DIARY

日記風エッセイ
『ざいん』全員参加の日記です。毎日更新します。楽しみにしてください。
2003/02/28      水木 有
 娘から電話がきた。いかにして病気と戦い、克服したかを大勢の前で話すことになったとのこと。
 特定疾患とされる疾病をふたつ抱え、二十歳の時から病状の一進一退に泣いたり喜んだり、自分で生きることを終わらせようとしたり。
 身体はもとの元気を取り戻せないが、気持はとりもどせるはず、と鬱にかかった娘を抱き締め、祈った。
 十年がすぎ、大事にしすぎたかと思われる位娘はわがままになったが、次々と出てくる余病にも負けず、体力がある時はバイトでダンプの運転をしたり、パチンコなど楽しんでいる。
 すぐそばに暮らしているが、普段は電話のやりとりが多い。娘の身体の調子が崩れた時は、出番がきた、と私が出かけて行く。
 その娘が人の前で喋るなんて、僭越なことだと思うが、これがまた娘にとって生きる自信に繋がればそれでいいかと思う。
2003/02/27      光城健悦
作詞三昧
 
 これまで、いくつ書いてきただろう。作詞のことである。
 私の場合、曲が付き発表されてきた。ご当地ソングから、舞台脚本の「挿入詞」、合唱曲とレパートリーは広い。
 一昨年から室蘭港祭で「室蘭歌謡選手権」と銘打ち、のど自慢大会を企画した。優勝者には「オリジナル曲」を副賞にした。意図はある。
 狙いはズバリ、街の活性化にある。街の場所を詞に入れて、仕上げる。それを翌年の優勝者に歌って頂き披露する。これまで2人が権利を獲得している。ここまで、名勝「地球岬」、「漁港」「室蘭八景」と詞を書いた。
 今日の作詞は「幕西おんな坂」で、かっての花街を素材にした。演歌なので、男と女の哀歌にしたが、海の匂いを下敷きにした。
 演歌が衰退しているといわれるが、日本の国民歌は「演歌」と思ってきた。語りで心を訴えるのは、やはり演歌しかない。
 
 
2003/02/26      さとう惇子
 子供のころ、吹雪の中を歩いて、ここで倒れたら凍え死んでしまうかもしれないと、思ったことがある。
 小学校5年生のときのことで、授業中に熱があると、家に帰されたのだ。
 電話をかけてくれたら母が迎えにきてくれたと思うが、そんな時代ではなかったのだろう。家までの2キロの道のりを、震えながら帰った。
学校は港をとり囲むように広がる工場群を見下ろす高台にあり、風が強く飛ばされないように必死で歩いたが、雪と風が顔にぶつかり息が出来なかった。
 今思うと、吹きさらしになっているのは、せいぜい100メートル程の距離だったと思うが、子供ながらに生命の危険を感じたのは本当である。
 そんな話をしたら、「学校は今でも、そうよ」と友達に言われた。
「息子が、熱があって帰されたのよ。朝から出かけて私が居ないことを、息子は知っているので、お店をしている友達の家で、寝ていたわ」
 先生が家に電話をしてくれたら、留守だったこと分かったでしょうにね、と。
 今も昔も、子供たちの置かれている状況は変わらないのかと、ゾーっとした。
2003/02/25      水木 有
 ライ麦と大豆蛋白が女性ホルモンを作るとか、テレビの言うとおり、私はライ麦を買ってきた。
 いま、日記を書いている私のうしろで、第一発酵しているパン生地が爆発しそうな位、膨れている。
 この前は、ワインにオレンジの皮を浸したものが肌によいとテレビからの情報で、直ぐに試した。不味かった。作戦を変え、ワイン入りのマーマレードを作った。原料は同じなんだから効き目に変わりはないだろう。
 これからパンを焼いてワイン入りマーマレードを乗せて食べたら、さぞかし美しくなるだろう。まだまだ、あきらめはしないぞ。死ぬまで「おんな」だー!
2003/02/24      浅野 清
健康のバロメーター
 
