☆昭和20年・敗戦後・日本復興の始まりです。
激動の昭和初期を振り返ったとき、
戦後の混乱期の事が瞼に浮かびます!
焼け跡から不死鳥のように復興した日本!
街中を進駐軍のジープが走り回り米兵が銃を持って検閲!
食料物資は限度に不足して人々は生きるために闇市に群がり
(今の北朝鮮のような状況でした!)買出し列車にリュックサックを
背負い両手には大きな荷物をさげて食料を求めるのが必死だったんです。終戦直後の日本は、戦災者、戦災孤児、引揚げ者、失業者といった生活困窮者が溢れていました。戦災などでを親兄弟を無くした児童が多く路頭に迷っていました。衣食住が欠乏し、ターミナルなどでの靴みがきは生活の糧を得るためのひとつの手段だったのです。孤児たちは児院などに引き取られた者もあるが、浮浪児として公園や鉄道の駅などをねぐらにし、生きてゆくために万引き・かっぱらい・残飯あさり、靴磨き、屑拾いなどをする者もあった。
60年前・実際に直面した日本の姿である。
戦争で米軍の空爆日本本土が焦土と化した!
親兄弟さらには住んでいた家までも失った戦災孤児たちを
方々の大きな駅などで見かけた
孤児たちは 闇市や駅の地下道をさまよった、空腹のため<かっぱらい!
靴磨きや・新聞売りなどをして わずかなお金を手に入れ
懸命になって生き抜いただが 掘っ立て小屋の食堂に行けば
「汚い」 とか「臭い」と ののしられていたのです。
********************************************************
人に歴史あり。時代ごとにメロデーが 生まれました。昭和初期からの音楽。昭和20年代、敗戦後の困窮と混乱にあえぎ苦しんだ時代!現在の日本の繁栄の原点は、何と言っても「アメリカ軍に爆撃され廃墟の敗戦日本」に流れた「リンゴの唄」です。戦後の焼け野原に軽やかな「リンゴの唄」が流れた時、敗戦に打ちひしがれた人々の心が
パッと明るくなりました。
歌は時として、生きる勇気を与えてくれます。あるいは、つらい時や悲しい時、うれしい時や楽しい時、人生の節目節目に、必ず心に刻み込まれる歌がありました。日本の戦後の復興に欠かせない歌でした。
「リンゴの唄」は1945(昭和20)年の戦後第1作の
映画「そよかぜ」の主題歌
赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持は よくわかる
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
あの娘よい子だ 気立のよい娘
リンゴに良く似た 可愛いい娘
どなたがいったか うれしいうわさ
かるいクシャミも とんで出る
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
朝のあいさつ 夕べの別れ
いとしいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげて
あすも又ねと 夢見がお
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なおたのし
皆なで歌えば なおなおうれし
リンゴの気持を 伝えよか
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
敗戦から一年目では明日の糧をどうしたらよいか途方にくれたた人達!人々の生活はまだまだ貧しく、「戦災孤児たちは地下道を寝ぐらに」・爆撃で家を失った人達は防空壕やバラックに住んだり、闇市に買出しに行ったりと大変な思いをしていたのです。この歌を聴いて「よし明日も頑張ろう」 勇気付けられた人、涙する人、様々な人間模様!歌詞のなかに「だまって見ている青い空」と言う箇所がありますが 、人々は何を見たのでしょうか?戦争で逝った人達でしょうか?それとも「希望」や「夢」だったのでしょうか?この時代は「忍従」の時代だったのです。辛くても我慢するしかなかった時代だったのです。
戦後生まれの方たちには、60年前に、アメリカ空軍に爆撃されて大阪市内が火の海であったといっても信じられないことでしょう。
願わくば、ずっとずっとこのまま、
戦争のない平和な世の中が
続いてくれることを祈るばかりです。
ホームページ・タイトル
「わが人世の歩み」
2003年6月
塚口 武
|