イネ科の花粉症を患って10年以上になるが、最近は良い薬が出てきて花粉症の兆候が現れた時に飲めば即座に症状が治まってしまう。しかし、この薬の副作用(この“副作用”と言う言葉はいわば俗語で、実際は薬の持つ様々な作用の一つであるにすぎないが)で、猛烈な眠気と唇の渇きにおそわれるのだ。そのため、平日は車を運転するので薬を飲めず、土曜日もバンドの練習がある(唇が渇くとトランペットが吹けない)ので、結局飲めるのは日曜だけ。
いくら良い薬を持っていても飲まなければ効かないわけで、いまだに毎年花粉症に悩ませられているのである。
そんな風にどんな良いことにも表と裏はあるもので、コンクールも例外ではなく、参加することによって得られるものもあれば、バンドの事情が悪化する場合もあるのである。
■功罪の功について
ところで吹奏楽関係者にとって単に“コンクール”と言えば、朝日新聞社主催の全日本吹奏楽コンクールの事である。
このコンクールは全国の吹奏楽バンドを対象にしたもので、60年以上にわたり行われている歴史のあるものだ。(ちなみに私が初めて参加したのは第26回大会だ)
小・中・高・大学・職場・一般といった部門にわけられ、全国大会を頂点にして何段階かの予選(地区大会)が行われるが、地区大会では代表権のないカテゴリーや金銀銅以外の賞が儲けられているところもあり、全国大会の要件を満たさない小さなバンドでも出場できるように工夫されている。
参加団体は、それぞれの大会で代表権の他、金賞・銀賞・銅賞などの評価(失格もある)を受けることになるが、夏の高校野球全国大会など足元にも及ばない参加者数を誇るこの大会では、甲子園以上に全国大会に出場するのは至難の業なのだ。
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そこでその“効”である。
全く単純に、純粋・中立な立場で物を考えれば、
効1:コンクールの練習を集中して行うことによって、演奏技術が向上する
と言うことが言えるはずだ。(この「はずだ」がくせ者なのだが、これは罪の方で書きたいと思う)
また、2度3度と出場することで、
効2:ステージ上(さらに観客を前にした時)の演奏技術が向上する
といった経験値のアップもあるだろう。(そもそも千人を超えるの観客の前で演奏する経験など、並の人生では決してある事ではないのだ)
複数の地区大会を突破し、あるいは全国大会で金賞を取ることが出来れば、
効3:バンドの知名度が上がる。そのことによって演奏会での集客数も増える
という、宣伝効果もある。
また、消極的なプラス面ではあるが、
効4:あまりやる気のないメンバーも真面目に取り組む
というこもあるだろう。
そうして、上位の賞を受賞し続けることによって、
効5:恒常的にメンバーが増える、充実する、そのことによってますますバンドの実力が向上する
などもあるだろうから、こうしてみるとコンクールというのは良いことづくめなのではないかと思えてくる。
■功罪の罪について
それほど良いことずくめのコンクールに悪い面など有るのかと思うが、副作用が確かにあるのだ。
実のところ、これにはコンクールそのもののシステムが大きく関係している。
それは、全日本吹奏楽コンクールでは、予選から本選までの全過程を通じて“バンドの実力”を審査の対象としない、ということだ。
つまり、主催者から毎年提示される新曲(課題曲と言う)と、バンドが選んだ曲(自由曲)の2曲を12分以内に演奏し、その“演奏の優劣”を争うのである。
こう書くと実に当たり前のことのようだが、しかし、一般に「コンクールの成績=バンドの実力」と誤解されていることも事実で、ひどい時は「コンクールの成績=メンバーの実力」と」いうものもある。
この誤解の難解な点は、逆は真である事だ。
もちろん一般論としてだが、たとえばプロバンドがコンクールに出れば、容易に上位入賞するだろうと言うことだ。
そこで、コンクールで金賞を取る簡単な方法はと聞かれたら、迷わず【優秀なプレーヤーだけを集めて楽団を作る】(これをA方式としよう)と答えるだろう。
だが、すでに活動しているバンドや、学生など人材に制限があれば無理な話だ。
そこで次善の策として【メンバー全員を優秀なプレーヤーに上達させる】(これをB方式としよう)がある。
これは多くのバンドが目指すところではあるが、やはり有限の人材と有限の時間の中では必ずうまくいくとは限らない。
そこで最終案として思いつくのは【2曲だけ上手に演奏する】(これはもちろんC方式)だ。
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そこでコンクールの“罪”である。
(うちは数回しか練習しないけど全国大会金賞だ、と言う様なところは、以後のコメントは無視して頂いてかまわない)
それぞれのバンドは、コンクール前に2つの道の選択を迫られる。
それはB方式か、C方式かということだ。
しかし、これから演奏するだろう数百曲を、申し分なく演奏する技術を身につけるための練習をするのか、2曲だけを練習するのかを比べれば、負担が少い方を選択するのは当然だろう。
つまりC方式だ。
罪1:名曲でもない「課題曲」を毎日毎日練習する(バンドによっては半年以上も!)