「食欲は健康のバロメータ」と一般に言われている。それは事実である。食欲不振の時は確かに体調は悪い。体調が悪い時は全ての面で意欲が減退し、けだるくなり何をしても中途半端で投げ出してしまう。つまり、気力を無くなってしまう。そんな状況に陥ると、どうしても厭世観に呪縛されてしまう。
 しかし、自分本位にならず頭に来たからといって、ばくばく食欲旺盛に食べる心理(特に女性)にはどうも共感できない。これは自棄酒(やけ酒)と同じ心理現象なのであろうか。
日頃、食べ物に貪欲な程の興味を表示しない私には不思議な現象に映る。
 近年の私の健康のバロメーターはNHKラジオの朝の「基礎英語1・2・3」の番組である。他の人から見ると、全く奇異なことであろう。でも、事実である。
 この約5年と11か月の生活習慣として定着している。これは私の生活リズムである。昔、若いころ実行していた朝のジョギングと同じ機能を発揮している。
 日曜日以外の毎朝、5時55分になると、枕元のラジオが活動を開始する。これが覚醒の合図。6時からは基礎英語1、そして2、更に3などと続く。7時までだ。
 旅行中や外泊の時は聴取はできない。更に、体調が悪い時も無理だ。意識は朦朧とし、頭の中はカオスである。
 快調の時は5時55分頃に自然に心地よく目を覚まし、その時に放送している高校講座を聞く精神的な余裕があり、明澄な心理で本命の基礎英語1・2・3などを聴取することができる。つまり、これが私のその日の健康度を判定する基準となるものだ。しかし、こんな晴朗な朝は年間何日あるだろうか。
 特に、この数ヶ月、多忙な日々の連続の中ではこんな幸せなひと時は全く稀有なことである。
 でも、もう直ぐ4月が来る。春近し。
 
2003/02/23      光城健悦
雪の恋文
 
 1月〜2月と冬篭りをしている。冬がきらいなのではなく、車の運転が怖いのだ。冬道で、あぶない目にあってから、凍結した路面を見ただけで、ハンドルを放棄したくなる。心理的トラウマ状態なのだ。
 年金生活なので、家篭りを続けても生きていける。それでも、ぼんやり窓外の雪景色を眺めてはいない。雪は好きなので、もやもやと腰が動く。雪の中で転がりたいのだ。
 東北のあるところで、「雪のラブレター」なる公募がある。挑戦した。ところが、想像力がフル回転しない。見飽きた雪なので「愛だの恋だの」が、直列しない。
 では、並列ではどうかと、架空の場所を設けてみた。室蘭は北海道でも雪の少ないところで、幻想的なイメージは沸かない。歩道は乾いてアスファルトは剥き出し。その左右に除かれ積み上げられた雪が、小山で尖る。
 雪を素材にした恋とか愛とかは、しんしんと積もる地方なのか。雪の夜は、翌朝の除雪を思いうんざりし、恋文は浮かばない。
 
2003/02/22      水木 有
 今日は朝から孫と小学校体育館でスポンジテニスを楽しんだ。
 二週間前の回覧板で、スポーツ振興会主催の集まりがあるのを知り、申し込んだ。運動不足の解消とダイエットに丁度良いと思った。
 軽スポーツといっても結構疲れる。屈んで休んでいると、耳元で「もっとやろう」と孫がささやく。少し遠慮したような声がラブコールに聞こえる。
 おばあちゃん(わたし)はまた頑張る。
スポンジテニスの後、グランドゴルフのゲームを楽しみ参加賞を戴いて帰ってきた。
 昼食後参加賞の紙袋を開けると、中にシュークリーム、どらやき、クッキーが入っていた。おもわずにやりとした後、茶を入れ、参加賞全部食べてしまった。
 たしか、きょうのスポーツ参加の目的にダイエットもあったはずだなと、後でぼんやり考える。
 
