、部屋数がいくつもあり、大広間あり、100人は泊まれる宿で驚いた。迷路の奥に案内されてようやく自分の部屋にたどり着いた。宿の経営は70歳くらいのおばあさんで、女中さんがおられて聾唖の人で、部屋への案内、クーラーの使い方、温泉の場所、洗面所など手振りで説明してくれ、食事も部屋に持ってきてくれて、ビールの注文も私も身振りでお願いした。宿泊者は私1人で、食事まで風呂に入り、その温泉街を浴衣姿で歩いてみる。50mあるかないかの温泉街で、西郷隆盛が泊まった宿や共同風呂もあり、竹細工を売っている店も2軒あり、母親と子供がタオルを持ってその共同湯から出てきた。いやはや映画にするには素晴らしい場所です。
 
宿はどういう訳か青年週刊漫画雑誌−大学生以上が読む−がたくさん置いてあり、
湯治のお年寄りの宿にしては場違いな漫画雑誌で−−不思議な気がしたが、大学
生の合宿でも頻繁にあるのかもしれない。クーラーがあって快適に眠れました。一泊二食で六五〇〇円。朝40帖はありそうな大広間で1人で朝食。
朝会計をして帰りしな「素晴らしいところですね、映画に出てきそうな場所ですね」と言ったら「この宿で映画の撮影があったんですよ」と言われた。「なんて映画ですか」「微笑みに抱かれて」なんか聞いたことがあるな−−−「また泊まりに来ます」といって仕事に向かったが、いやはやデジカメを持って居たらと思いました。道ばたに温泉に入っている西郷どんの人形があったが、夜浴衣姿で歩るいていて最初見たときは、少し暗くて、目をそらさないで、私の顔をじっと見続けるおっさんが居たので怖かった。あれはあの温泉地には場違いな人形でごわす。今は泊まる人も少ないそうです。なんもないさびれるばかりの温泉地でした。
 
微笑みを抱きしめて
製作国:日本製作年:1996
配給:グループ風土舎配給
スタッフ
監督: 瀬藤祝 セトウイワオ
プロデューサー: 三角清子 ミスミ
原作: ジーン・リトル 脚本: 関功 セキイサオ
撮影: 須藤昭榮 スドウ音楽: 丸谷晴彦
美術: 石井勝貴 イシイ編集: 三上悦子 ミカミエツコ
録音: 熊谷良兵衛 助監督: 神園浩司 カミゾノコウジ
キャスト(役名)
竹内哲哉 タケウチテツヤ (森田翔太)宮崎淑子 ミヤザキヨシコ (森田寛子)
勝野洋 カツノヒロシ (森田淳)西元佳那実 ニシモト (森田さや香)
前田耕陽 マエダコウヨウ (成人した翔太)樹木希林 キキキリン (長野淑子)
林千春 ハヤシチハル (篠原志穂)雷恪生 レイ・コーション (篠原吉彦)
解説
ガンに侵された父親とその家族の絆を描いたドラマ。監督は「大阪の章二クン」
の瀬藤祝。カナダ のジーン・リトルによる児童文学『パパのさいごの贈りもの』
を関功が脚色した。主演の子供たち は舞台となる鹿児島県下よりオーディショ
ンで選ばれ、勝野洋と宮崎淑子がその両親にふんして いる。なお、この映画は
鹿児島県川内市が製作費の半分を出し、同市の市民団体の協力によっ て作られ
た。
H14年8月2日(金)
戦争回避
今週週刊朝日に堺屋太一が「なぜ、太平洋戦争が起きたのか、いつなら現実的に戦争を回避できたのか」と問いかけている。
太平洋戦争の前には、日中戦争があり、この二つで15年戦争をして、その前に
日露/日清戦争をしている。明治維新のあと、日本は戦争をし続けてきた。どう
してそんなことになったのだろう。いつならそんな道をやめれたのだろう。この間映画サークルでも勉強会をしたが−−−。西欧諸国の植民地政策、インド−−中国とやりたい放題の西洋諸国−−ちょうどそのころ明治維新が起こり−−征韓論の西郷が負けるまでは、まだまともな日本だったのかも知れない。
H14年8月1日(木)
ホーリーホック
植物で「たちあおい」というのがあるらしい。「あおい」というば徳川家。サッカーの水戸−三戸さんじゃなくて−ホーリーホックの「ホック」は葵らしいですが、はっきりわかりません。今日ラジオでそんなこと言ってました。

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