課題曲というのは、その性格上、コンクールが終わればほとんど演奏することはない。(すでに200曲近くある上、毎年増え続けるのだから当然だ。)
中学生のような楽器を手にしたての未熟な奏者の、人生最初の半年が、そんな曲のひたすら反復練習で良いはずがない。
罪2:名曲かもしれないが「自由曲」なる曲を毎日毎日練習する
つまり、コンクールのためだけに自由曲と課題曲の2曲だけを(未熟なバンドほど)長期間練習しなければならない。
出場しなければもっといろいろな曲が演奏できただろうに…
罪3:自由曲は時間制限のためにズタズタにされる
4楽章あるシンフォニーの、終楽章だけ抜粋して演奏されるといって驚いてはいけない。その終楽章すら単に時間的な理由だけで当然のように細切れに継ぎ合わされてしまっているのだ。
それどころか、最近では、組曲の複数曲を細切れにして、順番まで変え継ぎ合して演奏するし、しかもその演奏が全国大会で金賞を受賞(つまり評価される)しているのだ。
罪4:新しい楽譜をもらうたびに技術がリセットされる
音楽というのはジャンルといった共通の部分はあるとしても、オリジナリティーという排他的な要素を強く持っているために、ある曲の技術が他の曲へそのまま応用出来るものではない。(要は、全く同じ曲は無いと言うことだ)
そのために、普通は基礎練習を積み重ね応用力を高めるのだが、2曲だけを長期間練習させられる“初心者”にはそう言う余裕はなく、結局楽譜をもらうたびに新しい技術にチャレンジするハメになる。
罪5:体力が付かない・無くなる
2曲を延々と練習していると、当然のことだが回を追うごとに練習内容は細部に渡り、パート別個人別に詳細な指示と反復練習が行われることになり、2時間の練習時間で、実質自分が吹くのは15分だけということも珍しくなくなる。
そのため社会人バンドのメンバーなど、日々の練習時間がとれない上、貴重な練習日でもわずか十数分しか吹けず、結果、急激に体力が無くなるのである。
罪6:曲を知らない
コンクールに長期間かまけてしまう様なバンドは、そのしわ寄せとして文化祭は30分程度、運動会はテープ、卒業式入学式は校歌と課題曲のマーチなんて事になりかねない。
よく芸能人が「吹奏楽でクラリネット吹いていました」と言って実際に楽器を吹かせても、ナニカの練習曲か、課題曲の断片しかできないというのは国民のよく知るところである。
罪7:金賞を取ったバンドなのに演奏会は下手
2曲だけ上手に演奏して金賞だっただけで、メンバーの実力が高まったわけではないから、当然の結果ではある。
「演奏会でも、10曲を必死に練習すれば良い演奏が出来る」と信じ込んで頑張っても、1曲にかける時間が短い分、それなりの演奏しかできないのは仕方がない。
これらのことは、誤解を恐れずに言えば、メンバーを「演奏屋」として見るのか「音楽家」を育てるのかということだろうか。
中・高生の場合は、指導者の指示に無条件に従うため、特にこの罪の被害者になりやすい。
金賞常連と言われる学校から入団してきて期待していたら、コンクールでやった曲は暗譜でスラスラ演奏できるのに、初見が出来ずに演奏会の練習で足を引っ張る存在になったり、何か得意な曲ををやってみてと言っても、課題曲の2ndとかで、何一つ通る曲がなかったりというのはザラだ。
コンクールが悪いのではないだろうが、指導者はコンクールはバンドの実力とともに、プレーヤーの実力を高める場としてとらえて欲しいものである。
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