2003/02/21      さとう惇子
 先日、ホームページのトップの写真を撮るので、地球岬に行った。
 二月十日、暖かく感じてもプラス二度ほどで、十分もいると体が冷えてくる。寒い中、訪れる人などいないだろうと思っていたが、車が三台と、大型バスが一台あり、四,五十人の人たちがいて驚いた。
 白亜の地球岬灯台を見下ろすように、断崖の上にはぐるりとめぐらされた展望台があり、眼下には太平洋が広がる。はるか遠くを眺めると水平線が丸く見え、地球は丸いことが実感できる。
 展望台から柵越しに覗き込むと波がはるか下に見え、足がすくむ思いがする。ここは、自殺の名所としても有名である。
 もう、何年か前のことになるが、崖の近くに靴が一足、揃えて置いてあり、大騒ぎしたことがある。事件の結末は、素足で運転する人が靴を脱ぎ忘れたのを、誰かがいたずらして置き換えたのだろうとなった。
 靴一足で警察やらマスコミが出て騒ぎ立てるほど、リアス式海岸は険しい岩肌を剥き出しにしている。
 人の降りていくことの出来ない海岸線は、自然のままの美しさを、いつまでも保ち続けてくれることだろう。
2003/02/20      光城健悦
駄作もつもれば
 
 エッセイの整理を始めた。月に同人誌と新聞に一本づつ。同人誌のほうは一回3枚で、百回を越えた。四百字原稿用紙で三百枚と、チリも積もれば驚く。
 新聞のほうは四年半。これは一回二枚なので、百枚と、まあまあ。よくネタがあるねと聞かれたことがある。
 注意深くしていると、ネタは回りにゴロゴロある。本棚の背文字から、新聞のコラムから、当たり前の会話から「ヒョイ」と拾える。探すアンテナを意識的に張りめぐらすと、たくさん引っかかってくるものだ。
 まあ、エッセイの「質」を問われれば、赤面するが、<書くことは、自分の記録と思えば>肩肘をいからすことはない。いからすほど、コチコチゴワゴワの味薄い、理屈っぽい文章になる。
2003/02/19      水木 有
 母が倒れ、寝たきりになった時には涙ばかりが出てきました。あんなこと言わなければよかった、まだ何もしてあげていないのになど後悔ばかりしていました。
 意識が戻り、母が私の名前を呼んだ時、私が自分の子供たちを思うのと同じくらい、母も私を大事に思っているのだ、まだ遅くはないと思いなおしました。
 話し掛けて母が笑い顔になると、気持が通じ合ったようで私も嬉しくなります。
 私の子供が幼い頃、笑い掛けると嬉しそうな顔になり、私が落ち込むと子供も下を向いたのを思い出します。
 駈け引きなしで通じ合える気持が親子の情なのだろう。いつの世になっても人間としての情は変わらないでほしいと思います。
 
2003/02/18      浅野 清
  IMAGINE
 ジョンレノンのIMAGINEは世界的に有名だそうだ。今は日本の中学校の音楽の教科書にも紹介されている。
 彼の妻のオノ・ヨーコが昨年のニューヨークタイムスに一面の広告を掲載した。「Imagine all the people… Living life in peace
それが大きな反響を呼んだそうだ。 
 1月にはA新聞その他の中央新聞に日本人250人以上連名の「イラクとの戦争反対」の一面広告が掲載された。それは政党とは全く無関係な草の運動である。
16日(日)のA新聞朝刊の一面の見出しは「反戦の波 地球を回る〜イラク問題 各地で集会・デモ」である。
ロンドンでは約15万人、スコットランドのグラスゴーでは約4万人、ベルリンでは約50万人、香港では約700人が集まった。他の新聞報道によると更にローマでは50万人、モスクワでは約千人、バクダットでは日本人を含め約200人。日本では東京の米大使館前に一時約300人がシュプレヒコールで抗議の意思表示を示したそうだ。渋谷には5000人。札幌では400人。2月15日はイラク攻撃に反対する国際的な統一行動日であった。
 戦争中子どもであった私には空爆の下で家族の、そして自分の命を失う子ども達の姿が57年前の樺太での自分の姿を重なる。私も大きな声で叫びたい。「NO WAR
 
2003/02/17      さとう惇子
 結婚当初、姑の言葉に傷つき落ち込んだものだった。
 四十代後半の姑は女として負けたくないという意識があったのだろうし、一つ違いの娘のことも、息子の嫁である私と比べて、負けたくないという意識が働いていたようなのだ。
 何かにつけて批判めいたことを言われた。
 些細なことなのである。たくあんの切り方から、盛り付け、器にまで口を出してくる。家はこんな切り方をしない。家はこんな盛り方をしない。家の家風とは違うと。
 は? この家に家風なんかあるんですか?  その度に、心の中で言い返していた。
それがいつの間にか、生まれてから両親の元にいた時間より、嫁いでからの時間のほうが長くなっている。子供たちが学業に就職にと家を出て行ってしまうと、残るのは舅姑と私たち夫婦である。
 四人はいつの間にか、本当の家族のようになっているのだから不思議である。
 きっと、我が家の食卓はほかと比べて賑やかなことと思う。浜育ちの姑の作る、磯の匂いのする手料理と、本を見ながら覚えた私のお料理が並ぶのだから。
 親と同居をすると、欠点もたくさんある。でも、長所もたくさんあるのだ。これからはなるべく、長所だけを見て生きていたいと思っている。
 
2003/02/16      光城健悦
自由作文賞
 
 室蘭出身の芥川賞作家で日本芸術院会員であった故・八木義徳氏の業績を讃えて、室蘭市では「八木義徳自由作文章」を設けている。私も仕掛け人の黒子だ。
 地元、小学校から高校までを対象に昨年から始めた。自治体が児童・生徒に作家の冠をつけた公募は、全国でも珍しい。
 私は最終選考委員として、先日、第2回目の選考を行った。予備選考でノミネートされた作文は優劣つけがたく悩んだ。
 高校生は「創作」もあった。おおむねは日常を題材にしている。関心は、今時の子が、なにを題材にしているかだ。大きく分けて「父母のこと」「祖父祖母の死」「社会への関心」等だが、なかには「拒食症」「父への憎悪」「障害児の姉妹」と、心の痛みを書いた子もいた。
 学校は社会の縮図であり、大人を投影してきた。作文には、それらが真っ直ぐに表れ、読み手ながら考えさせられた。子どもの力ではどうにもならない表現なのだが。
2003/02/15      水木 有
 母が倒れ、寝たきりになって三年になる。姉や兄がいるが、私が母の爪や髪の毛を切る役になっている。
 週に一度、爪を切るのだが、だんだん母の手は白く、細くなっていく。
 私が覚えている母の手は、幼い時に見たミシンをかけながら布を引っ張るたくましい手だった。その頃は足踏みミシンだったので、ペダルを踏む力強い足も印象に残っている。
 今は、そんなこと覚えていないという手で、爪を切る私の手を握ってくる。
「冷たい手をして……」自分の年も忘れた母が、いたわりのことばを口にする。
 そんなとき、私は子どもになる。普段、忘れている子どもの部分が出てくる。口に出せない愚痴を心の中でつぶやく。
「またくるからね」と目で追う母に手を握りながら、このままでいいからいつまでもいてほしいと願う。
2003/02/14      光城健悦
プロの技
 
 複写機が壊れた。昨年暮れからおかしくなり、コピー用紙にデコボコのスジができた。定着機能が不能で、無残な仕上がりだ。
 なじみの職人がきた。メンテナンス無料なので、気軽に頼める。先週来ていただき、紙送りのローラーに亀裂があるといった。今日は部品交換になる。
 さて、本体を順に解体した。カバーを外し順にネジを外す。こんなに複写機が複雑なメカだとは思わなかった。
 ところで驚いたのは、解体の手順とネジの数だけではなく、解きの複雑さなのに、その手ぎわは、鼻唄もでるほど造作なくやってのける。私の機器は10年前の旧式で面倒があると言いながら、困った様子はない。
 私は職人技に唸った。子供のころ、単純な目覚し時計を分解し、ネジが余りバネを収めるのに悪戦苦闘して、ついに廃棄になった時計の姿が、亡霊のようにいまも残っている。それなのに――。
 プロは凄い。機器音痴の私には、今日の職人技は「神の手」に思えて敬意だらけだった。
2003/02/13      さとう惇子
 多摩川へ散歩に出かけて、すずらんの話に出会った。もちろん、ホームページを訪ねてのことである。
 すずらんは北海道からのお土産で、根がついて毎年花を咲かせているとのこと。
 小学校の1年生の頃だろうか。すずらん狩りに行ったことを思い出した。
 鈍行列車に揺られて、1時間以上もかけて、勇払原野の辺りまで行ったのだ。母と行ったような気もするし、姉とその友達に付いていったような気もする。
 思い出の中には誰の顔も浮かばない。見えるのは、果てしなく続く平原にすずらんが咲いているだけだ。
 次の年から、実家の庭には控え目で目立たないすずらんの花が咲いた。あの時から、四十年以上の時が過ぎている
父と母が亡くなり、今は兄が庭の手入れをしている。
 長い歳月を経ても、あの当時の可憐な姿のまま、今年もすずらんは可愛らしい花を咲かせるだろう。
2003/02/12      水木 有
 夕食後、テレビを見ているうちに思いついて、台所で大豆を煎り始めた。
 カシャ、カシャ、シュッ、シュッ、いい音をたて、やがてパチッ、豆に割れ目ができる。気分がいい。
 香りに誘われたのか夫が傍にきた。
「豆腐をつくるの?」大豆=豆腐と思ったのか聞いてくる。首を横に振る私を不思議そうに眺め、「どうして、今頃こんなことしているの?」
 豆と私の顔を交互にみて、「理解できない」と居間に戻った。
 煎りあがった豆を小鉢に入れ、テレビの前で食べ始めた私を上目で見る夫は、「どうして、突然行動するかな。理解できない」とつぶやく。
 大豆の香りを嗅ぎたくなったから煎り始めた。思いついたから動く。私の考えることをまだ夫は理解できないらしい。
 コリコリ音を立てる私を見て、「どうしてそんなに硬いもの、噛めるかなあ」夫は小首をかしげる。差し歯と一部入れ歯の夫には、理解できないことが多いようだ。
 
 
2003/02/11      浅野 清
2月○日  超多忙
 3月15日(土)は私の勤めている市立幼稚園の卒園・廃園式である。
諸般の事情で26年間の歴史を閉じることとなった。これは市議会の決定である。今、そのための諸準備と廃園記念誌の作成のため超忙しい。
 今月中に記念誌を編成し、すべての内容の原稿を作成・印刷して印刷業者に製本を依頼しなければならないからである。手作りの冊子である。土曜日・日曜日・建国記念日もなしの出勤で、一人黙々と仕事に励んでいる。
 いま長年付き合っている持病の腰痛のため右脚がピクピク痙攣しながら痛み、神経を苛立たせる。
 あと1か月なんとか乗り切りたい。今夜は原稿書きをせずに早く布団に入り横になろう。
 4月になって自由の身になったら、山奥の温泉で1週間ぐらい湯治しながら読書三昧の生活をしたい。
 無理だろうな。でも、せめてこの切ない願望だけは持続させよう。
 
2003/02/10      光城健悦
巧い(うまい)標語・ネーミング
 
 さまざまな川柳や標語・ネーミングの入選作を、拾いだして一覧にした。投稿してきたが、大当たりがなく「傾向と対策」にしたかった。やはり、「巧い」と感心したのはある。
☆ 川柳「禁煙」灰皿を捨てた日君の生まれた日。「元気印」保険証しまい忘れている元気。「禁酒」禁酒してのぞけば広い冷蔵庫。酒は友でも酒だけが友じゃない。
☆ 標語「禁煙」聴こえない? あなたの肺からナースコール。「最低賃金キャッチフレーズ」えっ! 最低賃金しらないの? 「県民の日」ふるさとのこと、すきですか?「都知事選挙標語」首都の顔私が決めるこの一票。
――これらは感覚もあるが、ひょいとすくい上げた言葉でもある。知れば「なんだ」と思うが、頭を捻って唸って、出るものじゃない。俳句・短歌は入選作に(技)があり、すくって出ない。俳句(信州大賞)をひとつ「祭笛差して男の腰決まる」巧いね!
 
2003/02/09      さとう惇子
 新聞を見ていたら、福寿草の出荷の記事が載っていた。
 降り積もっている畑の雪を掘り起こし、一株ずつ鉢に植え替えるのだそうだ。福寿草は種から育てて出荷まで7年もかかると言う。
 その記事を父の思い出と重ねて読んだ。
 父が生きていた頃、凍りついた畑を掘り起こし、小さな蕾がふっくらとほころび始める頃になると「福寿草の鉢植えを取りにおいで」と、電話がかかってきたのだ。
 週末にあわせてお花を管理していたのだと話してくれ、いとおしそうに鉢の泥をはらっていた姿が目に浮かぶ。
 私はいまだに裏山のどこに福寿草が植えられていたのかを知らない。父の思いなど深く考えることも無く、当たり前のように受け取っていたのだ。
 私の嫁ぎ先に遠慮をしてのことだろう。父にとっての福寿草の鉢植えは娘に会うための口実だったのかもしれない。
 母が亡くなった後、5年長生きをした父の寂しさが、今更ながら思われる。
 
2003/02/08      水木 有
 園児の豆まきに参加した。スナップ写真を園長に頼まれて撮りに行ったのだ。園児が投げる豆が思い切り頬に当たり、その途端、私は鬼になった。
 園児、残らずみんな撮ってやるぞ。カメラを向け、久しぶりに真剣になった。
 豆まきが始まる少し前、<先生の部屋>で、「子供たち、園長さんが鬼の面をかぶるの見えたって」と保母さんが悲しそうな声を出した。園長は意に介さない様子で準備を進める。
 鬼が実は園長さんだとわかったら、園児はどんな反応をするのか私も気になった。ところが、面の下が園長であろうと、鬼は鬼だという顔で豆をぶつけ始めた。思い切りそのときを楽しんでいる。園長はそうなることも知っていたのだ。
 いとおしむように園長が園児ともつれあう。私も、瞬間を逃すまいと、シャッターをきった。
 何年振りかにスナップを撮ったので、出来具合はまるっきり自信がない。きっとブレているだろうな。しかし、私は楽しんだので満足。園長さん、失敗していたら、ごめんなさいね。
 
2003/02/07      光城健悦
漢字の話
 
 塾の話で漢字書き取りの問題。私が間違えた。5年生の問題になる。
 採決の「決を採る」を「決を取る」と間違えた。軍の「大軍」を「大群」に。作品「一編」を「一遍」に。ちなみに、「編」は詩文を数える語、「遍」は回数、「篇」はひとつにまとまった詩歌・文章になる。私はしばしば悩んで使ってきた。
 5年生とあなどるなかれ。教科書から拾った次の漢字は5年生で。「復興」「複数」「復習」(へんで間違える)「整う」「収める・治める・修めるのちがい」「菜園」「由来」「尋ねる」「群衆と群集の違い」など、うっかりミスをする。
 漢字の習熟は大切だが、ワープロを使いだしてから書けなくなった。書いたとしても不安で、辞書を引いて確かめる。この頃は、直筆の手紙は、ワープロで打ち出して、辞書で確認をして、便箋に清書する。回りくどいが失敗よりマシと思っている。
 
2003/02/06      浅野 清
 2月○日  続々・一枚の葉書
「浅野先生、お元気ですか。昭和51年に1年2組で先生にお世話になりました○○です。先日はわざわざ本を届けていただき、ありがとうございました。園児たちのほのぼのしたやりとりも可愛らしかったのですが、子供が自発的に行動を起こさせるように接する先生たちの姿が印象に残りました。
 またこれからも書いていかれるそうですね。どうぞお体に気をつけてよい作品をどんどん産み出していって下さい。
 それではまた。ありがとうございました。」
 昭和51年(1976)というと、ピンク・レデイがデビューがした年である。全国の女の子達が彼女たちの物まねを休み時間に教室で行っていた時代である。
 27年前のことである。かつての小学校1年生も今は洞察力の優れた大人の女性に成長している。都会の路上で偶然会っても私には見知らぬ眩しい若い女性と感じるだけであろう。
 彼女の母から2通の葉書(私の幼稚園童話入手の希望)(その礼状)を受け取ったが、今度はかつての教え子自身からの礼状である。突然、自分のことを「先生」と呼んでくれるかつての教え子が出現したことは感慨無量である。あの時代の若さは勿論、情熱・気力・体力・記憶力などをすっかり喪失してしまった今の自分が恥ずかしい。
 愚痴っても、道は拓かない。ともかく幼稚園童話シリーズ全10巻を元気なうちに完成させよう。「充実した余生、それは創作活動への没頭。」これは自家版人生訓。
 「よい作品をどんどん産みだしていって下さい。」これは力強い激励だ。教え子を裏切っては地獄に落ちる。「よい作品を期待します。」これはある芥川賞受賞作家の今年の年賀状の添え書きだ。
前途多難の今年だが、すでに荒海を出航し始めた。後戻りはできない。
 
 
2003/02/05      光城健悦
百分率・割合
 
 ミニ学習塾を開いている。小学生が対象で、子供との触合いは、たのしい。根っからの子ども好きだ。
 昨日は5年生。算数は「割合」で、この学年で子どもが頭を混乱する内容だ。例題を上げる。
(問題1)120個のリンゴのうち、18個に傷があった。傷ついたリンゴの割合を求めなさい。式は、18÷120=0.15 15%が正解。ところが「割合=比べられる量÷もとにする量」を図式にして教えても、頭のなかで、なかなか判らないらしい。
(問題2)825円は1100円の何パーセントか。式は825÷1100=0.75で75%だが、「比べられる量=もとにする量×割合」が、飲み込めない。この式は、825=1100×?%で、?%=825÷1100から考え始める。教える方もこんがらかる。
 
2003/02/04      さとう惇子
 インターネットで知り合いになったお坊様から、カレンダーが送られてきた。
 一月には「おおきなかぶ」のお話を思い出すような、かぶの絵が描かれている。
「いただきます」「ごちそうさま」は作った人へ言うのではなく、命を食べさせてもらっているのだから、「御陰様でご馳走さまでした」と野菜や魚、お肉に感謝して頂くものだと書かれていた。
 十月にはタコが輪になって墨を掛け合っている絵が描かれている。
 ピンク色のタコの目があどけなくて愛らしい。墨をかけたり、かけられたりと、とても楽しそうだ。
「迷惑かけずに生きられない 『おかげさま』がでる」の言葉が添えられている。
 人は迷惑をかけずに生きていくことは出来ないのだ。そうならば、迷惑と思わず頼られているのだと、感謝の心でいなさいと言うことなのだろうか。
 タコの顔の表情を見ていると、どんなことがあっても、にっこり笑って乗り切ろうよと、話し掛けられているような気持ちになってくる。
 足をぷよぷよとさせて泳いでいるタコを見習って、私もぷよぷよと生きていくことにしようか。
 
2003/02/03      水木 有
 クラス会がありました。
向かい側に座った男子がスーツのポケットからだしたMDを、無言で私に渡してくれました。私も約束の曲のCDを渡しました。
「MDで良かったのに」と言う男子に、「私はMDでいいの」と今までの感謝の気持ちで答えました。
 男子の目が私の目と会った時、有難うといっている目で、私も声に出さずに有難うと言いました。周りの人たちは気にも止めず、おしゃべりをしています。
 帰宅途中で携帯電話がかかってきました。「今日はありがとう」と、男子からです。
 気分よく帰宅した私は、バッグからMDを出して、「これなんだから。結末はいっつもこうなんだから」と口を尖らせてしまいました。
 MDに貼られたラベルには第三楽章までしか書かれていないのです。ブルックナーの9番は第四楽章でダウンロードするとMD一枚では間に合わない長さなんです。
 受け取った時に気が付かなかった私と、割ったしてくれた男子のそそっかしさは5分5分といったところでしょうか。
 そんなもんだね。少しロマンチックになっていたんだけれどなあ。
2003/02/02      水木 有
 あと1週間でクラス会がある。友達に会えるのは勿論だが、もう一つたのしみがある。
 高校時代に、どうしても話し掛けることができなかった、気難しそうな男子がいた。去年のクラス会でその男子が、入れ歯を忘れてきたと言いながら、私にMDを送ってくれる約束をしてくれた。
 それから必ずと言って良いほど、火曜日になるとMD20枚、送られてきた。
 送られてきたMDが280枚になった時、もう送ることができないという電話がきた。火事になって全部焼けてしまったとのこと。
 指揮者、オーケストラ、演奏場所、日時、こだわって集めたもので宝だと言っていたのに。火事も含めて、どれだけ落胆しただろうと思うと、慰めの言葉が出てこなかった。
 つい最近、またCDを集め始めた、MDに入れて持っていくからね、という電話がきた。
 曲目を聞くと私も買ったばかりのものだが、指揮者と演奏者が違う。私もMDに入れて交換する約束になっている。
 元気を取り戻した男子と、新しいMDに会えるのがとてもたのしみ。
 
2003/02/01      浅野 清
 1月○日 「CASABLANCA
ビデオレンタル店から、「CASABLANCA」を借りてきた。これはハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマン主演の映画で大変有名である。戦前の白黒フイルムである。天下の美男美女主役による愛国者による抵抗の物語である。これは第二次世界大戦中であり、フランス政府がドイツに倒された時代で、カサブランカは当時フランス領であった。
 このビデオを借りてきたのは、実はこの約10日間、この映画の英文シナリオ(注釈付き)を読んでいたので、最後に本ではなく映像でセリフを確認したかったのである。英文の映画シナリオを読み切ったのは初めての体験であり、この快挙に自分自身驚いている。
 なんと言っても、緊迫した状況の中での男女の愛を描いたこの映画は名セリフの宝庫である。
特に有名なのは、「Here`s looking atyou, kid.」これは「君の瞳に乾杯!」という名訳中の名訳である。
With the whole world crumbling,we pick this time to fall in love.
(世界全体の崩壊に合わせて、私たちは恋に落ちる時を選んだのね。)
We`ll always have Paris
(俺たちにはいつだってパリの思い出がある。)
多数の英文の映画シナリオに挑戦したいが、残念ながら今はその時間的な余裕はない。後日、離職してからゆっくりと挑戦し、ビデオを見ながらシナリオを楽しむ生活の余裕を見つけよう。
 この作業はシナリオ作りと英語圏の映画内容の理解と生きた英会話の勉強になり、一石三鳥の効果がある。問題は気力と持続力である。
 
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Last updated: 2004/11/29

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